第25話 私ね、ずっとずっと忘れられなかったの。だから一人で戻ってきたんだよ。
俺はずっと里桜に負い目を感じていたんだ。
嫌われているんじゃないかって。
恨まれているんじゃないかって。
俺はそれだけのことを里桜に言ってしまったのだから。
あれは忘れもしない小学四年生に上る前の春休みのことだった。
春休み初日に俺は里桜からいつも遊んでいた公園に呼び出された。愚かな俺は普段通り遊びのお誘いだと思っていたんだったか。
公園に行くと、里桜は俯いてベンチにポツンと座って待っていた。遊ぶ時なら俺を見つけるなり駆け寄ってくるはずなのに。
「……里桜?」
声をかけつつ里桜の隣に腰を下ろす。すると里桜の口から予想もしていなかった言葉が飛び出した。
「あのね、隼くん……。わたしね……遠くに引っ越すことになっちゃった……。お父さんの……おしごとなんだって……。だから、隼くんと……もう……」
今でも覚えている。ポロポロと涙を流して、里桜だって本当は言いたくなかったんだって。今なら理解できる。
ただ、その時の俺には無理だった。里桜が遠くに行ってしまうことを受け入れられなかったんだ。
里桜が家に帰っていなかったあの一件から、里桜がいなくなることは俺にとって一番の恐怖になっていたのだ。それは自分の半身が無理矢理引き剥がされるような、そんな恐怖だ。
どうしてなのかは……覚えていない。気が付いた時には里桜と怒鳴り合いの口論になっていた。
「なんで里桜がっ!」
「そんなのわたしのせいじゃないもんっ!」
ここだ。ここで俺は絶対に言ってはいけないことを言ってしまったんだ。もちろん本心なんかじゃない。でも頭に血が上って、思っていることと真逆の言葉を吐いていた。
「もう里桜なんてどこへでも行っちゃえよっ!」
「っ……?!」
里桜の顔が悲痛に歪み、それまで以上に涙が溢れ出して、
「隼くんのバカっ! 大キライっ! もう知らないっ!」
そう叫んで走り去っていく。
俺はその背中を呆然と見送った。
俺は今、なんて言った?
どこへでも行っちゃえ……?
なんで、そんなこと……。
我に返った時、全てが手遅れだと悟った。
だって里桜のあんな顔、初めてだったから。
走っていて転んだ時、しばらく会えなくて寂しかったって飛び付いてきた時、おばさんに怒られた時。里桜の泣き顔なんていくらでも見たことがある。
でもこの時の里桜の顔はそのどれとも違っていて。
俺が里桜を泣かせた。
あんなにひどい顔をさせてしまった。
その後悔が俺をずっと縛り続けることになった。
里桜に嫌われた、そう思うと合わせる顔がなくて、引っ越しの見送りにも行けなかった。そこから俺は里桜と会えたかもしれないチャンスをことごとくふいにしてきたんだ。
そして六年の歳月を経て、里桜が俺の前に現れた。里桜に対する後ろめたさが何一つなくなっていないままの俺の前に。
それなのに里桜は昔のように振る舞った。あの出来事を忘れてしまったかのように、俺の前でたくさん笑顔を浮かべて。でも俺はその笑顔にあの泣き顔を重ねて見てしまっていた。
里桜が笑うたびに、『大キライ』って言葉がリフレインして。裏があるんじゃないかって、どうにかして俺に復讐しようとしてるんじゃないかって。
そんなわけ、あるはずがないのに。
里桜は愛情深く優しい女の子だ。
他人を貶めるなんてことは絶対にしない。そんなの俺が一番よく知っていたはずなのに。
曇っていたのは俺の目で、俺の心だ。
母さんに言われるまで、そんなわかりきったことにすら気付くことができなかった。
一緒に暮らさなければならないからと表面上だけ取り繕って、里桜の気持ちに全く目を向けていなかった。たぶん俺は、自分の心しか見えていなかったんだな。
里桜の言動に裏表なんてなかったんだ。ただ真っ直ぐに俺と昔のような関係に戻りたいって、表情で、態度で、全てで示していた。
ようやくそれがわかった。
今更だけど本当はさ、俺もやり直したかったんだ。ずっとその気持ちから逃げていただけで、里桜と本当に仲が良かったあの頃に戻りたかったんだ。
なら、かけ違えたボタンを過去に戻ってやり直さないと。そうしないと俺は進めない。里桜の顔を、真正面からちゃんと見てあげられない。
これだけのことに六年もかけてしまったヘタレな俺を里桜は許してくれるだろうか。
なんて、不安に呑まれてる場合じゃない。
里桜の涙はまだ止まっていないから。なら俺がこれを止めてあげなくちゃ、いけないんだ。
俺は抱きしめたままの里桜に我儘を言う。
「里桜……今まで、ごめんな。俺、里桜の気持ち、全然わかってなかった。だからさ、里桜。話をしよう。それで、あの時をやり直させてほしい」
今度は間違えないから。
俺の本当の気持ちを伝えるから。
「あの時、って……?」
「俺達が離れ離れになった、あの時だよ。そこをやり直さないと、俺……里桜にちゃんと顔向けできないんだ……」
帰って早々おかしなことを言っているって自覚はある。事情を知らない里桜からすれば、いきなりなにを言ってんだって思うだろう。だけど里桜は頷いてくれた。
「うん……私もね、やり直したい……。あの時に私が言ったこと、ちゃんと取り消させて」
里桜も、俺と同じ気持ちだったのかもしれない。里桜も俺に言ったことを後悔しているとしたら。それなら、なおさらこのやり直しには意味がある。
「ありがと、里桜。とりあえずここじゃなんだし、リビング、行こうか」
「あっ、でも……あの時をやり直すんだったら……」
「あ、あぁ、そうだな。じゃあ里桜が先に行っててくれるか?」
「うん。そうする、ね」
やり直しをするなら形だって大事だ。
今からリビングはあの日の公園になる。俺達も六年前に戻るんだ。里桜が先に待っていて、その後で俺がそこへ向かう。そして違えた部分を書き換える。
廊下で数分待ってから里桜を追う。里桜はソファに腰掛け俯いていた。
「……里桜」
あの日のように声をかけて、里桜の隣に座る。里桜はあの言葉を繰り返す。里桜も、一語一句違えずに覚えていたらしい。
それほどまでにあの日の出来事は俺達の心に深く傷を付けていたってことなんだろう。
「あのね、隼くん……。わたしね……遠くに引っ越すことになっちゃった……。お父さんの……おしごとなんだって……。だから、隼くんと……もう……」
ズキンと胸が痛む。再会できた里桜が、またどこかへ行ってしまうことを想像してしまって。
でも、間髪入れずに想いを口にする。
「いやだっ。里桜……どこにも行かないでくれよ。里桜がいなくなったら……俺、寂しい、よ……」
ようやく言えた、俺の本心を。里桜に伝えられたことで、心のモヤが急激に晴れていく。
そして曇りの晴れた目で見れば、里桜はふわりと微笑んでいた。重なって見えていた悲痛な顔は消えて、涙を流しながらも微笑んでくれていた。
「隼くん……こないだもそれ、言ってくれたよね。私が実家から帰ってきた時に、寝ぼけて覚えてなかったみたいだけど、ね」
「……え? 俺、言ってたのか……?」
「うん、言ってくれたよ。私、すごく嬉しかったの。でもね、今日、隼くんが出ていっちゃったのかもって思ったら……それも聞き間違いだったんじゃないかって、不安で……。もうどうにもならないかもって、怖くて……」
また里桜の目にじわりと涙が浮かんで、慌てて俺は里桜を抱きしめた。
「どこにも行かないから。里桜のところに、ちゃんと帰ってくるから。もし……次に里桜が遠くに行ってしまうことがあったら……会いに行くから。迎えに、行くから……」
「ウソつき……。六年間、一度も会いに来てくれなかったくせに」
「うっ……それは……」
里桜の言葉がチクリと胸を刺す。返す言葉もなくて戸惑っていると、里桜はまた笑う。
「ふふっ。冗談、だよ。隼くん、あのね。私ね、ずっとずっと忘れられなかったの。だから一人で戻ってきたんだよ。隼くんともう一度仲良しだったあの頃に戻りたくて、一緒にいたくて、もう離れていたくなくて。だから……私からも言うね」
「なに、を……?」
「大キライなんて、嘘だよ。つい、カッとなって言っちゃっただけだから。あんなこと言って、ごめんなさい」
里桜は深く俺に頭を下げた。
そう、だな。俺もまだ里桜にそこを謝ってないや。やり直しはできた、ならあとはあの日の言葉を取り消すだけ。俺は里桜よりも深く頭を下げる。
「里桜……。俺も、ごめんな。思ってもないこと言って。本当は、どこにも行ってほしくなかったよ」
「うん……。じゃあさ、これで仲直り、ってことでいいのかな?」
「あぁ……これでようやく、胸を張って里桜のことをちゃんと幼馴染だって言えるよ」
学校で内緒にっていうのも、本当は後ろめたさがあったからなんだ。騒がれるのがイヤなんて建前にすぎなかったんだ。俺なんかが里桜の幼馴染で良いのかって、ふさわしくないんじゃないかって、ずっと思ってた。
でも元に戻れたのなら話は別だ。
ここからはまたちゃんと幼馴染として空白の六年間を埋めていくことになる。家でも、学校でも。お互いの気持ちが同じ方向を向いているのなら時間はそんなにかからない、と思いたい。
「それじゃあ、もう学校で隠さなくてもいいの? 隼くんと、隠れてお話ししなくても、いいの?」
「あぁ。でも俺の他にも友達くらい作ったほうがいいとは思うけどな」
じゃないとこの先心配だからな。もし来年クラスが別になったら大変だ。なのに里桜は頬を膨らませてぷいっとそっぽを向いた。
「私は隼くんさえいてくれたらそれでいいんだもんっ。隼くんだって私の他には時雨くんしか友達いないくせにっ」
これはこれで頭の痛い問題ではあるのだけど──今はまた里桜と向き合えるようになった、その喜びに浸るとしようか。
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六年ぶりに幼馴染と再会したら、なぜか同棲と猛攻が始まった。 あすれい @resty
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