流砂の塔には黒い輝き

風見カオル

第1話

 夜の荒野を、砂埃を巻き上げながら二つの影が駆けていく。片方が持つランタンだけを頼りに、二つの影はどこまでも駆ける。見る見るうちに、二つの影はどんどん小さくなっていき、やがて荒野の向こうへと消えていった。


 目を覚ます。窓から差し込んでくる午後の日差しが眩しい。ゆるゆると立ち上がる。そろそろ、隊商との交渉を終えた夫が帰ってくる頃合いだ。夫を労うのも兼ねて、前の取引きで手に入れた杏でも出そうか、と思案しながら窓の方へと向かう。やっと出来たばかりの天井が太陽の光を遮ってくれるとはいえ、夏はやはり暑い季節なのだ。

 窓を開けると、風に吹き上げられた流砂が入ってくる。流砂に半ば覆われた荒野と、これまた流砂に半ば埋もれた高層建築。私の故郷はこの二つだけで出来ている。

 風が、流砂を巻き上げる。荒野には点々と人影が散らばっている。彼らが、いや、私たちが砂埃の中を進むのは、クロ石を、生きる糧を探しているからだ。クロ石は流砂の中で見つかる石で、その名の通り、黒々と輝いて見えるのが特徴だ。隊商たちは長ったらしい名前でクロ石のことを呼び、高値を付けて買い取る。なんでも、荒野の彼方では、クロ石が生活の要になっているのだそうだ。

 私たちの一生は、クロ石を拾っているうちに終わる。私たちが荒野の外へ出ていくことはない。けれども、私は例外のような人物を一人、知っている。サーユという、私と同い年の女性だ。


 サーユと私は井戸姉妹だった。井戸姉妹(あるいは井戸兄弟)というのは、同じ井戸で産湯を使った同い年の子供どうしを指す言葉で、水に特別な関心を寄せる私たちは、井戸水を介した繋がりにも特別な名前を与えて、特別扱いをする。まあ、だいたいの井戸姉妹は近所に住んでいるものだから、腐れ縁とか友人とかになることの方が多い。例に漏れず、サーユと私も腐れ縁の仲だった。

 サーユは、とにかく不思議な子だった。勝手に流砂に降りて、一晩中荒野をうろついたかと思えば、勝手に隊商からわけのわからない道具を買って大目玉を食らう。サーユの母親も、私の母もそんなサーユに手を焼いていた。私が人一倍大人しい性格だったから、余計にサーユの気ままさが目についたのかもしれない。サーユの母親の口ぐせは大人しく家に居なさい、というサーユへの小言だった。そう言われると決まってサーユは呟くのだ、どうせなら鳥に生まれたかった、と。

 まあ、それでもサーユのお転婆は許されていたのだ。子供である間だけ、の話だけれど。


 背が伸びて、身体が大きくなっていくにつれて、サーユは目立つようになった。当然、サーユより着飾るのが得意な女の子は掃いて捨てるほど居たけれど、それでもサーユが一番綺麗だった。特にサーユの黒い眼はすごく目立つ。けれども、サーユが目立ったのは容姿ゆえばかりではないように思う。

 初潮が来ると、成人の証として帯を巻けるようになる。サーユが選んだ帯は、藍色の無地だった。藍色は、普通若い男性が使う色だから、サーユの母親はかんかんに怒っていた。けれど、深い藍色の帯はサーユのどこか荒野の立ち木を思わせるような、すらりとした立ち姿によく似合っていた。


 一人前になると、大手を振って荒野でクロ石を拾えるようになった。それから、荒野に出ることが私の日課になった。私の家庭には父というものが居なかったので、流砂に慣れていた私が拾ってくるクロ石が、一家の命綱になっていたからだ。


 荒野の花たちも枯れだした、ある秋の日のことだった。その日も、サーユと私は荒野でクロ石を探していた。集落の出入り口の前で、拾ってきたクロ石を選り分けていると、ウミってのがあるんだって、とサーユが唐突に言った。なにそれ、と聞けば、サーユは得意げにウミというものの説明を始めた。曰く、ウミというのは大きな水の塊で、どこまでも続いているのだそうだ。あの空みたいに青いんだって、とサーユが空を指差す。

 つられて見上げた空には、ワタリガラスが一羽、輪を描くように飛んでいた。

 嘘だあ、と私は言った。水の塊なんだから、色なんか付いてるわけがない。じゃあさ、二人で確かめに行こうよ、とサーユが手を差し出した。どうしても、その手を取ることはできなかった。母さんを置いていけない、と私は続けた。そっか、じゃあ仕方ないね、と笑うサーユの顔を、まともに見ることも、私にはできなかった。


 年頃の娘ともなれば、当然縁談の話が親たちの間で持ち上がってくるようになる。結婚相手が誰になるかは年頃の娘にとって、最大の(そしてほぼ唯一の)悩み事だ。結婚した後、幸せになれるかどうかは夫の資質次第だからだ。

 結婚相手は親が決めることもあれば、男性の側が決めることもある。とにもかくにも、結婚した二人は生まれ育った家を出て、新しい家庭を持つ。そうやって新しくできた家族には最上階が割り当てられ、その最上階が一杯になると、今度は屋上が割り当てられる。最初に屋上を割り当てられた家族は、後から来る家族の分の壁と天井を作る。だから、一番初めに屋上に上がる家族は先駆けさんと呼ばれてその階で一番尊敬される家族になるし、集会や祭りで一番良い場所を陣取ることが許されるようになる。

 この先駆けさんになることが許されている男性のことを、一番婿と呼ぶ。当然、結婚相手としては一番人気が出る。この一番婿に見初められるのが幸せな人生を送るための条件だという人も居るくらいだ。

 上の方に若者が出ていくから、伸びていく建物の下層部分には老人ばかりが住むことになる。そして、自然と下層には住人の居ない階が増えていく。そういう階は墓地として生まれ変わり、いずれ下の方から流砂に埋もれていく。  

 墓地の近くには御祖様——先祖の霊魂を指す言葉だ——が出る、という話で、時々墓参りに行く者があちらへ取られる、というので集落への出入りはなるべく日が高いうちに行う、というのが年頃の娘の間での暗黙のルールだった。もちろんサーユがそんなルールに聞く耳を持つはずもなく、彼女だけは夜だろうが、月が無かろうが、平気で流砂へと出ていくのをやめようとしなかった。


 夜も暖かくなってきて、そろそろ毛布をしまっても良さそうな、ある春の夜のことだった。サーユと私はいつものように私の寝室で駄弁っていた。その夜もいつも通りの夜だった。サーユが窓の外を指さして、私に問いかけてくるまでは。御祖様に取られた娘が、どこに行くのかって、リリシャは知ってる?とサーユは言った。逆世に行くんじゃないの、と私は答えた。サーユは、それを聞くと、笑ってこう言った。荒野の向こう、と。私の知らない横顔が、そこにあった。

 行きたいの?と私は尋ねる。声が震えていた。しばらく目を伏せていたサーユが、うん、と頷く。じゃあ、今のうちにたくさん思い出を作らないとね、と私は無理に笑った。


 御祖様に取られた娘は「選ばれた」のだとされるから、普通、その行き先の詮索はされない。御祖様に取られた娘の縁者もまた、「選ばれた」のだからなにかと面倒を見てもらえるようになる。当然、縁者の中には井戸姉妹も含まれる。

 残された時間はそう長くないのだ、と二人ともわかっていた。だから、やりたかったことは全部やった。屋上にも行ったし、中層の酒場にも内緒で行った。欲しかった指輪もお揃いのを買った。でも、荒野にだけは行かなかった。もう、行っても意味がなかったから。


 新月の夜を決行日と決めた。墓参りに行くから下層へ降りたい、と言うと母はしぶしぶながらもランタンを貸してくれた。


 建物を一層、また一層と降りていくごとに人の気配が薄れ、夜と荒野の気配が濃くなっていく。息を潜めるように、夜の集落を抜けていくと、やがて墓地へと辿り着く。

 墓地に、二人ぼっち。辺りはいやに静かで、なんだか怖くなった私たちは、どちらからともなく、たわいもないことを話しだした。サーユのいたずら、私の初恋、二人だけの秘密基地、昨日の晩ご飯、おばさんの口ぐせ、母さんの刺繍、アルキヤの噂、将来の夢、そんなことを話していると、明日もまた会えるような、そんな気が、して、私はいつのまにか、泣いていた。隣からもすすり泣く声が聞こえてきた。サーユの声だった。

 しばらくして、泣き止んだらしいサーユがごめんね、と言った。私はいいよ、と答えた。サーユが私の右手を握り、囁くように、約束と言って私の薬指に指輪をはめた。私も、お返し、と囁いてサーユの右手に指輪をはめた。

 どれくらい、そうしていたのだろう。荒野を蹄が叩く、その硬い音で現実を思い出す。はっとサーユが手を離し、窓の方へ駆け出していく。窓を乗り越え、荒野へと飛び出したランタンの灯りが小さくなって行くのを、いつまでも、いつまでも、私はじっと見つめていた。


 そして、私は家に帰ってくるなり、手はず通りに泣いた、サーユが御祖様に取られた、と言って。しばらくの間、サーユや私の家を年配の男性が出入りして、何事かを話し合っていた。一度母に内容を尋ねたことがあるが、母は口をつぐんで話そうとしなかった。

 年配の男性が来なくなったと思うと、年若い男性が私の家を訪ねてくるようになった。彼は誠実な人で、困ったような笑みが可愛らしい人で、そして、一番婿だった。彼も私を好ましく思っていたようで、しきたり通り、彼の家に私が呼ばれるようになり、やがて婚礼を挙げ、私たちは屋上に新しい家庭を持った。


 私たちは共犯だった。サーユは自由を、私は安定を求めた。それ以上でもそれ以下でもない。サーユは、結局海に着いたのだろうか。着いていた、として、私の、この青い眼を、思い出しただろうか。考えたって、答えは出ないし時間の無駄に決まっている。けれど、ワタリガラスが空を舞ったとき、あるいはクロ石を探すとき、サーユの夢見るような黒い眼が、ふっと私の頭を過ぎっていくのだ。

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