第7話

 この村に着いて三日目の朝は慌ただしいチャイムから始まった。銭湯は、朝早くから来店する客が少なくない。当たり前だが、それより早く準備をしなければならないので、朝は大慌てだ。


 慣れた手つきで仕事をするエチカ。


 「ツダさん、こっちのお掃除頼みます。バケツだけ持っていってください。中に主人がいるので詳しいことは主人から教わってください。」

と、手際よく作業する弓子さんは言う。弓子ゆみこさんはエチカの叔母さんだ。昨日始めて名前を教えてもらった。

 

 俺は、言われた通りバケツを持って男風呂のほうへと急いだ。朝五時の男風呂で一人浴槽を磨いていたのはエチカの叔父である克太郎かつたろうさん。いつものおっとりとした表情は変わらないが、仕事モードの迫力があった。


「克太郎さん、これ持ってきまし―」


「危ないッ!!…ツダさん、そこは滑りやすいからね、走ってはいけません。」

 

 俺は気圧されて小さくはい、と言った。早速叱られてしまったか。克太郎さんの顔つきは、ほんの一瞬厳しくなったが、つぎの一瞬には元の柔らかい表情に戻っていた。


 「ふぅ〜、とりあえずこれで終わりだね。」

 朝の大仕事を終わらせたエチカが、額の汗を手で拭った。そして、早々と食卓につき朝ご飯をかきこんだ。


「どうしてそんな急いでるんだ?もっとゆっくり食べればいいのに。」


味噌汁をごくごくと飲み切ったエチカは、

「だって今日学校だもん。」

と言って俺を睨んだ。


 教員のくせしてすっかり忘れていた。今日は月曜だったか。たしか、自分の担任しているクラスは別の先生が入ってくださっていると聞いた。これから合唱祭があって忙しくなるのに、大変、申し訳ない。


 今はニート、いや、銭湯従業員だが、また復帰したときにはなにかお礼ができたらいいなぁと、そんなことを思っていたら克太郎さんの声が聞こえた。


「今度はこっちを、頼む!」


 言われてついてきてみれば銭湯・サクラバのすぐ横、つまり水崎家だった。


「えっ、銭湯の掃除だけじゃないんですか?」


「えぇ?倫果が、家事もしてくれると…」


 なるほど、俺を家政夫みたいにこき使おうってことか。エチカが叔父さんたちになんて説明したのかを俺は理解した。


 しかし、嫌な気持ちは不思議としなかった。言われてやっていることに変わりはないが、門路先生と克太郎さんでは大違いだ。


「二階の掃除をお願いします。」克太郎さんに言われ、俺は掃除機を走らせた。すると螺旋階段の真ん中あたりに写真が掛かっていた。そこに写っている幼い子どもはおそらくエチカだろう。エチカを抱いているのは…


 「それは妻の姉、つまり倫果の母です。」

 

 仲睦まじくカメラにピースを向ける親子。エチカの母と思われる女性は、だいぶ目鼻立ちがはっきりとした外人みたいな美女だった。確かに、どことなく顔が似てるような気もする。


 エチカがなぜ両親と暮らしていないのか、その理由は克太郎さんや弓子さんに会ったときにはうっすらと感じ取っていた。自分も両親がいないからか、本人に聞く気にはなれなかった。


写真をじっと見る俺に、克太郎さんは階段の手摺を拭きながら話し始めた。


「実はね、倫果の母も倫果と同じ案内人あびとだったんです。」


「えっ?」


「少し長くなりそうですが、お話聞いてもらってもいいですか?」


俺は大きく頷いた。


「私たち、実は倫果の家系と血がつながっていないんです。」




 ―水崎家というのは、大正時代にこの村に越してきたんです。私は婿入りなので、家の大本は妻の家系にあります。妻の曽祖父である水崎みずさき信史のぶふみは、民俗学者として研究に没頭し、この村に家を構えたようです。


 信史が熱中していたのはこの村に伝わっていたとある伝承でした。


「それって、もしかして…。」



 そう、それが先日お話させていただいた「海坊主」の昔話です。信史はこの村の伝承が他のどの地域にまつわる海坊主の話とも異なる全く別のものであることに疑問を抱えていたのです。 


 海岸を調査しても、対して変わったことはなく、頭を抱えていた信史は、意を決して海に飛び込んでみることにした。すると、どこからともなく女が現れ信史にこう告げたのです。


「お前は、今落ちたら死ぬぞ。死にたくなければ私の元へ来い。来たら秘密を教えてやろう。」


 その女は美しかったが人間味を感じさせなかったといいます。女はりゅうと名乗りました。流はこの村の娘で、自らを「案内人あびと」なのだといいました。


「私は案内人あびととしてこの村の人々を、から守らなければならない。」



「―まれびと…?」


 ―はい、まれびとというのはこの村に伝わる偽物の呼び名です。この村では海坊主の伝承が伝わる前から「常世信仰とこよしんこう」がありました。常世とこよとはすなわち異世界のようなものだとお考えください。現代で言う地獄とかに近いかもしれません。


 まれびととは、常世から現世うつしよに向かってくる霊体のようなものだと考えられてきました。この地域では、常世が日本海の遙か先にある世界だという認識があったため、この呼び名が定着したそうです。


 研究を続けるうちにお互い惹かれ合った流と信史は夫婦になりました。数年後、二人は子宝に恵まれ、流は五つ子を産みました。


 しかし、水崎家に大きな悲劇が起こります。


 生まれたばかりの五人の子どもがなんと突然の火事で死んでしまったのです。


 そして、悲しみに暮れた流と信史は禁忌に手を伸ばしました。それは、五人の子どもを海に投げ入れ、蘇らせることでした。


「そんな事ができるんですか?」


 はい、信史は流との研究の日々の中、海坊主の水を利用してという仮説を立てていました。流はそれを実践しようとしたのです。


 海に投げ込んだ赤子の遺体に海坊主の水は染み込んでいく。海坊主が偽物を作るには、偽物を作るために一度その人間の肉体を完全に複製する、という工程がありました。つまり、その力を利用して海坊主を動かし、肉体の損傷を直すことができると考えたのです。


 しかし、海坊主は強力で、決して流に制御できるものではなかったのです。


 満月の夜、五人の赤子たちは海に戻るために体をぐちゃぐちゃに変形させた怪物になっていました。その怪物には銃なんて一切効かず、瞬く間に村の人達を大勢殺しました。


 これが、海坊主の水が持つ恐ろしい力の一つです。彼らは水を体内に入れたものにがあると、無理に制御しようとして、やがて暴発させてしまう。体を自由に作り変える複製が誤った形で繰り返され、見るに耐えない無惨な怪物を作り出すのです。



 克太郎さんの話を聞いていると、昨日エチカが『色々と良くない』と言っていたのが果たしてどういうことなのかが、少しわかった気がした。

 海坊主の水が、人を化け物に変えてしまう…。あのときエチカに付いて行かずに断っていたら自分が化け物になっていたのかと思うと、俺はゾッとした。



 流は泣きながら息子を二人葬りましたが、残りの二人は海の中へと消えてしまったそうです。そしてたった一人だけが元の赤子の姿に戻り息を吹き返した。それが妻の祖父である水崎みずさき林助りんすけさんだそうです。

 

 流は林助を人間の姿に戻してすぐ息を引き取ったと言われています。しかし周りの人たちが、そして何より父である信史が林助を恐れました。林助は林助なのか。あのとき妻が救けたものは、既にまれびとだったのではないか、と。信史は林助や、林助の子どもたちがまれびとだったら、と思うと怖くて夜も眠れませんでした。


 そして、それらの化け物に対抗しうる人を探しました。晩年を全てそれに費やし、信史は、ようやく適役を見つけました。それは遥か遠くの西欧ヨーロッパで、あらゆる魔をはねのける強大な霊力を持つと噂されていたようです。


 いかにも怪しい肩書だな…と少し思ったが、克太郎さんの真剣なトーンとこの村のことを考えると、それもあながち嘘ではない気がした。


 しかしそれは、まだ六歳の少女だった。信史は、その少女を孫・慶史よしふみ、として育て、新しい「案内人あびと」としました。


 掃除機を走らせる手は完全に止まっていた。


「少女は日本人らしく新たに慧子けいこと名付けられました。」


 「あっもしかして養子って…」


「はい、その少女は、水崎みずさき慧子けいこ。私の妻、弓子の姉であり、倫果エチカの母です。」


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孤独海岸のエチカ ジョージキネマ。 @george_kinema7

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