第6話 結論
さて、前三章を通して、初代神武天皇の長子である神八井耳命を祖とする多氏系氏族の同族系譜伝承と五代孝昭天皇の長子である天足彦国押人命を祖とする春日ワニ氏系氏族の同族系譜を私なりに、それらの概要を述べ、それについての総括を行ってきた。
その総括で考察してきたことを踏まえて、小論の最初の方で問題提起した、初代神武天皇と二代綏靖天皇から九代開化天皇のいわゆる欠史八代までの系譜伝承の古代史的意味について論じなければならない。
私は前章で、神八井耳命を祖とする多氏系氏族と天足彦国押人命を祖とする春日ワニ氏系氏族について、それらの始祖を同じくし、その始祖から派生した大和内の氏族と地方の豪族が同じ血縁関係を持っていることを表している同祖・同族系譜というものは、何の関係もなく、何の影響を受けなければ形成されることはないことを論じた。また、始祖や同族とされている氏族と何の関係も持たず、影響を受けていないのに仮冒が行われたり、始祖を創作したりしていたならば、「旧辞的記事」の有無等が、それらの系譜の説得力と関係して、簡単に形成できるものでもないことを論じた。以上のことは、今回の小論の第一章で取り上げた『記紀』に記載されている他の歴代天皇の系譜伝承にも同様のことが言えるであろう。
以上のことを踏まえて、『記紀』にしるされている神武天皇以降九代また小論では取り上げないそれ以降の古代天皇系譜伝承は、『帝紀』・『旧辞』が、そして『記紀』が編纂された時期に急ごしらえで創作されたものではなく、ある時期に核となる出来事または人物等の伝承があり、それが長い時間を経て語り継がれていったものであると考えざるをえない。
そして各地の氏族・豪族が自分の祖先に仮冒できたことも、それらの地域に古代天皇系譜伝承つまり、王権の子弟の伝承が伝播していったからだと考える。
そしてそこから、とても『記紀』編纂された八世紀はもちろんいわゆる『帝紀』・『旧辞』が作られるようになった六世紀頃に急ごしらえで、できるものではないのではないかと思う。
確かに人によっては、私のこれまでの考えに対して、氏族または天皇系譜伝承について、ある時期に「核となる出来事または人物等の伝承」があり、それが長い時間を経て語り継がれていったものと考えるのは早計と考えて、「伝承というものは時の流れとともに潤脚色・誇張が雪だるま方式に積み重ねられていくものであり、核となる伝承が単純に地方に伝播していったわけではない」と言うであろう。
ごもっともな反論である。このため、この小論を書いている時点での反論をするならば、今回取り上げた欠史八代については、旧辞的記事の内容とその有無の関係によって、その系譜内の皇族を始祖にし、その始祖としている氏族と同族系譜を形成している地方氏族にとって動かしがたい事実と伝承があったからではないだろうか。
伝承が代々語り継がれていることはもちろん実在が確実視されている崇神天皇以降ならば、旧辞的記事が豊富である。このため、自分たちの立場を正当化、確固たるものにするために、崇神天皇以降の皇族を始祖とした系譜を創作したり、それらを始祖とする氏族と同族系譜を形成したであろう。
鈴鹿千代乃(24)は、欠史八代の系譜がいずれも「ハツクニシラススメラミコト」と読まれる神武天皇と崇神天皇の間にあることに着目し、「国生み、開拓をして来られた天皇家の長い長い歴史があったのだという意識―即ち、神話をも内に包んだ歴史意識」が定着したことを意味すると論じていた。
直木孝次郎(25)は「欠史八代をめぐる氏族系譜の成立は、天皇中心の古代国家形成過程の一面を表している」と述べていた。
等々、今回取り上げた欠史八代について論じた先学は様々であるが小論の文字数の制限上割愛せざるをえないが、欠史八代の系譜伝承について様々な論考を述べていた。それは主に系譜伝承の信憑性の有無と伝承が編纂時に創作されたものか代々語り継がれてきたものかというものであった。そのように様々な論考に目を通してきたが、現時点での私見を述べていく。
日本古代氏族は、同じ血族とされる者たちが自分たちの共同体意識を高めるために、その自分たちの共通の始祖を起点とした系譜を生み出しそれを語り継いでいった。
そのような系譜伝承を持っていた氏族は古代日本には数多くいたのである。その数多くいた氏族の中に他の氏族との婚姻等で関係を作り、力をつけていった氏族が現れた。その氏族は、さらに婚姻だけではなく、氏族間の盟約や自分たちより格下の氏族は暴力等で放逐や服従させて勢力版図を拡大させていった。その間に、勢力版図拡大を行っていった氏族は、自分たちの氏族系譜に勢力を拡大させていった地域の氏族を、自分たちの系譜伝承に繋げることをしていった。またその逆で、勢力拡大・他地域を征服している氏族に、被征服等の影響を受けた氏族が、その服従の証として、自分たちを降服させた氏族の系譜伝承に自分たちが持っていた系譜伝承をつなげていったと考えられる。
その勢力版図を拡大させていったのが後の大和王権であり、その版図に組み込まれ、王権の同族系譜に組み込まれるか、組み入れたのが地方諸氏族である。
以上の考察から、私は神武天皇と欠史八代の系譜伝承は、よく言われる史実か創作かは別として、そのような基軸となる伝承を持っていた大和王権が自分の下の氏族を、その氏族が地方諸氏族を支配下に置いていく過程を見ることができると考えている。もちろん、そのことは欠史八代以降の系譜伝承にも当てはまるであろう。
そのことが、本作の題目でもある「古代天皇系譜伝承の古代史的意味」だと考えられる。
(24)「欠史八代の意義」『国学院雑誌』八十二巻十一号 一九八一年
(25)「欠史八代と氏族系譜」『神話と古事記・日本書紀 直木孝次郎古代を語る(3)』
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