第6話
しまった…。一体どうしてこうなった…?
まずは弁解だ。落ち着け、俺だってそこまで馬鹿じゃない。
「そ、そういうことってま、まさか一緒に、ね、寝たりとか…」
「もちろん。ツダさんの体はしっかり調べたよ!」
終わった。マジで終わりだ。せっかく小春が生きている希望が見えてきたところだったのに…。
「しっかり、体中から絞り出したよ!安心して、ほら、体軽いでしょ?」
そりゃ軽いけど、軽いけどさ。君が絞り出したら否応がなく一線を越えてしまうから。酔っ払った?いや、そもそも昨日酒なんて飲んでないよな?リビングで泣いてから…それから、…。それからの記憶がまったくない…。エチカは中学二年生、少し変わった事はあっても、年頃の乙女に違いはない。そういう好奇心でついうっかり間違えてしまうことも…、いやだとしてもこんなヒョロガリと一線超えられるか?エチカはかなり目鼻立ちが整っているし、そもそもイケメンのサッカー部かなんかと既に経験しているんじゃないのか…?
あまりに混乱して意味のないことばかり考えてしまった。二十五歳、一切女性経験はない。
まさか、中学生に…。
「あら、ツダさん、起きてらっしゃったのね?」
叔母さんの声だ。間違いない、通報だ。
しかし、次に発せられる言葉は予想外なものだった。
「あっ、エチカ、またお客様の布団に入ったのでしょう!?」
エチカはぎょっとした顔でうわっと声を上げ、だってこれくらい近づかないと水が取れないんだもん、と言い張った。
「あなたそうやって忍び込んでからすぐ寝ちゃうじゃない!すいません、ツダさん驚かせてしまって…」
「いや、別に。た、ただこれは一体何をされてるんですか?」
すると、膝下に寝転ぶエチカが不貞腐れたように応えた。
「体内の水を吸い取ってるの。あの海の水を。あれが体に入ったままだと、色々と良くないから。うちに来たら、銭湯でまず体の内と外の水を大まかに抜いて、その人の意識がないうちにすべての水を吸い取るんだ。あの銭湯は、海の水を普通の水に変えられるからねー。」
叔母さんはウンウンと頷きながら付け加えた。
「そうなのよ。だから不快な思いをさせてしまったらごめんなさいね。」
あぁいえ全然と首を横に振った。良かった。俺はホッと一息ついた。しかし、叔母さんは
「あと、エチカを襲ったらあの海に強制送致されるから、気をつけてくださいね?」と小さくこぼした。怖い。
昨日の天気とうって変わって、今日は隅々まで晴れている。冬の初めの少し薄い青の中に細い飛行機雲がみえる。快晴の中、田畑の上を鳥の鳴き声が滑って、ひんやりとした空気を震わす。
なんてのどかなんだろうか。
孤独海岸なんて物騒なアイテムが付属していなければ、もっともっと人を呼べるのに、と少し思った。
「ツダさーん!こっちー!」
田んぼの間から手を降るエチカが見えた。その姿はどこか見覚えがある気がした。そうだ、あれはお母さんだ。十五年前に俺はこんな景色を見ていた。
そこは田舎の田んぼじゃなくて小さい遊園地の花畑だったけれど雰囲気はそっくりだ。その頃、小春はまだ母さんのお腹の中にいた。
母さんはいつも朗らかで顔を崩してよく笑った。父さんは静かで物知りだった。母さんが無茶をして体を壊したときは、あんなに頼りなかった父さんが母さんを支えていた。
小春が生まれるってなったとき、父さんに抱きかかえられて病院に駆けつけた記憶がある。そのとき俺は十一歳で静かな病院の中を汗ダラダラで走るお父さんを少し恥ずかしく感じた。
父さんと母さんが死んだ日、俺は同じクラスのけんちゃんと一緒に公園に行ったんだ。
でもあの日、父さんは焦ってた。何か急いでて、母さんも困ってた。それで、少し遠出をすると言って事故にあって…。
なんだ?何かを忘れている。なんかおかしい。
なんで急にこんなことを思い出すんだ?俺は突然理由のわからない恐怖を感じた。それは昨日始めてエチカにあったときのものに近かった。
「ボーっとしない!ほら、早くこっち!」
何分突っ立っていたのかわからない、俺は、エチカの声ではっと我に返り彼女の元へと急いだ。
「うーん…見たことないなぁ。」
村役場の壁に多くの村民が集まっていた。壁には小春の写真と、俺が作った捜索ポスターか貼ってある。
「段さんのとこの、あの、娘さんなんちゅう人やったっけ」「それ登紀子サンちゃうん?」「見だごとねぇな」「なん、テレビでこの前見だな」
村の御老人たちがあれかこれかと話をしている。しかし、村で小春を匿っているという人はいないように見えた。
ガヤガヤと大きくなっていくその声はもはや全く関係のない井戸端会議に発展した。エチカは、拡声器を片手に、村人に伝える。
「ちょっとー!はいはーい皆聞いてー?」
エチカが声を上げた瞬間、あんなに盛んだった世間話が一瞬で止んだ。俺は少し不気味に感じた。
「この女の子、津田小春ちゃんっていうんだってー!ここにいるツダさんの妹さんで!ここらへんにいるんじゃないかって言って探してまーす!もし見つけたら連絡してねー!」
エチカが話し終わると、村民たちはみなあいよー、と応えてくれた。そして気づけば合図をしたように皆ぞろぞろと帰っていった。
「あー、そう簡単には見つからないよねー。」
銭湯・サクラバについてすぐ、エチカは声を漏らした。それと同時に俺も肩にかけていたショルダーバッグを、ペプシのロゴが書いてある店先のベンチに落とした。
「そーいえばさ、ツダさん、これからどうすんの?」
「え?」
突然のことだったため変に高い声がでた。
「だって今休職中なんでしょ?いつまで?」
俺はたぶん来月くらいまで、と答えた。するとエチカはにやにやしながら尋ねた。
「じゃあ来月までどこに住むの?」
確かに、俺は自殺してしまおうと思っていたから何も用意していなかった。ここで小春が見つかるまで過ごすとしたら…。
食糧も、服も、寝床も、そして職業もない。今の俺は公務員ではなくニートに違いなかった。
「もし住むとこないならさ、うち、来なよ!叔父さん叔母さんにはもう話したんだけどね。」
「ホ、ホントですか―」「ただし、」
彼女は人差し指をピンと立ててみせた。
「銭湯の仕事、手伝ってもらうから!」
俺は、ありがたい、なんて温まる家族なんだろう。と思うと同時に、いや、これって副業に入らないよな?と少し心配になってしまった。
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