猫と私

@wlm6223

猫と私

 新宿駅の一日の乗降客は約三百四十万人だそうである。東京のターミナル駅ともなると、これだけの人々が行き交うのだ。

 私は新宿駅から嘱託されたコインロッカー保守管理事業社に勤めており、普段はコインロッカーの管理をしている。管理といっても昔とは違い、すべてコンピュータでロッカーの出入りを監視しているので仕事としてはそれほどの労力はいらない。私のような独り者の三十男の仕事としては楽なほうだ。

 とはいえ、一日三百四十万人の手荷物管理は大変面倒である。大抵はコインロッカーに置き忘れた物の管理に当たっている。新宿駅の場合、ロッカーでの保管期間は三日である。それを過ぎるとわれわれ管理社のもとに「遺失物」として保管される。今でこそそんなことはないが、昔は「遺失物」として拳銃が出てきたり、覚醒剤が出てきたり、色々と警察沙汰もあったそうだ。

 私が勤め始めてから最も多い遺失物は、スマホ、鞄、買い物袋、定期券や財布など。意外に多いのは海外からの観光客の置き忘れだ。なかには総額百数十万円のカメラとレンズなどもあった。

 私は外国語が一切できないが、遺失物を見付けた持ち主は皆「おお、有り難うございます」という喜びの態度をみせるので、だいたいの意思疎通は問題なく過ごしている。

 スマホを失くした人は深刻だ。現代においてスマホは日常生活に必須のツールなので、持ち主の態度は極端に緊迫している。スマホの機種と色を訊いて遺失物の中から探し出し、「これですか」と手渡すと、素早くパスワードを入力し、「これです! 間違いありません! ありがとうございます!」と安堵と喜びの顔色をみせる。「大事にしてくださいね」と小さく言ってみせるのがいつもの事だ。

 新宿駅には計十九箇所のコインロッカー設置場所がある。東口・西口エリアに十箇所、南口エリアに九箇所。それぞれに東A、南Bと名前が付けられている。

 その金曜日の夜、東Jの五番コインロッカーが規定の三日の期限が来た。私はいつもと変わらず遺失物の回収に向かった。

 合鍵で五番コインロッカーを開けると悪臭が吹き出してきた。コインロッカーのなかを確認するとペット用のケージが入っていた。ケージを取り出すといやに重い。ケージのなかから「ニャー」という鳴き声が聞こえた。私はケージの隙間からなかを覗き込むと、子猫が二頭入っていた。ケージの中は糞尿にまみれていた。悪臭の原因はこれか。私は取りも直さず遺失物事務所にケージを運び込んだ。

「どうした。何が入っていた?」

 先輩から訊かれた。

「猫ですよ。猫。どうしてこんなものが」

「……捨て猫じゃないか」

「捨て猫って…… こんな酷いことが……」

 私は「捨て猫」という言葉に何か引っかかりを感じた。

「どうすればいいんですか?」

「そういうのは動物愛護センター行きだな。週が明けて月曜日まで面倒見なきゃならん」

「はあ……」

 私と先輩とで猫とケージを糞尿から洗い流し、少しはまともな姿態にしてやった。猫たちはおとなしくキョトンとしたままだった。どうやら少しは人慣れしているらしい。私は先輩から言いつかってペットフードとチュールを買いに走った。こういうとき「不夜城 新宿」が便利に出来ているのに感謝した。

 私が遺失物事務所に戻ると猫たちにペットフードをやった。餌皿など無いので手にペットフードを乗せ、直に食べさせた。猫たちは最初は戸惑いの顔をしたが、よほど腹が減っていたのだろう、すぐにポリポリとペットフードを食べ出した。一通りの食事が終わると猫たちは哀願の顔を浮かべた。自分たちの境遇がまだ理解出来ていないらしい。

「どうします? 月曜日まで」

「ここで引き取ってやるしかないだろう。土日は動物愛護センターも開いてないし。実際、引き取りに来るのはもうちょっと時間がかかるかもな」

 私は猫たちを見詰めた。

「どうなるんです。そのセンターに行った後は」

「里親捜しか殺処分だよ。気の毒なもんだ」

 猫たちはじゃれ合うでもなくおとなしく私たちの会話を聞いていた。

「……それならいっそ、私が引き取りますよ」

「えっ? どうしたんだ急に」

 新宿駅の一日の乗降客は約三百四十万人。そんななかで孤独な私と出会うのも何かの縁じゃないか。私は独り者の三十男。いまのところ社会のなかになんとか居場所を保っている。私だっていつ「捨て猫」になるか分かったもんじゃない。私は猫たちの境遇に憐憫と自分の姿を見た。端から見れば、私も猫たちも大して変わらないのをよく悟ったのだ。

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