第8話宣戦布告

 肉体年齢八歳の身体で要塞の中を歩くのには時間がかかった。

 

 私が目的の場所に着いた時には、高かった日は山向に沈みかけていた。




 城の近く、この辺りでは最も見晴らしがよいだろう建物の上。


 大丈夫、ガリアスはここにいる。


 操者とやらになったせいか、私は直感的にガリアスの居場所がわかるようになっていた。


 途中までは階段で登れたが、最も高い場所に登るには、このハシゴを使うしかなさそうだ。




 元々、結構深刻な高所恐怖症だったのだけれど――なぜだかその時は、ひとつも怖いと思わなかった。


 よいしょよいしょ、と、短い腕を精一杯伸ばして、私はハシゴを登った。




 たっぷり三分近くハシゴを登ったは私は、燃える夕日をぼんやり眺めているガリアスの背中を見つけた。




 なるべく驚かせたくはなかった。


 わざと足音を立ててその背後に立った私は、しばらく何も言わずに夕日を見つめた。




 夕日の沈む遥か西の方向には――私を捨てた人間たちの街があるはずだ。


 要塞に強く吹き渡る風に吹かれながら、私もその方向を真っ直ぐに見た。




「私の存在って、なんだったんでしょうかねぇ――」




 不意に、ガリアスがぽつりと言った。


 ガリアスは燕尾服の背中を侘びしく丸め、まるで抜け殻のような有り様で、五百年ぶりに見るのだろう夕日を見ている。




「五百年前、私は結局、一度も戦場になることはなかった。それだけではない。五百年間も、魔王陛下が薨去こうきょされたことも、時代が変わったことも知らずに――私は無為な時間を過ごしました。目覚めてみたら既に人間の世の中。私の存在意義は消えてしまった」




 ガリアスはぽつりぽつりと言った。




「私、五百年の間に……いっそ壊れてしまえばよかったです。そうすればこんな辛い現実を見なくてよかった。魔王陛下がいつか迎えに来てくれることを信じたまま壊れることができれば……一番よかったのでしょうね――」




 ガリアスの背中が震え始めていた。


 五百年分の時間が、よく見れば印象以上にか細いその身体を押し潰さんとするかのように伸し掛かっているのが、私にだって見えた。




「魔王陛下――あなたは何故、私をこんなに頑丈に創り給うたのか……」




 ぼんやりとしたガリアスの声が――突然、悲鳴に変わった。




「魔王陛下、陛下! ああ、教えて下さい、陛下――!」




 五百年の間、積もりに積もっていた絶望に火がついたかのように、ガリアスは四つん這いになって慟哭した。




「魔王陛下――! 何故、何故に私も一緒に連れて行ってはくれなかったのですか!? 何故に魔王城からここへご動座なさらなかった!? 私なら、ここが戦場になっていたならば御身おんみを助けられたやも知れないのに! ここが、ここで貴方様と共に戦えていたら、私も冥土へお供できたやも知れないのに……!!」




 おおお、と唸り声を上げ、ガリアスは胎児のように身体を丸め、頭を抱えた。




「貴方様がいない世界での私の存在意義は!? 私の待つ意味は!? 私は――私は、これから何を待ち、何を期待して、この世の終わりまで――!」




 白手袋を嵌めた手を握り、ガリアスは要塞の床を叩いて慟哭した。


 壮絶な孤独と喪失感に押し潰されるかのように、その声は悲壮だった。




「嫌だ! 嫌だ! もうこんな孤独は……! 誰か、誰か私を壊してくれ! 誰でもいい、神でも悪魔でもいいんだ! 私を、もう私を終わらせてくれ、頼む……! もうこんなことは……こんな無意味な孤独にはもう……! ……ぅああぁっぁああああぁぁぁぁ……!!」




 喉が引きちぎれそうなガリアスの声に、私はこの男が抱えた莫大な孤独を思った。


 五百年。そんな悠久の時を耐えて耐えて耐え抜いて――遂に希望が潰えてしまった者の声。


 誰からも救いの手を差し伸べられず、ただただ時代に置き去りにされるしかなかった者の慟哭は、風に吹き散らされながらも長く長く続いた。




「ガリアス、命令よ」




 頃合いを見計らって、私は短く言った。


 命令。その言葉に、ガリアスは涙と鼻水でビチャビチャの顔で私を振り返った。




「この要塞から外の世界に私の声を届けることはできるわよね?」




 は――とガリアスが浅く息を漏らした。


 


「できるの?」

「は――は……。この要塞には魔王陛下の聖旨せいしを伝えるための思念波の増幅装置があります。大陸全土どころか、全世界にだって――」

「いいわ、私が言うことを全世界に向けて流してちょうだい」

「シャーロット。い、一体――何をなさるおつもりですか?」

「私はあなたの主人よ。今は黙って従って」




 そう言うと、ガリアスがますます困惑したような表情を浮かべたが、何を言っても無駄なのを私の態度から察知したのだろう。




「――無敵要塞ガリアス・ギリ、只今より宣下モードに移行いたします」




 言うが早いか、私の足元の床からにゅっと伝声管が現れた。この要塞は本当によく出来ている。さすがは魔王の要塞だった。




 しばらく、言いたいことを頭の中にまとめ――私は静かに語り出した。




《全世界に告ぐ、全世界に告ぐ。突然のご無礼をお許しください。私はウェインフォード王国のジェネロ公爵が一人娘、シャーロット・マリー・ジェネロと申します。現在、皆様のもとに直接私の声を届けています》




 本来、こういうことは大の苦手だった。


 人前で喋ろうとするだけで、声は震え、汗が流れ、言葉もしどろもどろになるはずだった。


 だがそのときの私は――なぜだか全く動揺しなかったのだ。




 私が声を吹き込んだ瞬間、ビリビリという空振が要塞を震わせた。


 よし、これなら全世界に確実に届いている。そんな確信があった。




《この呼びかけは現在、この大陸の遥か東方にある無敵要塞ガリアス・ギリから放送しています。無敵要塞ガリアス・ギリは現在、五百年の長きに渡る封印を解かれ、力行状態にあります》




 ひとつひとつ、言わねばならないことを頭の中に浮かべる。


 なにしろ、これだけの規模の要塞が地上に忽然と出現したのだ。


 私が発表しなくったって、じきにあちらの方から見つけてくれるに違いない。




《そして――お伝えしなければならないことがございます。現在、私の掌の中には、五百年前の魔王戦争の時に遺失したと思われている神器、《僭主の指輪》が握られています》




「あ、主――!?」




 ぎょっ――と、ガリアスが私を見た。


 私はガリアスにウインクした。


 任せろ。そう伝えて、私はまた伝声管に向き直った。




《この指輪は約五百年前の魔王戦争時、ウェインフォード国王家の卑劣な奸計かんけいにより、魔王を討ち取った勇者の手から奪われかけたもの……恐るべき支配のための指輪です。この指輪を手に入れたものが世界の支配者となると言い伝えられる、神の創り給うた宝物――そんな想像を絶する力が、今私の手の中にあります》




 私は全世界に大声で宣言した。




《これは全世界への宣戦布告です。私の手からこの指輪を奪い取ることができた暁には――その者が世界の覇者となる。この話を信じるも信じないもそちらの勝手です。ですが、私がこの指輪を持っている限り、地上の支配者は私であり続け、あなたがた人類は、常に私と、この無敵要塞ガリアス・ギリの存在に脅かされて生きることになる。それを決してお忘れなきよう。――皆さんへの呼びかけは以上です》




 この脅しがどれだけ効果があるかはわからない。《僭主の指輪》の件も、五百年後の現代にまで語り継がれているかもわからない。


 だけど――私には確信があった。この指輪の存在、そして同時に、この無敵要塞の存在は、決して完全には忘れ去られてはいないと。




《それと――追伸》




 すう、と私は大きく息を吸った。




《こんな場所に婚約者と実の娘である私を追放し腐った、くっそたれヘボ王子のライル・ウェインフォード、そして私の父・ジェネロ公爵へ告ぐ。――アンタたち二人だけは絶対に許さない》




 腹の底にぐつぐつと煮えたぎる怨念に突き動かされるまま、私は拡声器に向かって呪詛を吐き続けた。




《よくもナメた真似をしてくれたわね。これは十年分の恨み辛みの前祝いだ。アンタたち二人だけは便所に追い詰めてでも、必ずこのツケを払わせるからそのつもりでいやがれ》 




 私は語気を強めて、私の仇である二人を罵った。




《アンタたち二人が地面に跪いて、這いつくばって私の靴をベロベロ舐め回しながら命乞いするさまを、私は必ずやこの目で見てやる。悔しかったらここに来てこの指輪を奪ってみろ。できなければヘボ野郎だと永久にせせら笑ってやる。いいか、来るなら来てみろ。私とこの無敵要塞が大歓迎してやる――以上》




 その宣言を最後に、私は伝声管から顔を離した。


 ああ、随分色んな事を言ってスッキリした、最高――!


 私がコキコキと首を鳴らして笑うと、「し、シャーロット……!」という震え声が背後に発して振り返ると、蒼白の顔のガリアスが立っていた。




「し、正気なのですか!? ま、魔族でもないあなたが人類に対して宣戦布告するなんて……!」

「あーあー、もういいって。言っちゃったもんは仕方ないでしょ?」




 私は苦笑とともにガリアスを振り返り、《僭主の指輪》をガリアスに向かって放った。


 わたた……! と顔に似合わず慌て、それをなんとか受け取ったガリアスに、私は半笑いの声で言った。




「それに、アンタだって暇でしょ? ここでずっとこの指輪を持って古城のフリをする必要なんてない。多少敵が来てくれた方が暇しないわよ。無敵要塞なんでしょ、アンタ?」




 その言葉に、ガリアスが一瞬だけ口をつぐんだが――数秒後には再び食い下がってきた。




「そ、それはそうですが……! しかし、あなたは!? あなた様は人間ではないですか! こんなことをすればあなた様以外の、全世界の人間が敵になるのですよ!? それではあなた様が……!」

「いいよ別に。私の人生に味方なんて今までいなかったし。味方というか、知り合いというかだけど――お母様と、飼ってた犬以外にはほぼほぼアンタが初めてだもん、私」




 ガリアスがはっと息を呑んだ。




「私ね、こんな身体だからずっと幽閉されてたの。幼女のまま成長を止めた悲劇の十八歳――それが私よ。だからみんな私をいないものみたいに扱った。父も婚約者も、私が消えてくれればいいってずっと思ってたでしょうね。心配されなくても、私には人間の味方なんか最初から一人もいないの」




 そう、今の私たちは同じ身の上。


 人間たちに捨てられ、忘れ去られ、朽ちていくだけの存在なのだ。




「だからね、この要塞に来た時――アンタが魔王と同じく、私を主って呼んでくれて、私の味方だって言ってくれたの、嬉しかったのよね」




 思えば、随分おかしな経緯で知り合ったけれど――私は久しぶりに、いや人生で初めて、私の価値、存在そのものを認めてくれる存在に出会ったのだ。




「だからさ、私はアンタに付き合うよ。私は私に何もしてくれなかった人間じゃなく、私を認めてくれる人たちのために戦いたい。一緒に全世界を敵に回して戦うの。それでキッチリ、魔王のかたきを取る――それが今のアンタのやるべきこと、そうでしょう?」




 私の言葉に――ガリアスがぼんやりと指輪を見つめたまま呻いた。




「仇――魔王陛下の、仇――!」




 ぎゅっと、ガリアスは指輪を握り締めた。




「そうだ――私にはまだやることがある! この《僭主の指輪》はまだ人間どもの手に渡っていない……! 戦争の目的だった指輪はこちらにあるんだ! ならば――ならばまだ、魔王戦争は終結していない!」




 ガリアスの目に光が戻ったのが、私の目にもわかった。


 懐から出したハンカチで、ちーん、と洟を啜り、眼鏡を外して燕尾服の袖でごしごしと顔を擦ったガリアスは、こちらにのしのしと歩いてくるなり、私の左手を取って跪いた。




「えっ、が、ガリアス――!?」

「主――愛しの主、シャーロット・マリー・ジェネロ。改めて、私は、無敵要塞ガリアス・ギリは――あなた様を操者として歓迎致します」




 そのまま、ガリアスはまるで騎士が姫に向かってそうするように、私の手を眼前に捧げた。




「今までの私の度重なるご無礼、そして乱心の限り――どうお詫びしてよいやらわかりません。ですが、貴方様は私に存在し続けるための新たな理由をくれた。私が無敵要塞であり続けるための決断をしてくれた。それはその身を危険にさらす決断でもあるというのに――」




 ガリアスは真っ直ぐに私を見つめた。




「これより改めて、私、無敵要塞ガリアス・ギリは、御身の剣となり盾となり、御身の騎士、大願成就のための手足となる所存――そして今、その誓いをここに」




 と――ガリアスは手に握った《僭主の指輪》を、私の左手の薬指にはめ、私の左手にそっと口づけた。


 その瞬間、眼圧が急上昇し、顔が熱くなり――私は左手をそのままに、物凄く動揺した。




「えっ、ええ……!? ちょ、ガリアス……!」

「魔王陛下亡き今、この指輪はあなた様にこそふさわしい。この指輪を持った御身を、私が七生しちしょうを以て御守護致します。たとえこの身が滅び朽ち果てるときが来ても――たとえ魂だけになったとしても、私は必ずやあなた様をお護りいたします故に……」




 いやいや、これ所作や言葉的にプロポーズなんだけど――!


 偶然のこととは言え、この歳になって初めて経験する体験に、私の頭は沸騰しそうだった。




 思えば、生まれてこの方、異性と呼べる存在にこんな真剣な口調で語りかけられたことはなかった。


 八歳で成長が止まってからというもの、私の父は徹底的に私の存在を隠匿し、屋敷の人間たちだって、公爵の勘気を恐れ、私には常に腫れ物に触れるように接した。


 もちろん婚約者である王子は私にほとんど会いに来なかったし、会いに来れば来たでゴミを見るような目で私を睨んだ。


 誰一人、味方と呼べる人間がいなかった人生――思えば私は、そのとき人生で初めて、一人の人間として扱われたような気さえしたのだった。




 しばらく、念を込めるかのように瞑目したガリアスが、急に私の膝を抱え、担ぎ上げて肩に乗せた。




「うわわっ!? ……ちょ、ガリアス……!」

「さぁ主、今や魔王軍はたった二人になってしまいましたが、戦争は数ではない! 魔王戦争の続きをここに始めましょう! ね、主!」




 そう言ったガリアスが、随分晴れやかな顔で微笑んだ。


 まるで人を疑うことを知らぬ子犬のような目で見つめられて、今まで沸騰しそうだった頭の芯が冷えて、代わりになんだか可笑しいような気分になった。




「そうね。よし……二人だけだけど、私たちだけで世界と戦ってやりましょう!」

「あら、三人よ?」




 えっ、と声のした方に視線をやると、いつの間にここに来たのか、シェヘラが豪奢な黒髪を風に靡かせながら立っていた。


 ガリアスに抱き抱えられた私と、目を点にしているガリアスを交互に見たシェヘラは、やがて呆れたように笑った。




「私も裏切られた身で行くところがないのよ。どうせ五百年後の今は身寄り便りもない身だし、勝手にあなたたちの味方をしても咎めないでしょう?」




 思わぬ申し出に、私とガリアスは顔を見合わせた。




「ゆ、勇者シェヘラザード、貴様……まさか魔王軍の味方をするというのか!? 貴様は――!」

「おっと、もう勇者じゃないわ。勇者は五百年前に人類に裏切られて死んだ。今ここにいるのは無敵要塞と一緒に蘇っただけの――単なる骨よ。骨に勇者も悪魔もない、そうでしょう?」




 実にスマートに言われて、私とガリアスは顔を見合わせた。




「だ、だがな――私と貴様はあくまで宿敵であって……!」

「いいよ、シェヘラ。あなただってを討つ権利はある。――そうだよね?」




 私の言葉に、シェヘラは深く頷いた。


 ガリアスはわけがわからないという顔で私たちを見つめた後――ハァ、と嘆息してシェヘラを睨んだ。




「言っておくが勇者シェヘラザード、貴様と私はあくまで宿敵同士だぞ。馴れ合いはせぬし心を許すこともない」

「えぇ」

「あくまでも、あくまでも主と私が戦うこの魔王戦争を、――わかっているだろうな?」

「もちろん」

「ふん――それならば勝手にしろ。この指輪を、魔王陛下の形見を私の下まで運んできてくれた礼だ。今後も私の中をうろつくことぐらいは――許可してやる」




 そう言って、ぷい、と明後日の方向を向いてしまったガリアスに、私とシェヘラは顔を見合わせて微笑みあった。




 こうしてこの日、私は名実ともに無敵要塞ガリアス・ギリの主になり。


 そして、私と無敵要塞、そしてかつて勇者だった骨の、たった三人だけの新生魔王軍が発足したのだった。






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追放された幼妻、無敵要塞になる。〜身体が成長しないために実の父親に追放された肉体年齢八歳の公爵令嬢ですが、追放された先で魔王が創りし無敵魔導要塞を拾っちゃいました〜 佐々木鏡石@角川スニーカー文庫より発売中 @Kyouseki_Sasaki

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