祓えば土地の益なれど

小紫-こむらさきー

祓えば土地の益なれど

「おもしろいことがあるというから白鱗山から離れたというのに、これはどういうことじゃ?」

 夜明け前の空模様にも似た薄灰色の翼と、鮮やかな黄色い嘴、細くて長い首を持ち、頭頂部には濃い青色をした冠羽を持つ雄牛ほどの大きさはあるアオサギの姿をした妖怪あやかしである逢火おうびはそう言って大きな溜め息を吐いた。

 彼の目の前に居るのは、鮮やかな朱色の羽根で覆われた鳥の妖怪あやかしだ。引きずるほど長い尾は金や翠の飾り羽根が混ざっていて華やかで幻想的な雰囲気をまとっている。

「のう、鳳凰。頭を垂れているだけではわからんのじゃが」

 不機嫌そうな声色でそういうと、逢火は鮮やかな黄色の目でジロリと鳳凰と呼んだ朱色の鳥を見下ろした。

 二羽とも大きな体をしているが、逢火の方が一回りほど大きい上に、鳳凰はへりくだるようにして小さな額を地面に擦りつけるように下げているのでより小さく見える。

「だって、逢火様はこうでも言わないと白鱗山から離れてくれないじゃないですかぁ」

 逢火に言われて頭を上げた鳳凰は、体の内側を光らせたかと思うと長身の女性の姿へと変化した。鮮やかな朱色の髪を頭の高い位置でお団子状にまとめ、高貴そうな金糸の刺繍が施された朱色の狩衣を身にまとっている。

 彼女は眉尻を下げ、つまらなそうに目を伏せている逢火を仰ぎ見る。

「鬼が出そうなんです! それもわたくしの炎なんかじゃ浄化できそうもないとんでもないやつが!」

みやこの四神がわしになど付けるな。わしはか弱くしがない妖怪あやかしじゃからのう……。そんな危険な鬼は他の三神たちと力を合わせて倒せばいいじゃろう」

 鳳凰に合わせるように、逢火も体の内側が青白く光り、みるみるうちに体が縮んでいく。華奢で中性的な男性の姿へと変化した逢火は、高貴な人物を思わせる肩辺りで切りそろえられた髪を揺らしながら、円形に剃られた眉をわずかに寄せながら鳳凰へ視線を向けた。

「鬼が放つ陰ノ気が都に漏れ出さない限りは、他の四神の力を借りてはいけないという決まりがあるのは逢火様もご存じでしょう」

「知らぬ知らぬ。わしはただの気ままな妖怪あやかしじゃ」

 自分の足下へ縋り付くようにしてしゃがみ込む鳳凰に対し、手の甲で払うような仕草をしながら逢火は首を横に振った。

 そして腕を組んで足下にしゃがみ込んでいる鳳凰へ視線を向ける。

「では、その強力な鬼が目覚めたら白鱗山に向かうとしても、ですか?」

「……わしが手伝わぬなら、その鬼を仕向けるという話か?」

 寄せていた眉の片方を持ち上げ、顎をわずかに持ち上げた逢火は切れ長の目を細めて鮮やかな黄色の瞳で鳳凰を睨み付けている。

「ちがいますぅ! その眠っている鬼の落とした角が白鱗山だと言われているんです。目覚めた鬼はきっと自らの角を取り戻すために白鱗山へ向かうだろうと……」

 慌てたように両手を顔のまえへ持っていきぶんぶんと振った鳳凰は、額に汗を浮かべながら懸命に理由を述べた。

 ふんと鼻を鳴らし、まだ機嫌の直らない逢火に対して鳳凰は更に言葉を続ける。

夫婦神めおとがみたちにも、少々荷が重い鬼かと思ったので、逢火様にお声を掛けた次第でございましてぇ……」

夜刀やとの水は陰ノ気を流し清めるが鬼の恨みを晴らすには弱く、タキの炎は強力ではあるが陰ノ気を祓うには向いていないしのう……はぁ相性が悪いというやつか」

 鳳凰の言葉をそこまで聞いて、逢火はようやく組んでいた腕を解き、腰に手を当てて大きな溜め息を吐いた。

 それから、足下にしゃがみ込んでいる鳳凰へ手を差し伸べ、立ち上がらせる。

「あの聡明な二柱が、何故あなた様の言うことを信じているのかはわかりませんが」

 ようやくやる気になってくれたらしい逢火を見て安心したのか、鳳凰は膝に付いた土や埃を払うと腕組みをして白鱗山にいる夫婦神たちのことについてそんな減給をする。

 鳳凰は二人に会ったことはないが、その評判は耳にしている。鳳凰が聞いた限りでは、妖怪あやかしから神になった二柱だとしも決して愚かではなく、自分の領域の山里を平穏に保っている優秀な神だという。そんな二柱が、逢火の言うことを鵜呑みにしていることが信じられないというような口ぶりだ。

妖怪あやかしは、力が大きいほど体も大きく、完璧な人の姿に化けられるほど知恵がある……じゃったか?」

 鳳凰の言うことを聞いて、逢火は唇の片側を持ち上げてニタリと笑みを作ると、喉の奥を鳴らすように笑いながら言葉を続ける。

「ひっひっひ……それはわしの徳というものじゃろうて」

 それから長く細い首を反らして、ひとしきり大笑いをしてから隣でぽかんと大きく口を開いている鳳凰へ再び視線を向けた。

「仕方がない。可愛い稚児ややこたちに恐ろしい鬼を見せるより、竹細工の一つでも持っていった方が面白そうじゃ」

 逢火は、夫婦神たちの子供を思い浮かべながらそういうともう一度、喉の奥を鳴らすようなクックという笑い声を漏らして表情を和らげる。

「逢火様! ありがとうございます」

「鳳凰、今回だけじゃぞ。その、鬼が眠っている地とやらに連れていけ」

「はい! ご案内いたします」

 勢い良く首を縦に振った鳳凰は、体の内側を陽の光のように輝かせ、再び巨鳥の姿へと変化する。

 大きな翼を羽ばたかせ、飛び立つ鳳凰の姿を見て、逢火も巨大なアオサギの姿へ変化すると飛び立つ鳳凰の後を追うようにして地面を蹴り、大きな薄灰色の翼を広げて飛び立った。



 二羽の鳥たちが降り立ったのは、高い山に囲まれた真っ黒な岩地だった。

 枯れた草木ばかりが広がっていて、地面のひび割れから噴きだしている黒い煤のようなものがあたり一面に立ち籠めている。

 人の姿へ戻った鳳凰と逢火は着物の袖で口元を覆いながら、仰ぎ見るほど巨大な一本の杭の前へとやってきて立ち止まった。

「……この不毛な地にそのように強力な鬼が眠っていたとはのう」

「陰ノ気が噴き出すまでは、ここも豊かな盆地だったのですが……」

 鳳凰の言葉に頷いた逢火は、口元を覆っていた手を退けて辺り一面の空気を切るような動作をして短く息を吐いた。

呪いまじないをする時は夜離よがれの姿にならんといけないのは、ちと面倒じゃが、まあ彼奴あやつの姿は嫌いではないからのう」

 逢火がそういうのを聞きながら、鳳凰は彼の後ろで片膝を付いて傅いている。

「さて、では陰ノ気を祓って此奴こやつにはもう数千年ほど眠っていてもらうとするか」

 深く息を吸って、逢火は目を閉じた。

「地に眠る哀れな鬼よ」

 逢火が言葉を紡ぐと、ぽつりぽつりと青白い火の玉が足下に灯って円形に広がっていく。

「地を彷徨い行き場を無くした陰ノ気よ」

 円形に広がった青白い火の玉は徐々に大きくなり人の背丈ほどの大きさはある火柱になり、盆地を埋め尽くした。

「我が清き炎の下でその恨みを晴らしたまえ」

 轟々と音を立てる炎が立てる白い煙が、辺り一面に立ち籠めていた黒い煤のようなものを吸収していくかのように灰色に変わっていき、空へと立ち上っていく。

「この地を覆う青き炎よ 我が身から溢れた燃えさかる血潮たち」

 空へ登った煙達は、逢火の頭上で渦を巻き、それは大きな大きな雨雲のような形になっていった。

「恨みを、嫉みを、妬みを、悲しみを、怒りを灼き、祓い賜え」

 細く長い首が露わになり、逢火が天を仰ぎ目を開く。それと同時に、広げた両手を勢い良く打ち鳴らした。

 乾いた音が響き、燃えさかっていた炎が一斉に伸びたかと思うと空に渦巻いていた暗雲を一瞬で焼き尽くして消えてしまった。

 ハラハラと落ちてくる白い灰が地面に降り積もる様子は快晴の空の下に降る粉雪のようにも見える。

 鳳凰はあっと言う間に晴れてしまった辺り一面を、大きく見開いた目で見回している。

「こ、こんな一瞬であの陰ノ気を晴らしてしまうだなんて」

 立ち上がった鳳凰はぼうっとしたように立ち尽くしている逢火の前へ来ると、もう一度片膝立ちで跪いた。

「逢火様……いえ、我ら瑞鳥の祖……朝暉ちょうき様……」

「その名で呼んだとして、わしは都には戻らんよ」

 我に返ったように言った逢火は、微笑みながらそう言うと巨大なアオサギの姿へ戻って空へ羽ばたいていく。

 鳳凰は逢火を追いかけるでもなく、ただその場に立ってどんどんと小さくなっていく逢火の姿を見送ることしか出来なかった。

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