シーツ

やまこし

シーツ

「ええ、本当にこれ見るの?」

思わず彼の顔を覗き込んで改めて聞いてしまった。

「どうして?」

「こんな…不条理映画なんて見たら頭の中がハテナでいっぱいになっちゃわない?」

「ハテナでいっぱいじゃ、どうしてダメなんだ」

「だって…」

あなたの、自分が触れるものすべてが確かだと信じて疑わないその瞳に見つめられるのが、たまらなく好きだから。


ふたりで横に並んで映画を見て、視線と感情がすべてどろどろに溶けあって、気づいたら裸になっていて、交わされる熱い息の中に映画の感想が滲んでいる、そういう時間が好きだ。そういうことがおこるのは、正しく防音されている用途の限られた宿泊施設であることもあるし、お互いの住む場所であることもある。いつの間にか、なにかを見てからセックスすることが多くなった。感情とか、考えとか、そういうことを共有した後は体の芯で相手を理解できるような気がする。気がするだけかもしれないが、そういうセックスが好きだった。そのとき彼が見たもの、触れたものが確かと信じて疑わないその瞳に、胸の真ん中がまっすぐ刺されるような気持ちになるのだ。それは体の中の興奮するところを刺激して、より彼の奥を求めたいと思う。


というような夜を期待していたのに、彼が持ってきたのは不条理映画と呼ばれるやつだった。以前から、不条理の作品が苦手だった。なぜ、どうして、どういうつながりで、と存在するようでしないストーリーラインを一生懸命追っているうちに、知らない景色が広がっている。目の前に広げられたものをそれとして受け入れて、思ったことを心に蓄積しておく余裕がないんだと思う。その点、彼は触れたものをそれとする強さがある。


ごねる自分を横目に、彼は黙ってディスクをデッキにセットした。

初めは映画に集中しようと思ったが、やはり途中から何が何だかよくわからなくなってきた。よくわからないなあ、と思いながら彼の肩に頭をもたげたら、彼の体が少し震えていることに気づいた。体を起こして彼のことを見ると、こぶしをぎゅっとにぎっていた。


映画を見ている時はあまり話しかけないようにしているが、不安がそのまま声になって出てきてしまった。

「どうしたの?」

「なにが?」

「ふるえてる」

「なんでもないよ、考え事をしていた」


たしかに、不条理ものをみると頭の中に考え事をするスペースが生み出される気がする。本来思いを馳せるべきものではないことがらばかり考えてしまう。その気持ちはよくわかるが、考え事をして、震えるほどこぶしを握るだろうか。


「なんでもないよ、ほんとうに」

聞いてもないのに、彼はもう一度繰り返した。それに応えるように、両手でそっとそのこぶしを包んだ。もしかして血が通っていないかもしれない、とさえ思った。


疲れていたのもあって、映画の後半には彼の肩に頭をもたげて眠ってしまった。映画の途中に寝てしまうことは珍しくて、彼にそっと起こされた時にはショックな気持ちになった。そのまま眠るか聞かれたが、眠って少しだけ元気になったから彼に触れたいと伝えた。それに応えるように彼は額にキスをした。


着ているものはいつのまにかすべてベッドの下に落ちている。裸の体にベッドの掛け布団だけ巻き付けて、余韻の呼吸に耳を傾けていたら、彼はこちらを向き直してそっと聞いてきた。

「はじめて、これはとても理不尽だ、と思った記憶は何?」

「うーん…」

「僕はね、すごく小さい時。弟だけ車のおもちゃを買ってもらえたんだけど、兄であるという理由で僕は買ってもらえなかったことがあってね。そのとき、とても、すごく、理不尽だと思った。それと同時にね、世の中ってこういうことでいっぱいなんじゃないかなって思ったんだ」

「うん」

「それを、思い出していた。ほんとうにこの世はそういうことだらけだなと思っているから」

「だからあなたは、何かを諦めるのが早いんだね」

「それは、きっとほめていないよね」

「もうすこし、粘ってもいいのかなって思う時がたまにある」

「きみが別れたい、と言った時とか?」


今までに一度だけ別れを告げたことがある。彼は「そうか」と言っただけだった。そのまま立ち去ろうとしたけれど、寂しくてそんなことができなかった。ただ、彼のことを試してしまったという事実と後悔だけが残った。最低だと思ったけれど、その懺悔に対しても彼は「そうか」と言った。それを「強さ」だと思っていたのだけれど、そうとも限らないのかもしれない。


「あのときはこちらが悪かっただけ」

「よくない、どちらか一方だけが悪いということはこの世にはあまりないから」

「さっきの質問だけど」

話を無理やり元に戻す。よくない癖だ。

「理不尽だと思った時、という記憶がない、かも」

「生まれた時から理不尽?」

「ダサい歌詞みたいか」

「そうだけど、」

「いつからか、グラデーションのように、理不尽さに気づいていった、という表現が適切かも」


境目を感じることがあまりない。境目を避けているのか、消しているのかはわからない。けれど、いつのまにかこの世の全てが不条理だということに気づいていたし、いつもいつのまにか裸になっている。ご飯を食べているうちに夜になって、泣いているうちに朝になるように。


「きみがそう、だんだんと変化していくところをつぶさに見るのが、僕は好きなんだ」

「だんだんと、裸になることとか?」

「そう。きみはそうやって、この世がめちゃくちゃだということに気がついたんだね」

「うん、多分そうなのだと思う」


会話は薄暗い部屋の空気に溶けていく。そこにどろっとなった思考も溶けていって、彼と、部屋と、光とシーツのすべてが一つになって、理由はなく、とても不条理に眠りについた。


(了)

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シーツ やまこし @yamako_shi

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