教師近藤と政界進出
今から十年近く前のことです。世間で激辛ブームが起きました。
近藤は甘いものが大好きです。彼は危機感を持ちました。このままでは食品を取り扱う店で、甘いものが置かれるスペースがどんどん縮小してしまうのはないか——と。
「く~」
近藤はつめを噛んで、いらだちました。
そして考えて、ある行動を起こしました。
「おい」
「ん?」
「何だ? あれ」
街なかで、一人の若者が数人の仲間たちに言いました。
「甘党だって」
前方を指さし、皆その方向に目を向けました。
「ご通行中の皆さま、私、新しき政党、『甘党』の代表の近藤でございます。世の中にもっと甘いものを! 甘いもので気分よき毎日を! の精神で活動して参りますので、甘いもの普及のために行動をともにしてくださる方は、どうぞ私のもとへ。チョコ、あんこ、ケーキ、大好きー!」
近藤が「甘党」と書かれたのぼりを手に、街頭演説をしていたのでした。
やはり一人での活動では限界があるので、まずはできるだけたくさんメンバーを集めることを目標に、この街頭演説以外にもさまざまな手段を使って党に加わってくれる人を募り、自分のところにやってくるのを待ちました。しかし、選挙の際などに変わった政党や候補者を目にするのは珍しいことではないために、馬鹿にされるのすらましで、ほとんどが気に留めてくれず、近寄ってくる人は皆無でした。
が、奇跡が起きました。しばらくして、近藤が設置した甘党の事務所に、一人の男性が訪ねてきたのです。
「ここが政党の甘党の本部だと聞いたのですが、間違いないでしょうか?」
彼は二十代後半で、名前を大江剛至といいました。
「そうだが、何だね?」
ようやく、そしてせっかく、来てくれた相手に対して、近藤は実に偉そうに応対しました。党の代表として、貫禄がある姿を見せたいようです。
「私を甘党に加入させていただきたいのですけれども」
「ほお。ちゃんと甘いものを愛しているのだろうね? 冷やかしや、どこでもいいから政党に所属したほうが議員になる近道だろうという魂胆ならば、叩きだすが」
近藤は般若のような厳しい表情で問いかけました。
「もちろん、きちんと甘いものを愛しております。聴いていただけますか? それを証明する私の過去の話を」
「仕方ない。聴こうではないか」
近藤は今度は将軍のような態度で答えました。
「ありがとうございます」
剛至は深く頭を下げました。
そして、彼は語り始めました。
「さあ、たーんとお食べ」
「はーい。いただきまーす」
私が幼い頃。良い天気で、平和な一日を送り、楽しい一家団欒での晩ご飯。そんなときでも……。
「何じゃ、こりゃ! 甘い、甘いぞー!」
私の父は、酒飲みなこともあって、甘いものは大嫌いで一切口にしませんでした。母はそれをわかっていますから、菓子やフルーツの類は決して食卓に並びませんでした。しかし、煮物がちょっと甘いという程度でも、父はそれまでの機嫌がどうであろうと関係なく怒り狂うのです。
「こんなもの、こうだー!」
そして七味唐辛子を持ってきて、煮物など甘いと感じたものに大量にかけました。自分が食べるぶんにとどまらず、家族全員のお皿にです。
「わーん。こんなの食べられないよー」
私が泣き叫ぶと、父はさらに腹を立てました。
「うるさい! 男なんだから根性を出して食え! もしもいい歳して寿司をサビ抜きにでもしてみろ、大恥かくぞ! そんなふうにならないように、今から辛いものに慣れといたほうがいいんだ!」
そう言うと、他のおかずにまで七味を振りかけたのです。
「えーん!」
「あなた、やめて!」
母の助けがあったので、それらをすべて平らげさせられる事態までは至らなかったものの、父の自分のみならず家族全員に辛いものを食すのを求める、このような出来事は日常茶飯事でした。
私はずっと食べられないことで、子どもならば誰もが好む、甘いものへの欲求は余計に高まりましたし、母は一生懸命作った料理をわずかに甘いだけで台なしにされて、よく陰で泣いていました。
「というわけなのです」
剛至はつらい過去を思いだしたせいもあってか、険しくて真剣な表情で近藤を見つめました。
「それできみはこの甘党に加わりたいということなのか?」
近藤も先ほどからの険しい顔のままで、訊きました。
「そうです。私も、そして母も、味わえなかった大好きな甘いものを、もっと世に広めたいのです!」
「バカもーん!」
「うわっ」
近藤は突然、当たってはいませんが大きく腕を振ってビンタを食らわせる動きをし、その勢いで剛至は倒れました。
「何をするんですか」
上半身を起こして剛至は言いました。
「政治家は国民のために仕事をするもんじゃい! そんな個人的な理由で活動するもんやあらへん!」
「いや、たしかあんたの動機も同じようなものだろう」と剛至は思いながらも、口にはしませんでした。
「すみませんでした。けれども、代表が街頭演説などでの訴えのなかでおっしゃられていました通り、甘いものは幸福感をもたらしますので、心の健康に寄与します。過剰な摂取は駄目ですが、糖質制限がいき過ぎている昨今、甘いものの大事さを人々にわかってもらうための活動が必要であると、きちんとやるべきことは自覚しております」
「ほんまか。せやったら、よか。おまはんのその心意気、これからしっかり見せてもらおうやないか」
「……はい」
なぜ急に話し方が関西弁っぽくなったかが謎で、剛至は呆気に取られました。
ともあれ、二人は直後に握手を交わし、剛至の甘党への入党が決まったのでした。
ところが、それから間もなく、激辛ブームは去っていきました。しかも反動で、甘いスイーツがたくさん食べられるようになったのです。
近藤は満足しました。それに、いざ議員になっても、具体的に甘いものの普及のためにどうすればよいか、まったく考えていなかったことに気づきました。また、今やっていることに飽きがきてもいました。
彼は剛至に言いました。
「甘いものが多くの人に食べられるようになった今、もう我々の出る幕はない。この党は解散だ」
「え? しかし、またいつ危機が訪れるかわかりません。確かに好まれてはいますけれども、必要性の理解が進んでいるとは言えませんし、甘いものが安定した地位を築けるように、行うべきことはまだたくさんあるはずです」
「こいつ、真面目だな」と近藤は思いました。
「そういえば、以前話していたきみのご両親だが、お父さんは亡くなったと言っていたけれども、お母さんはご健在なのかな?」
「ああ、はい。母は元気でおります」
「会ったり、話したり、良好な関係でいるのかね?」
「ええ。親孝行できているかは心もとないですが、あの父の影響で、マザコンと言われてしまうくらい頻繁にコミュニケーションをとっています」
「なるほど、それは素晴らしいことだ。ちょっとあいさつをしたいのだけれども、電話してもらえるかね?」
「そうですか……わかりました」
急に何だろうと首をひねりつつ、剛至は実家に電話をかけました。
「もしもし、母さん? うん、俺。ちょっと、お世話になってる人があいさつしたいって言ってるから、代わるね。うん、普通に話してくれればいいから」
そして携帯を近藤に渡しました。
「もしもし、お母さんですかー。いえね、おたくの息子さんが、政治家になって甘いものをもっと世の中に広めるんだっつう、私の言ったジョークを真に受けちまいましてね。困ってるんですよー、えー。言ってやってくださいませんか? あんたもいい歳した大人なんだから、その程度の言葉が冗談か本気かくらいわからなきゃ駄目よって。ええー、ええー。あ、どうも~」
ゴマをするようなしゃべり方だった近藤は通話を終えると、コホンと軽くせきをして、電話をすまし顔で剛至に返しました。
「……」
そうして剛至は政治の世界から去りました。甘いもののこと以外では至ってまともな彼は、この後は道を誤ることは一度もなかったのでした。
次の更新予定
おかしなおかしな教師近藤Ⅱ 柿井優嬉 @kakiiyuki
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