第4話 春日・ワニ氏系氏族の概要
第一節……「初めに」
春日・ワニ氏系氏族とは、五代孝昭天皇の長子である天足彦国押人命の後裔を称する氏族で、春日氏又は和珥氏を中心とした諸氏族である。
その後裔氏族は『記』では「春日臣、大宅臣、粟田臣、小野臣、柿本臣、壹比韋臣、大坂臣、阿那臣、多紀臣、羽栗臣、知多臣、牟耶臣、都怒山臣、伊勢飯高君、壹師君、近淡海国造」であり、『紀』では「和珥臣等」であると記されている。また『姓氏録』では「大春日朝臣、小野朝臣、和安部朝臣、和邇部宿禰、櫟井臣、和安部臣、葉栗臣、吉田連、丸部、丈部、栗田朝臣、山上朝臣、眞野臣、和迩部、安那公、野中、小野朝臣、粟田朝臣、小野臣、和迩部、大宅、葉栗、村公、度守首、柿下朝臣、布留宿禰、久米臣、井代臣、津門首、物部首、和迩部、物部、大宅臣、壬生臣、物部、葦占臣、物部、網部物部、根連、櫛代造」であるとしるされている。
第二節……「『記紀』の中の春日・ワニ氏系氏族の系譜伝承」
ここでは、『記紀』の中の春日・ワニ氏系氏族の系譜伝承について論じていく。なお多氏系氏族と同じく『思想大系、記』を参考にして論じている。
和珥臣……孝昭天皇紀六十八年に「天足彦国押人命此和珥臣等始祖也」と伝え、大和国添上郡南部の和邇(奈良県天理市和爾)より起こった氏族。『延喜式、神名帳』添上郡には和爾坐赤坂比古神社と和邇下神社がある。『記』の孝昭段の天押帯日子命の記述には、この氏族と同祖の氏族に春日臣。大宅臣。粟田臣。小野臣。柿本臣。壹比韋臣。大坂臣。阿那臣。多紀臣。羽栗臣。知多臣。牟耶臣。都怒山臣。伊勢飯高君。壹師君。近淡海国造の十六氏を記している。
但し、加藤謙吉(11)はワニ氏の氏名の由来をサメの古語である「ワニ」であるとし、そこから春日・ワニ氏は漁労民と関係し海運・水運等を掌っていたのではないかと述べていた。
春日臣……大和の春日の地を本拠とした氏族。後に大春日臣と称し、天武十三年十一月、朝臣姓となる。『姓氏録』左京皇別に大春日朝臣の本系を載せ「出自孝昭天皇皇子、天帯彦国押人命也。仲臣令下家重千金。委糟為上堵。于時、大鷦鷯天皇(謚仁徳)臨幸其家。詔号糟垣臣。後改為春日臣。桓武天皇延暦廿年、賜大春日朝臣姓」の伝承が見える。雄略紀元年三月是月条に春日和珥臣深目の名が見え、春日和珥臣は雄略紀十三年八月条の春日小野臣大樹、仁賢元年紀二月の和珥臣日爪そして孝徳紀の白雉四年五月壬戌条での春日粟田臣百済の例からすると、春日氏から丸邇(和珥)氏が生じたと見られるが、丸邇氏の本流である丸邇臣の呼称は、欽明朝以後見えなくなるので、丸邇氏が継体・欽明朝頃から春日氏を称するようになったという考えもある。
大宅臣……大和の大宅の地(大和国添上郡大宅郷。奈良市古市町付近か)を本拠とした氏族。天武十三年十一月、大春日臣らと共に朝臣姓となる。『姓氏録』河内皇別に「大春日同祖。天足彦国押人命之後也」とある。『和邇部氏系図』(12)の忍勝の尻付に「大倭添県大宅郷住、負大宅臣姓」と見える。
粟田臣……山背の粟田即ち山城国愛宕郡粟田郷(京都市街東部、吉田から東山三条付近にかけての一帯)を本拠とした氏族。天武十三年十一月に朝臣姓となる。『姓氏録』右京皇別に「粟田朝臣、大春日朝臣同祖。天足彦国忍人命之後也」、山城皇別に「粟田朝臣、天足彦国押人命三世孫、彦国葺命之後也」とある。
小野臣……山背の小野即ち山城国愛宕郡小野郷(京都市街東北部、高野付近)を本拠とした氏族。天武十三年十一月に朝臣姓となる。『姓氏録』左京皇別「大春日朝臣同祖。彦姥津命五世孫、米餅搗大使主命之後也。大徳小野臣妹子、家于近江国滋賀郡小野村。因以為氏」・山城皇別「孝昭天皇皇子、天足彦国押人命之後」に小野朝臣を載せている。このうち左京皇別の小野朝臣の記述には遣隋使で有名な小野妹子が記されている。小野妹子は近江国滋賀郡小野村に居住したので小野氏を称したとするが、同地は後の滋賀郡和邇村小野(滋賀県滋賀郡志賀町小野)で、『神名式』に見える小野氏の氏神小野神社の鎮座地である。『姓氏録』山城皇別、小野臣の本系では「同(天足彦国押人命)命七世孫、人花命之後也」とある。人花命を『和邇部氏系図』は「人華臣」に作り、その孫野依臣の尻付に「小野朝臣祖」とある。
柿本臣……大和の柿本の地即ち大和国添上郡柿本寺付近(奈良県天理市櫟本町東方)を本拠とした氏族。天武十三年十一月に朝臣姓となる。『姓氏録』大和皇別に「柿下朝臣、大春日朝臣同祖。天足彦国押人命之後也。敏達天皇御世、依三家門有柿樹。為柿本臣氏」とある。
壹比韋臣……天武紀十三年十一月条は櫟井臣に作る。大和の壹比韋(櫟井)の地即ち大和国添上郡櫟井(奈良県天理市櫟本町)を本拠とした氏族。天武十三年十一月、朝臣姓となる。『姓氏録』左京皇別に「櫟井臣、和安部同祖。彦姥津命五世孫、米餅舂大使主命之後也」とある。『和邇部氏系図』には米餅舂大使主命の孫に津幡臣(小野朝臣の祖野依臣の弟)を挙げ、尻付に「櫟井臣祖」とある。
大坂臣……備後国安那郡大坂郷(広島県深安郡神辺町)の地にちなむ氏族という説がある。『和邇部氏系図』では彦国葺命の孫八千足尼命を「安那公・大阪直の祖」とする。
阿那臣……備後の安那の地即ち備後国安那郡(広島県深安郡・福山市)を本拠とした氏族。「国造本紀」吉備穴国造条に「纏向日代(景行天皇)御世、和邇臣同祖、彦訓服命八千足尼定二賜国造一」と見え、『和邇部氏系図』の八千足尼命の尻付にも「国造本紀」と同様、吉備穴国造となったことを記し「安那公、大阪臣祖」と見える。『姓氏録』右京皇別は彦国葺命の後という安那公を載せる。『記』の「阿那臣」について「阿那公の誤りか」と記述していた。
多紀臣……丹波の多紀の地即ち丹波国多紀郡(兵庫県多紀郡)を本拠とした氏族と推定されている。『正倉院文書』「国郡未詳戸籍」に多紀臣広隅ら十七名の人名を載せる。
羽栗臣……山城の葉栗の地即ち山城国久世郡葉栗郷(京都府城陽市付近)を本拠とした氏族と推定されている。『姓氏録』左京皇別に葉栗臣を載せ「和安部朝臣同祖、彦姥津命三世孫、建穴命之後也」とある。山城皇別の葉栗条には「小野同祖。彦国葺命之後也」と見える。『続日本紀』宝亀七年八月条に山城国乙訓郡の人、葉栗翼が臣姓を賜わったことが見え、それ以前は無姓。『尾張風土記』逸文に尾州葉栗郡の光明寺を天武五年に小乙中の葉栗臣人麿が建立したとの伝えが見えることからすると、羽栗臣の本拠は尾張の葉栗即ち尾張国葉栗郡葉栗郷(岐阜県羽島市)の方が古いと推測されている。
知多臣……尾張の知多の地即ち尾張国智多郡(愛知県知多郡)を本拠とした氏族と推定されている。
牟耶臣……上総の武射即ち上総国武射郡(千葉県山武郡成東町周辺)を本拠とした氏族。「国造本紀」に「武社国造、志賀高穴穂朝、和邇臣祖彦意祁都命孫彦忍人命定二賜国造一」とあり、『和邇部氏系図』の彦忍人命の尻付にも武射国造となったことを記し、武射臣・春日部の祖とある。『続紀』神護景雲三年三月条に陸奥国牡鹿郡の人春日部奥麻呂らが武射臣の姓を賜わったことが見える。
都怒山臣……都怒山は角野(都乃)の地即ち近江国高島郡角野郷(滋賀県高島郡今津町角川)と推定されている。天平以降の人である角家足は角山君家足とも称しているが、彼は近江国「高嶋」郡の前少領であったことから、角山は高島郡内の地名と考えられている。山は『万葉集』に見える高島山と推定されている。『続紀』神亀元年二月条に角山君内麻呂の名が見える。『記』の都怒山臣は都怒山君の誤りか。
伊勢飯高君……伊勢の飯高の地即ち伊勢国飯高郡(三重県飯南郡南部)を本拠とした民族。古くは飯高県主であったらしく、『倭姫命世紀』・『皇太神宮儀式帳』に飯高県造(祖)乙加豆知命の名が見える。『和邇部氏系図』には乙加豆知命は伊勢国に居住し、飯高宿禰・壱志宿禰・伊部造の祖と見える。『続紀』天平十四年四月条に伊勢国飯高郡の采女飯高君笠目の親族県造すべてに飯高君の姓を賜わったことが見え、『続紀』神護景雲三年二月条に伊勢国飯高郡の人飯高公家継が宿禰姓を賜わったとある。『続紀』宝亀元年十月条以降には伊勢国飯高郡の采女飯高宿禰諸高の名が見える。
壹師君……伊勢の壹(壱)志の地即ち伊勢国壱志郡(三重県一志郡)を本拠とした氏族。古くは壱志県主であったらしく、『倭姫命世紀』に市師県造祖建呰命、『皇太神宮儀式帳』に市師県造祖建呰子の名が見える。『続日本後紀』嘉詳二年正月条に壱志公吉野、『文徳天皇実録』斉衡二年正月条に壱志宿禰吉野の名が見え、この間に壱志公から壱志宿禰に改姓したことが知られる。『和邇部氏系図』では乙加豆知命を壱志宿禰の祖とする。正倉院文書に天平勝宝末年頃の人として伊勢国壱志郡嶋抜郷の戸主壱志君族祖父の名が見える。
近淡海国造……実は近江の額田国造かと推定されている。「国造本紀」の「志賀高穴穂朝(成務)御世、和邇臣祖彦訓服命孫大直侶宇命定賜国造」とし、天押帯日子命系に属する。「国造本紀」の大直侶宇命は『和邇部氏系図』によって大真侶古命と訂せるという考えがある。『同系図』にも大真侶古命が成務朝に額田国造となったことが見える。
第三節……「『新撰姓氏録』内の春日ワニ氏系氏族の系譜伝承」
ここでは『姓氏録』内の春日ワニ氏系氏族の系譜伝承について論じていく。なお多氏系氏族のときと同様に『日本古代氏族辞典』が参考になった。
和安部臣・朝臣……大和国十市郡安倍の地を本拠とした氏族。孝昭天皇の皇子天帯(足)彦国押人命を始祖とする。『姓氏録』左京皇別下に和安部朝臣は「大春日朝臣同祖。彦姥津命三世孫。難波宿禰之後也」、和安部臣は『姓氏録』左京皇別下に「和安部朝臣同祖。彦姥津命五世孫。米餅舂大使主命後也」と見え、彦姥津命は天帯彦国押人命の子孫であるが、小野朝臣・和爾部宿禰・櫟井臣・葉(羽)栗臣等の祖とも伝えられる。和安部朝臣は旧姓臣で神護景雲二年閏六月に平城左京の人で従六位下の和安部臣男綱等三人が朝臣姓を賜わったのに始まるが、『姓氏録』和安部臣条は朝臣の賜姓に該当しなかった枝族の存在を物語っているという考えがある。
和邇部氏……丸部・和邇部・和珥部等にも表記され、ワニ氏の部民及び和爾部の伴造氏族。『姓氏録』には、(一)和爾部宿禰、(二)丸部(左京皇別)、(三)和邇部(右京・山城国・摂津国各皇別)の三氏族が見られる。(一)は大春日朝臣と同祖でワニ臣の始祖彦姥津命四世孫、矢田宿禰の後とする。姓はもと臣で天平神護元年に左京の人で甲斐員外目であった丸部臣宗人等二人に宿禰が賜与されている。一族には壬申の乱の功臣であった君手、その子大石等がいる。なお臣の姓を持つ和爾部も、尾張国葉栗郡・近江国滋賀郡・若狭国遠敷郡・加賀国加賀郡・因幡国法見郡・播磨国飾磨郡・讃岐国三野郡に分布する。いずれもかつては和爾部の地方伴造であったと思われ、地位の高い者が多い。(二)彦姥津命の子、伊富都久命の後とする。国郡で示すと、尾張国知多郡、参河国額田郡、伊豆国那賀郡、甲斐国巨麻郡、近江国坂田郡、美濃国安八・肩県・山方郡、越前国足羽・坂井郡、加賀国加賀郡、但馬国気多郡、因幡国法美郡、出雲国神門郡、播磨国讚容・穴栗郡、備前国都宇郡、讃岐国大内郡等に見える。(三)天足彦国押人命の後裔を称す。尾張国智多郡・若狭国三方郡・備前国上道郡・周防国玖珂郡に分布する。
丈部……丈部の氏名は、同名の部民名に因む。『姓氏録』左京皇別下「丈部。天足彦国押人命孫。比古意祁豆命之後也」と見える。丈部の分布は東海道、東山道、北陸道の各々大半の国々に認められている。また出雲国と周防国にも見られるように丈部は東国に重点を置いて設置されたと見られる。丈部の性格は昭和五十三年に埼玉県稲荷山古墳出土の鉄剣の銘文に「杖刀人」と刻まれていることが判明して以来、「杖刀人」が丈部=杖部に通じ、軍事的性格が強いとの説が出た。
吉田連……孝昭天皇の子孫である彦国葦命の後裔氏族。本姓は吉で、後に吉田と改める。『姓氏録』左京皇別下の吉田連には、彦国葦命の孫の塩垂津彦命が百済の己汶に遣わされその血で宰を吉と称していたことから、子孫の姓を吉氏としたとある。そして神亀元年に平城京の田村里にいたことにより、吉田連姓を賜姓され、弘仁二年に宿禰の姓を賜わったとされている。吉姓の者には学士で小山下となった吉大尚、文武天皇四年八月にその芸を用いるために僧恵俊から還俗して吉冝となり、吉田連と改姓した後天平五年十二月に図書頭、同十年閏七月に典薬頭に任ぜられ詩をよくした吉田冝がいる。吉田連には、宝亀二年閏三月に内薬正に任ぜられ、伊勢介・相模介等を兼任した吉田連斐太麻呂、冝の子で宝亀九年二月内薬佑兼豊前介、延暦三年四月に内薬正に任ぜられた吉田連古麻呂等がいる。医術に優れ、また文芸をよくしたものが顕著である。
山上朝臣……氏名は大和国添上郡山辺郷に基づく氏族。『和邇系図』の大島臣尻付に「大倭添県山辺郷住」、子の健豆臣の尻付に「山上臣祖」とある。『続日本紀』神護景雲二年六月壬辰条に、右京人従五位上山上臣船主等に朝臣姓を賜わったと見え、旧姓は臣。『姓氏録』右京皇別下に「山上朝臣。同(大春日朝臣同祖)氏。日本紀合」とある。山上氏には万葉歌人として有名な憶良の他、船主が陰陽関係の職を歴任し、国守が『弘仁格式』の編纂に当たり、野上は高麗国使の通事舎人を務めた。
真野臣……天足彦国押人命の三世孫である彦国葺命の後裔を称する氏族。この命の曽孫である大矢田宿禰が、神功皇后に従って新羅に赴いた際に、その国王の女子を娶って生まれた佐久命の九世孫である和珥部臣鳥と忍勝を祖とする。鳥等が近江国志賀郡真野村に居住し、『庚寅年籍』により真野臣の姓となったことが『姓氏録』右京皇別下に以下のように記されている。「天足彦国押人命三世孫、彦国葺命之後也。男、大口納命。男、難波宿禰、男、大矢田宿禰。從二気長足姫皇尊(謚神功)征伐新羅。凱旋之日、便留為鎮守将軍。于時、娶彼国王猶榻之女。生二男。々々兄、佐久命。次、武義命。佐久命九世孫、和珥部臣鳥・努大肆忍勝等、居住近江国志賀郡真眞野村。庚寅年、負真野臣姓也」
野中……『姓氏録』右京皇別下には「野中。同(天足)彦国押人命之後也」と記す。野中の氏名は河内国丹比郡野中郷の地名に基づく。この地は渡来系の氏族である船氏の本貫地でもあり、また『日本後紀』延暦十八年三月丁巳条に、「葛井。船。津。三氏墓地。在河内国丹比郡野中寺以南」とあることから、渡来系氏族の集住した地域であった。
村公……大春日朝臣の同族。『姓氏録』山城国皇別に「村公。天足彦国押人命之後也」とある。天足彦国押人命は孝昭天皇の皇子で、和邇臣等の祖。村公という氏姓は「村の君」という意味で、村長としての職名に因むものか。
度守首……渡守とも記される。河川を渡船することを職掌としていた氏族で氏名はその職掌に基づく。『姓氏録』山城国皇別に「度守首。村公同祖」とある。
布留宿禰……布瑠とも記される。布留・布瑠の氏名は大和国山辺郡石上郷御布留村の地名に由来し、同地の石上坐布留御魂神社の祭祀に与った。もと物部首と称していたが、天武天皇十二年九月に連姓を賜わった後、氏名を布留と改め、同十三年十二月に宿禰姓を賜わった。『和邇系図』の尻付に「物部首。布留宿禰祖」とある。『姓氏録』大和国皇別に「布留宿禰。柿本朝臣同祖。天足彦国押人命七世孫。米餅搗大使主命之後也」と記している。
久米臣……久米の氏名は、後の大和国高市郡久米郷の地名に基づき『姓氏録』大和国皇別には「久米臣。柿本同祖。天足彦国押人命五世孫、大難波命之後也」と記されている。『和邇系図』は大難波宿禰命に作り、その子孫の佐都紀臣の子、河内臣、その子、美奈古臣の子に山栗臣を掲げ、その尻付に「居高市評久米里。負久米臣姓」と見える。
井代臣……井手・井出とも記される。『姓氏録』摂津国皇別に「井代臣。大春日朝臣同祖。米餅搗大使主命之後也。居大和国添上郡井手村」とあるので、氏名は大和国の居住名に基づく。摂津国豊嶋郡井手邑は後に井出臣氏が居住したことに由来するものと推定されている。
津門首……後の摂津国武庫郡津門郷を本拠とした氏族と見られる。『姓氏録』摂津国皇別に「井代臣。大春日朝臣同祖。米餅搗大使主命之後也。居大和国添上郡井手村」と伝え、河内国神別に「津門首。同神(神饒速日命)六世伊香我色男命之後也」とあるように皇別系と神別系の二流がある。
物部氏……物部氏は本来神饒速日命の子孫即ち神別であるが、これとは別の物部氏があり、それが『姓氏録』摂津国皇別に「物部首。大春日朝臣同祖(米餅搗大使主命之後也)」とある他、大和国皇別の布留宿禰条には斉明朝に武蔵臣が物部首・神主首と称したという所伝を載せているが、その本宗家は天武天皇十二年九月に連姓を賜わっている。その同族で無姓の物部氏は『姓氏録』河内国皇別・和泉国皇別に記載されている。
羽束首……摂津国の氏族。氏名は土作・造瓦や石灰を焼く泊橿部の伴造氏族に由来し、摂津国有馬郡羽束郷の地を本拠とする。『姓氏録』摂津国皇別には「羽束首。天足彦国押人命男。彦姥津命之後也」と孝昭天皇の皇子である天足彦国押人命の男彦姥津命の後とされている。
壬生臣……壬生の氏名は壬生部の伴造の氏族であったことに基づく。『姓氏録』河内国皇別には「壬生臣。大宅同祖」と記されているが、佐伯氏は「原本には大宅の下に『臣』の一字があり、また同祖の下に「天足彦国押人命」の十字があったはずである」と述べていた。また天足彦国押人命の後裔を記す『和邇系図』の鯨子臣の尻付に「仁徳天皇朝為壬生部供奉」とあることから「けだし『姓氏録』の壬生臣は鯨子臣の系統の氏族」と推測していた。
葦占臣……葦浦とも記される。氏名の由来は備後国葦田郡葦浦郷もしくは『紀』安閑天皇二年五月甲寅条にみえる近江国葦浦屯倉の地名に推定される。『姓氏録』和泉国皇別に「葦占臣。大春日同祖。天足彦国押人命之後也」とある。
網部物部……氏名の由来は「網部を掌れる物部氏の由」か、「和泉国依網の地にありし物部」かは未詳だが、後説が妥当という考えがある。
根連……禰・禰江とも記される。氏名は和泉国日根郡日根里の地名に基づくものと推定されている。『紀』天武天皇元年六月条には根連金身が見える。『姓氏録』和泉国皇別下に「同上(布留宿禰同祖。天足彦国押人命之後也)」とある。
櫛代造……氏名の由来は『和泉志』にみえる和泉国日根郡櫛代祠の鎮座地の地名と推定される。『姓氏録』和泉国皇別に「櫛代造。同上(布留宿禰同祖。天足彦国押人命之後也)」とあり、また『和邇系図』彦武宇志命の尻付に櫛代造の祖と見える。
額田国造……「国造本紀」は「志賀高穴穂朝御世。和邇臣祖彦国服命孫大直侶宇命。定賜国造」と記すが、『和珥部氏系図』が彦国葺命の孫に眞侶古命の系を掲げ、その譜文に「一云大眞侶古命志賀高穴穂大宮朝定賜額田国造」とするので、「大直侶宇命」は「大眞侶古命」の誤りと解することができる。一族の人物には、明法博士として著名な額田国造今足がおり、彼は弘仁十三年から天長三年まで「額田国造」の氏姓で史料に表わされ天長六年には、「額田宿禰」と記される。本拠地は参河国額田郡額田郷や近江国坂田郡付近、美濃国池田郡額田郷にあてる説がある。
(11)加藤謙吉『ワニ氏の研究』
(12)加藤氏によると、駿河浅間神社旧蔵とされる系図で、「太田亮が『姓氏家系大辞典』で紹介されたものである」という。また史料的価値は高いという。
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