第2話 ここで装備していくかい?(→はい)

 岩田屋高校の職員室はがらんとしていた。昼休みが終わって午後の授業が始まったため、教員の大半が授業に出ているのだ。


 佐塚は机の引き出しを開けた。そこには雑然と文房具や書類が詰め込まれている。佐塚はその中から折る刃式の大振りなカッターナイフを取り出した。

 貧弱な武器だが無いよりはマシだろう。

 佐塚はカッターナイフをジャケットのポケットに仕舞った。


 隣に座っている花菱がその様子を不思議そうに見ている。


「佐塚先生、どうしたんですか?」


「いえ、何も持っていないというのが慣れない感覚だったもので。それにこの肉体。柔らかくて非常に頼りない。人間は皆さんこんな感じですか」


「ふふふ、まだ寝ぼけてるんですね」


 花菱が微笑んだ。


「ここ数週間ずっと忙しそうでしたもんね。心配してたんですよ、私」


「なるほど」


 佐塚は自分の足元にあるゴミ箱に、大量のドリンク剤の空き瓶が詰め込まれているのに気付いた。その一本を取り出して成分表示を見つめる。どうやらこれは回復薬というよりは、体力と引き換えに攻撃力を高めるタイプのアイテムのようだ。多用すれば死に至るだろう。


「サーベルはないですか。大きいものがいいのですが。できればクロスボウやウォーハンマーも欲しい」


 佐塚は職員室をきょろきょろと見回した。武器らしい武器はないようだった。

 花菱はさーべる……さーべる……と呟いて「あ!」と声を上げるとパタパタと職員室の奥の電気ポットが置かれている辺りまで歩いていった。


「これこれ、教頭先生が旅行のお土産に買ってきてくれたんですよ」


 花菱が何かを二つ手にして戻ってきた。

 その一つを佐塚に手渡す。


「これは」


「鎌倉名物の鳩サブレーです。これのことですよね」


 佐塚の手の中には個包装された焼き菓子が入っていた。それは鳥の形を模した愛らしいデザインをしていた。小麦を練って焼いたものだろう。


 花菱は自分の分の鳩サブレーの袋を開けると、もぐもぐと食べ始めた。

 佐塚もそれに倣って袋を開ける。甘く香ばしい匂いがした。

 見様見真似で口に運んで咀嚼する。


「分かりました」


「何がですか?」


「これが美味しいということですね」


 それを聞いた花菱がぷっと吹き出した。


「佐塚先生、感動の表現がクセ強すぎですよ」


 佐塚はなぜ花菱が笑っているのかよく分からなかったが、手にした鳩サブレーをそのまま一気にぼりぼりと平らげた。

 他の魔物や人間が何かを食べているのは何度も見てきたが、自分が食事をするのはこれが初めてだった。なるほど、これは悪くない。魔力石からほとばしる、じんわりとしたエネルギーの温かさも悪くないのだが。


 佐塚は自分のデスクの上を眺めた。

 そこには『現代文B』と題された書物が置いてあった。似たような書物が複数、デスク上の本立てに並んでいる。これらの書物を使って年若な者に講義をするのが、佐塚陸斗の仕事であるらしい。強力な呪文スペルでも書いてあるのかとページを開くが、そういった類のものではないようだった。


「花菱先生、あれはなんですか」


 佐塚の目に留まったのは、職員室中央の壁に架けられているモノだった。ちょうど管理職席の真後ろにあたる位置だ。あの設置の仕方を見る限り――見た目からは想像できないが――かなり強力な武器である可能性が高い。


「何言ってるんですか、先生。あれはじゃないですか。不審者が侵入してきた時に使うんですよ」


 身の丈ほどの長さの金属棒の先端に、敵を挟み込むためのU字型の金具が取り付けられている。似たような武器を下級悪魔が持っているのを見たことがあった。それに比べると――


「随分、殺傷力が低そうですが」


「さ、殺傷!? 殺したら駄目ですよ!」


 花菱が慌てる。

 どうやらここでは殺しは許されないらしい。それがこちらの社会規範ということかと佐塚は納得する。死を忌避したり、血の穢れを極度に嫌ったりする文化は、あちらの人間界にも存在した。

 あるいは何かを殺害した場合、その罰則ペナルティが殺害した者に適用される魔術効果がこの建物に付与されているという可能性もある。


「先月は大山崎先生が、あのさすまたでグラウンドに出たイノシシを追っ払ったんですよ」


 イノシシ。魔猪まちょのことだろう。

 彼らは魔獣の一種で、頑強な毛並みと皮膚を持った四本脚の一族だ。出会った中にはちょっとした小山のような体躯を持った者もいた。その勇猛果敢な性格と、止むことなく繰り出される体当たりの破壊力は驚異で、単独で街一つを焦土と化すこともできる。肩を並べて戦った魔物の中でも、かなり頼りになる存在だった。


 それを退けるとは、見かけによらず強力な武器なのかもしれない。


「あ、噂をすれば大山崎先生」


「お疲れ様〜」


 職員室に入ってきたのは、二年団の学年主任である大山崎教諭である。それはこの世界に転生する時に脳内に授かった知識が教えてくれた。だが――


「ガイガーン殿ではありませんか。貴殿もこちらの世界に転生していたとは」


 佐塚は驚きの言葉と共に、思わず立ち上がった。


 肌の色や背格好は少し違うが、どう見てもこの大山崎という人間は、かつて何度も戦場を共にしたトロル族の戦士に疑いなかった。丸い顔と愛嬌のある目。そして盛り上がった肩の筋肉。全てあの頃のままだ。


「北部戦線で知らぬ者のいない『黒戦鎚ブラック・ハンマーのガイガーン』と、こうしてまた対面できるとは。光栄の極みです」


 佐塚は拳を胸の前で合わせてその場に跪き、殺戮機械キリング・マシン流の最敬礼をした。

 歴戦の猛者であるガイガーンならば、あのさすまたで魔猪を撃退したというのも頷ける話だった。


「ど、どうしちゃったの佐塚君」


「なんか疲れすぎて混乱してるみたいなんです、佐塚先生」


「最近忙しそうにしてたもんねぇ。大丈夫? 無理してない?」


 大山崎がぽんぽんと佐塚の肩を叩いた。

 佐塚は敬礼を解いて直立不動の姿勢を取る。


「……て言うかトロル族って何だろう花菱君」


「トトロのことじゃないですか」


「確かに最近娘からはトトロみたいなお腹だって言われる……」


 腹をさする大山崎。なるほど、花菱という部外者がいる以上、転生者同士の会話はしないということなのだろう。佐塚は不躾に名前を呼んでしまった浅慮を恥じた。


「まぁまぁ、座りなさいよ佐塚君」


 大山崎に促されて、佐塚は椅子に座った。そして、懐かしい話は二人きりなった時に改めてすればいいと思い直す。


 それにしても。


 佐塚は少し冷静になって現状を分析した。

 花菱は佐塚を混乱していると評したが、それは事実だった。佐塚の頭の中ではまだ、殺戮機械キリング・マシンとしての記憶と、転生するときに与えられた知識としての記憶が馴染んでいない。その二つが分裂気味に並存している状況だ。

 ここには剣も魔法もなく、魔族も存在しないと分かっていても、それでも殺戮機械キリング・マシンとしての自我が前面に出てしまう。


 そう、殺戮機械キリング・マシンだ。


 魔界一の人形師ヴァンメルデスゲーゲンの工房で最強の殺戮機械キリング・マシンとして生を受けた自分は、ひたすら戦いに明け暮れる歳月を過ごしてきた。


 ひたすら眼前の敵を殺し、殺し、殺し、殺し、殺し、殺し、殺しまくって殺しに殺した。


 ある時は魔界突撃軍筆頭戦士として仲間と共に難攻不落と呼ばれた城塞を攻略し、またある時は魔王直属の近衛騎士団の一人として勇者を自称する不逞の冒険者を始末した。


 最後に与えられた仕事は、宝物庫の守護者だった。

 ケチな番人などではない。

 魔王軍が多大な犠牲を払いながらこれまで蒐集してきた秘宝の数々を、その命に替えても不埒な冒険者共から守る。

 それが殺戮機械キリング・マシンとして生み出された、自分の最後の使命だ。

 いや、使命


 そんな風に昔の記憶は思い出せるのだが、転生に至る直近の記憶は全く思い出せない。


 自分はこの世界で何をすればいいのだろうか。


 佐塚は胸にぽっかりと穴が空いたようだった。ちょうどそれは殺戮機械キリング・マシンだった頃に、動力源の魔力石が埋め込まれていた部分だった。


 佐塚はポケットの中のカッターナイフに触れた。戦闘スキルが転生時にそのまま引き継がれているとしたら、自分がその気になればこの校舎の中にいる全ての人間を数分で死体にすることができる。


 だが、それに何の意味がある。


 チャイムが鳴って、5時間目が終わった。

 ぞろぞろと授業を終えた教員が職員室に戻ってきて賑やかになる。


「佐塚先生」


 佐塚の席に、一人の女生徒がやってきた。


「何ですか」


「いや、5時間目の休み時間に来いって呼び出したの先生でしょ」


 女生徒が顔をしかめる。

 どうやら前日に佐塚陸斗が呼び出していたらしい。


 どうすればいいのか。


 佐塚はポケットの中のカッターナイフをもてあそんだ。



 




 


 


 


 

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異世界転生した俺の代わりに魔王軍最強の殺戮機械が現世に送り込まれていた たぬき85 @shimizu_n

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