だって夢の中の話でしょ?

みこと。

全一話

 これはある国の、侯爵令嬢のお話でございます。

 緑豊かな大国に、それはそれは美しい、非の打ちどころのないご令嬢がいました。


 ご令嬢の名はエルフィナ。

 王太子であるヘンドリック第一王子のご婚約者であり、周囲はその結婚を待ち望んでおりましたが──。



   *


    *


     *



「エルフィナ・ルーネクス侯爵令嬢! お前との婚約は今日をもって破棄する」


 建国を祝う宴の席で突然、大きな声が響き渡る。

 その内容を理解した周囲は、いっきに緊張と視線を走らせた。


 注目が集まった先にいるのは、この国の王太子ヘンドリック。そして彼の腕には、見慣れぬ貴族の娘が抱き留められている。


 ふたりに相対する位置に、侯爵家のエルフィナ。


「そして俺は、このユリー・ベレンセ男爵令嬢を新たな婚約者とすることを、ここに宣言する」


 ユリー・ベレンセ男爵令嬢。その名前には聞き覚えがある。

 "では彼女が最近噂の王太子の恋人か"と、周りの貴族が頷いた。


 これは……、修羅場になる……!


 居合わせた誰もが固唾を飲み、見守る中。

 名指しされたばかりのエルフィナが、花のような笑みを見せた。


「殿下からの婚約破棄、承知しました。新たなご婚約を心よりお祝い申し上げます」

 そう言って可憐なドレスを両手でつまみ、最上のカーテシーを披露する。


 え……?


 えらく、物わかりが良い。

 良すぎる。


 何かあるのでは?


 周りの誰もが思った疑念を、王太子も抱いたらしい。


「本当に、わかっているのか……? お前はもう、お払い箱だぞ?」


 探るように確認する。


「もちろん、わかっておりますわ。これがだということも」


「……なに?」


 夢の中?

 どういうことだ?


 王太子はもちろん貴族たちも、エルフィナの真意が掴めず、互いに顔を見合わせた。

 エルフィナが笑顔のまま、言葉を続ける。


「だって現実の殿下は、とてもお優しい方ですもの。わたくしに夢中で、他の女性には目もくれず、わたくしだけを大切に愛してくださいますわ」


 そう語るエルフィナの姿こそが、夢見る乙女そのもので。


 ああ。と落胆のため息が、そこかしこで発せられた。


 エルフィナは"願望"を語っている。

 王太子がエルフィナを気遣っている姿など、誰も見たことがない。


 婚約者としての責務で、最低限の付き合いしかしていないことは、国中が知っていた。ユリーが現れてからは、それすらもおざなり。互いの仲は冷めきっていたはずだ。


 気の毒に。ショックのあまり、彼女は気がふれてしまったらしい。

 残念だが、侯爵令嬢はもう終わりだ。


 どちらにせよ、婚約破棄された令嬢には瑕疵がつく。

 おそらくは侯爵家でも持て余され、遠からず修道院に入るか、領地での病気療養となるだろう。


 王国が誇る美貌の令嬢の行く末に、人々は哀しみを抱きつつ、そっと見守った。

 そんな中、当のエルフィナは淑女としての控えめな慎ましさを投げ捨てて、あっけらかんと笑う。


「夢の中の話など、痛くも痒くもありませんわ。所詮しょせんは"夢"です」


 王太子も、後味の悪さを感じたのだろう。

 早々に彼女を視界から、追い出すことにしたらしい。


「くっ。夢だというのならば、それも良かろう。お前との縁はこれまで。さっさと退場するが良い!」


 その一言で、エルフィナが扉に向かう。


 "おいたわしい……"

 ささやく声が、エルフィナの背を見送った。


 それが、社交界でエルフィナを見た最後だった。


 その後、父・ルーネクス侯爵の命で、エルフィナが修道院に向かう途中。

 道すがら、襲来した魔竜に馬車ごと連れ去られたという噂が流れ。


 そこそこの期間が設けられた後、王太子はユリーを妃に迎えて、王国は何事もなかったかのように日々を重ねた。


 そんなある日。


「魔王軍だ! 魔族の軍が攻めて来たぞ!!」


 城を飲み込むような大きな満月の夜、国には悲鳴が響き渡った。


 魔竜の翼が、ヘンドリックの視界いっぱいに広がる。

 そしてその魔竜の背には──。


「エ、エルフィナ……?」


「ふふふ。何を怖がってらっしゃいますの、殿下。これはのお話でございますから。平気でございましょう」


「そ、そなた一体──。なぜ、魔王軍と共にいる?」


「まあ。それは魔王陛下が、わたくしの愛しい旦那様だからです」


「なっ!」


「わたくしを大切にしてくださっていた方は、ヘンドリック殿下ではなかったみたいです。わたくしに片恋くださった魔王陛下が、あなた様の姿を使い、口説いてくださっていたと判明しまして。それでわたくし、彼の熱意にほだされ、結婚を承諾いたしました。婚約は破棄されて自由の身でしたし、人間社会からも放逐されておりましたしね」


「そそそそ、それで、今夜は何用で来た!? こんな夜中に軍勢を引き連れ、先触れも無しとは無礼であろう!」


「夢は夜、予告もせずにやってくるものでございますよ、殿下」


「夢? 夢ではなかろう、これは──」


「夢でございます。夢の中、いいえ、正確には"腹の中"」

「腹……?」


「よくご覧くださいまし、あなた様のお隣にいるユリー妃を」

「な……? っつ、ユリー?!」


 ヘンドリックは、目玉が転がり落ちるほど驚いた。

 彼の隣にいたのは、可愛い妻ではなく、誰ともわからぬ人骨。皮膚もなく、わずかばかり残った肉が、いまにも剥がれて落ちそうな、ドレスを着た、むくろ


「ひぇぇっ」


 慌てて骨をつき飛ばし、そして自身の手指を見て、再び驚愕する。

 そこに肉はなく、ヘンドリックの指もまた、白くくすんだ骨であったから。


「な、なぜ! 何があってこんなことが!」


「お忘れですか? 殿下」


 が、魔竜の背からするりと降りる。

 ヘンドリックに近づきながら、姿を溶かし、へと成り代わっていく。


「あの日あの夜、あなた様をはじめ王国の人間たちは皆、魔物の腹に収まりました。殿下はわたくしが乗った魔竜に、こう、ぱくん、と」


 影が手でカタチを作る。飲み込む竜の口と、飲み込まれる小さな人を。


「ひっ、ひぃっ」


「あなた様は魔竜に食べられたのです。魔竜の魔力に抑え込まれ、魂が外界に出ること叶わず、何度もかつての栄華と悲惨な結末を再生し続けている。その意味では魂がみている夢、とも申せましょうが。とどのつまりは、腹の中ですわ」


 からからと、影が笑う。エルフィナの声で。


「お、お前はなんだ? エルフィナではないのか!?」


「ふふふふ。わたくしは殿下の"後悔"。罪の意識が見せている"幻"。ふぅぅ、この説明、何度目ですか? これを永久に繰り返すなんて、わたくしもいささか面倒なのですが」


「永久、だと?」

「永久は言い過ぎですわね。魔竜の命が尽きるまで、数千年程度かしら」


「な──」

「本物のエルフィナは、外の世界で幸せに過ごしていますわ。魔王陛下の妃として、あなたの夢に付き合うことなく」


「そ、んな……」

「なんのとがもない相手を、理不尽に貶めるからそうなるのです。さらに侯爵に圧をかけ、邪魔なエルフィナを追い出させた。魔竜の襲撃などと嘘を並べ、馬車を滑落させて殺害しようとするなんて。ていよく罪を押し付けられた魔王軍が怒るのは、当然では?」


「では、そのせいで……?」

「それがきっかけで、エルフィナと魔王陛下の縁がつながったことは、事実ですわね」


「あ……、あ……。俺は、なんと愚かなことを……」


「本当におろか。あなたの国は、いまは廃墟。ホネガイのように空虚な城が、残っているだけ。さあ、次はどこから繰り返しますか? 演出はどうされます? 今度は"夢の中"設定はやめましょうか。何度でもやり直せますよ。何せ時間は、無限にあるですから」


 影は闇に消え、そしてヘンドリックの意識もまた、闇に引き込まれた。


 新しい夢を、見始めるために──。





     *


    *


   *





「と、いうハロウィンなお話を作ってみたのですが、いかがでしょう? ヴィム殿下」

「怖いよ、ルルネル! 僕は浮気なんてしてないから! 婚約破棄だってしないから! ノーラとは何でもない。本当だ。あれは周りが勝手に吹聴してるだけで、事実無根だ」

「あら、いやですわ。嫌味とか脅しではなく、ただの物語ですってば」


 北風が窓を叩き、暖炉の火がはぜる王宮の一室で、公爵家の長女ルルネルがにっこりと微笑む。


「わかった。ノーラの件は何とかする。周囲に厳命して、おかしな噂を流さないよう、取り締まるから」

「殿下自身も、お気をつけくださいませんと」

「わかってるって! だからもう怖い話はやめてくれ。僕は苦手なんだ! 夢に見てしまう」

「では添い寝しましょうか? 今夜一緒に……」


 長椅子に座る、隣同士の距離を詰められて、甘い香りがヴィムをくすぐる。

 

「それはそれで拷問だよ、ルルネルっ。僕の忍耐を試すんじゃない」

「かまいませんのに」

「だああっ、キミを大切にしたいから、婚前交渉は無しだって、言ってるだろう?」

「はぁい。では次は、甘い甘い恋人たちのお話をしましょうか。……このお話は、口づけから始まるのです」

「え」

「口づけると、幸せなお話が聞ける仕組みとなっております」

「ええっ」

「怖い話の記憶を塗り替えたいのでしょう? さ、殿下、お早く。口づけ先はこちらでございます」


 ルルネルの形の良い指先が、自身の口元にそっと添えられる。

 ほんの僅かな時間、葛藤する様を見せたヴィムは、最愛のおねだりにあっさりとけた。


「っつつつ、もぉぉぉぉ」


 瑞々しい桜桃色の唇が、軽く優しく塞がれる。

 次の物語が始まるまで、ひとときの幕間まくあい



 物語を作るのが大好きな令嬢がいるこの国は、円満な夫婦が多い国、と近隣諸国に知られている。

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だって夢の中の話でしょ? みこと。 @miraca

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