第14話 涙

 ハルが死んだ。いなくなった。私に言葉を残した。とても強い呪いの言葉。

 あれから何年経っただろうか。未だに生きる理由は見出せない。見出す気力すら無い。なボロボロになった身体と精神で無意味な時間を過ごしている。


 これから新しい生活が始まる筈だったのに。二人で自由に生きて、美味しいもの食べて、楽しい場所行って、身体を交わせて、老いていって。

 そんな思い描いていた理想像は夢物語となってサラサラと手のひらからこぼれ落ちた。


 私に残ったのは刑罰だけだった。それだって納得なんて出来なかった。いくら叫んでも、主張を語っても無意味だった。実体の無い司法という概念に反抗する方法を私は持ち合わせなかった。

 マスコミは面白おかしく報道を続ける。私は社会に溜まる鬱憤のガス抜きとして消費された。義理の娘を健気に世話していた良き父親を殺した異常者の女。しかも娘は精神を病み、父を追うかのように飛び降り自殺。

 物事には分かりやすい正義と悪が必要だった。私は後者に選ばれた。


 刑務所を出た後だってマトモな生活が出来るわけがなかった。ネットに流れる赤の他人による誹謗中傷。就職だって出来ない。買い物すら顔を見られないように怯えなければいけない。


 何のために生きているのだろう。主義?思想?そんな大層なものは持ち合わせていない。だだの空っぽな人間だ。


 フラフラと無意味に外を歩く。虚な目はただ脳に現在地を伝える。危険信号などは一切発せられない。頬の横をトラックが通り過ぎようがどうでも良かった。


 川が目に入った。あの日、びしょ濡れの中、ハルに初めて出会った思い出の川。穏やかな流れで、河川敷には彩り豊かな花たちが咲いている。

 花弁を散らさぬように慎重に河川敷を下りる。川の水深はせいぜい十センチといったところだろうか。

 懐かしさと悲しさが同時に押し寄せる。ここにいたら余計に虚しくなるだけだ。そう思いハルが踵を返そうとした時。


「シオン。」


 誰かが私の名前を呼ぶ。いや、誰かは一瞬で分かった。でも、その人は二度と会えない筈だった。


「……ハル!」


 信じられなかった。夢でも見ているのかと目を擦った。だが、夢じゃない。反対の岸にハルがいる。

 私は迷わず川に足を踏み入れた。一歩、一歩と進む度に身体は若返り、あの時の十代後半の姿に戻る。


「ハル!ねぇ、ハル!私だよ!待ってよ!」


 だが、近づけば近づくほどハルは何故か離れていった。

 あと少しで対岸に渡れる。理性なんて残っていなかった。ハルに触れられれば今までの人生全てが報われる。そんな気がした。


 足から冷たさが消える。地面の感触を踏み締める。そしてそれを勢いよく蹴ると、一直線にハルを目指した。


「ハル!ハル!ハル!ハル!ハル!ハル‼︎」


 今までこんなに早く走れたことなどなかった。意思の強さというものを実感した。

 ハルは足を止め、その場に立ち止まった。その後ろ姿目掛けて飛び掛かる。二人は勢いのままゴロゴロと花畑の中を転がり向かい合った。


「やっと会えた!嘘みたい!夢じゃないよね⁉︎」


 頬をつねる。痛みを感じる。夢じゃない。

 

「貴女がいれば他には何もいらない。私の全ては貴女のものだから。」

 

 シオンはハルの唇に口付けをした。


「大好きだよ。」


 そう言うとシオンは満面の笑みを見せた。だが、ハルは不思議なほど感情を表さない。ずっとシオンを見つめたまま固まっていた。


「どうしたの、ハル。私は本物だよ?」


 シオンはハルの手を取り、自らの胸に手をかざすよう促した。


「ね?夢じゃないのよ。」


 ハルの目からは涙が一滴、二滴と溢れ始める。やがてそれらは一つになり、大きな滝を作り出した。

 シオンもその姿を見ると、同調して今まで抑え込んできた気持ちが溢れ出した。


「私も嬉しいよ。こうして貴女と再び会えるなんて思ってもいなかった。」


 シオンはハルに抱きつく。ぎゅっと抱きしめる力が自然と強くなる。涙を流しながら表現しきれない程の大きな感情を言葉ではなく身体で伝えた。


「ごめんなさい……。」


 ごめんなさい。ハルのその言葉に耳を疑った。だって、何に謝っているのか分からなかったから。ようやく出会えて、初めて発したのが謝罪の言葉。


「ごめん…なさい……?」


 シオンは抱きつく手を離した。するとハルはその場に倒れ込み、地面に突っ伏したまま謝罪を続けた。


「ごめんなさい……。ごめんなさい……。私のせいで…。ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい。」


 まるで土下座をしているようだった。


「やめてよ……。」


 お願い、それはやめて。

 

 貴女が謝る必要なんて無いの。貴女には何の罪もないのだから。

 

 だから、頭を上げて。私に顔を見せて。

 

 また一緒に楽しく暮らそう。今度は全部一から始めよう。きっと前より楽しくなる。


 ね?だから謝るのをやめて?ほら、私の手を取って。


 やだよ。やめてよ。そんな貴女見たくない。


 お願いだよ。


「笑ってよ……。」

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彼女が死んだ 外都 セキ @Kake0627

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