第3話 蒔かれた種
※ 架空世界の物語ですので、宗教観は現世界と異なります。
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そう言われてしまえば、エミーリエはよく分からなくなってしまった。
肉も魚も、元は
だから、それを殺して食べていることを“むごい”と言われたのだと思っていた。
しかし、例え血を流さなくても、声を発しなくても、目に見えなくても、生きているものがいるのだとしたら……?
「分かりません、おじいちゃま。それなら何を食べても”むごい”ということですか? 私、パンも食べてはいけないのですか?」
エミーリエが泣きそうになって答えると、隣のアントニーは首を傾げた。
「僕は違うと思うけどな……」
「ふむ、アントニーはどう思うのかね?」
老紳士とエミーリエが目を向ければ、アントニーはゆっくりと言葉を選ぶように続ける。
「僕は、エミーリエが食事を残す方が“むごい”と思いました。だって、あの肉や魚は捨てられてしまうもの。誰の生命にも繋がらずに、ただ捨てられてしまうなんて、ずっとかわいそうだと思います」
エミーリエが食べずに残した料理は、残食確認を終えたら、そのまま捨てられている。
度々こっそり厨房へ忍び込むアントニーは、それを知っていた。
「生命に繋がるって、どういうことですか、お兄様」
「えっと……、食べ物は栄養になって、身体を作ったり、生きる為の力になるだろう? だから、肉や魚の生命は、食べた僕らの生命に繋がるんだ」
「ほほう、それはすごいことを考えたね、アントニー」
老紳士が感心したように言えば、アントニーは頬を染めて、恥ずかしそうに首を振った。
「僕一人で考えたんじゃないんです、おじい様」
「では誰と考えたのかね?」
「おばあ様です」
老紳士は虚を突かれて、一瞬固まった。
アントニーの言う“おばあ様”は、一昨年亡くなった老紳士の妻だ。
「……おばあ様は、なんと?」
「世界中の生き物は、他の生命を食べて、生命を繋げて生きていくものだって。だから、それらに生かされていることに毎日感謝するのだと仰っていました。それから、生命を繋ぐ食事を作ってくれる厨房の皆にも感謝しなさいと」
老紳士と孫達の会話に聞き耳を立てていた近くの料理人達は、揃って背筋を伸ばした。
その顔はどこか誇らしげだ。
老紳士もまた、誇らしい気持ちと共に、懐かしさに目を細めた。
愛する妻の心は、今もこの領主館に生きている。
「……じゃあ結局、肉や魚を食べることは“むごい”ことではないの?」
より一層困惑した顔になったエミーリエの手を、老紳士はポンポンと叩いた。
「エミーリエ、食事をする時、私達は神様に祈るね。なんと祈るのかな?」
「……『今日の
「そうだね。毎日食べる食事は、全て神様から与えられた糧だ。だとするなら、何を食べても“むごい”ということにはならないかもしれない。何しろ、神様が与えて下さっているのだからね」
エミーリエは瞬く。
大きな新緑の瞳が、迷いに揺れる。
「神様が与えて下さったら、生きていたものを食べても“むごい”ことではないのですか?」
「どうかな。それをどう感じるのかは、アントニーのように人それぞれだ。神様は直接正解を下さらないものだからね。ただ言えることは、神様はそうして他の生命を食べて生きるように、生き物を創られたということだ」
他の生命を食べて生きる。
バッタが葉を食べていたように。
鳥が虫を食べるように。
大きな獣が小動物を食べるように。
人間が、多くの生命を食べるように。
「難しいです、おじいちゃま……」
呟いたエミーリエに、老紳士は深く頷いた。
「そうだね。それなら、その疑問はずっと持っておくと良い」
「分からないままでいいのですか?」
「もちろんだ。これからエミーリエが成長して、たくさん勉強をして考えるんだ。そしていずれ、本当に肉や魚を食べることが“むごい”と感じるのなら、食べるのを止めたら良い。ただしその時は、目の前の皿を突き返すのではなく、その料理となった肉や魚をどうすれば生かすことが出来たのか、そこまで考えなければならないよ」
ここにあるものを拒否するのは簡単だが、それはただの好き嫌いと同じだ。
生命を奪うことを“むごい”と言うのなら、本当に必要なのは、どうすれば生命を奪わずに済んだのかと考えること。
そしてそれは、肉や魚だけの話ではなく、この世界に生きるもの全てに向けるべき考察でなければならないはずだ。
老紳士はエミーリエの頭を愛おしむように撫でた。
髪に飾られた赤い花が、ひらと揺れる。
「ゆっくりで良いのだよ、エミーリエ。お前達はまだまだ幼い。食べて、遊んで、学んで、少しずつ成長していけば良い。この花を拾って飾ったお前なら、きっと自分の答えを見つけられるだろう」
分からなくて良い、ゆっくりで良いと言われて、エミーリエからようやく安心したような息が漏れた。
ずっと、どこか気を張っていた部分があったのだろう。
彼女は両手を組んでもぞもぞと動かし、上目に老紳士を見た。
「それならおじいちゃま、夕食の仔牛のコートレット、私も食べていいですか?」
「もちろんだよ、エミーリエ」
「……本当はずっと、お肉もお魚も食べたかったんです。でも、私、悪い子になりたくなくて……」
その言葉がエミーリエの口から出て、側にいたオルガは表情を緩めた。
台を挟んで向かい側にいたハイスと、軽く頷き合う。
老紳士もまた、安心したように何度か頷いた。
「エミーリエが悪い子であるものか。……ああ、だが、たくさん心配しているお母様は、早く安心させてあげなければならないね」
老紳士はそう言って、エミーリエを後ろに向かせる。
厨房から隣の広間に続く扉は開け放たれていて、領主奥方が急いでこちらにやって来るのが見えた。
エミーリエはサッと駆けて行って、屈んだ
「お母様、お母様、心配させてごめんなさい」
「エミーリエ」
奥方の後ろからそっと戻って来た侍女のルイサは、何事もなかったかのように老紳士の側に立った。
老紳士達が酵母液を見に奥へ行った時、一人離れて奥方を呼びに行っていたのだ。
「まったく、無駄に気の回る侍女だよ、お前は」
「まあ、お褒め頂けるなんて珍しい。今夜あたり、初雪が降るのではないですか。またしつこくお風邪を召されませんように」
「阿呆、早すぎるわ!」
渋面になった老紳士は、胸で揺れる花弁を見遣った。
「……種を蒔くのだと、彼女は言っておったな」
「……ええ、そう仰っておりましたね」
三年ほど前に領主の座を息子に譲った後、老紳士はポッカリと空いた昼の時間に、毎日妻と庭園の散歩を楽しむことにした。
今までは、これ程ゆっくりした時間は持てなかった。
これからの余生は、毎日をのんびりと過ごせば良いだけだと言う老紳士に、妻はコロコロと笑った。
『まあ、あなた、老け込むには早いですよ。領主の座を降りても、私達にはまだまだやることがたくさんありますからね』
『やること? それは?』
『種を蒔くのです』
『種? 庭師の真似事でもするつもりかね?』
『ふふ、さあどうかしら』
怪訝そうにしている夫を笑いながら、妻は大きく開いた赤い花に鼻を寄せる。
『種を蒔き続けて生きましょう、あなた。その種が育って花が咲けば、また新しい種が蒔かれる。素敵な生涯だわ』
その後すぐに病床に伏した妻に、その種がどういうものを指していたのか、詳しく聞く機会はなかった。
いや、忘れていたと言う方が正しい。
しかし、今なら何となく分かる。
「……私も彼女のように種を蒔けるだろうか」
「もう蒔いておられるではないですか」
ルイサが見ているのは、エミーリエを抱きしめる奥方と、側で見守るアントニーだ。
彼等にも、見えない
老紳士は膝に手をついて立ち上がった。
「……お前に褒められると、尻の収まりが悪いわい」
「別に褒めてはおりませんが?」
「ぬっ……」
老紳士が口を歪めて見上げれば、背の高い年増の侍女は、軽く片眉を上げた。
眉根を寄せた奥方は、エミーリエの顔を覗き込んだ。
「悪い子ですって? あなたのことを、一体誰がそんな風に言ったというの?」
「あの日、レストランで隣に座っていた黒髪の男の子です、お母様」
すっかり胸が軽くなったのか、エミーリエは母に尋ねられるまま、偏食のきっかけとなった出来事について話していた。
周遊サーカスを観に行った日、領主は社交を兼ねて、領内の小貴族達を招いていた。
レストランでは、未成人の子供だけ別室で昼食を食べたのだが、エミーリエの席の隣の男の子がそう言ったのだという。
確か歳の近い子が座っていたはずだが、美味しい料理に夢中だったエミーリエは、その子の名前も覚えていなかった。
「え、あの子が原因だったの?」
「アントニー、知っているの?」
奥方が尋ねれば、アントニーは微妙な顔で後ろに控えたコリーを見上げた。
「名前は覚えていません。えっと、あの子、エミーリエに一生懸命話しかけてたんですけど……」
「ああ、ご領地の南端の家門の坊ちゃんでしたっけ。そういえば、お嬢様のことが気になって仕方ない様子でしたけど、いくらアピールしてもお嬢様がお食事に夢中で相手にされなくて、……あ」
コリーは口を噤んだ。
なるほど、そういうことか、と周りの者達は苦笑いする。
天使の様に可愛らしいエミーリエの興味を引こうとしても、料理に夢中な彼女に全く相手にされないものだから、少年は意地悪をしたのだ。
『肉や魚をそんなに美味しそうに食べるなんて、なんて“むごい”んだ。君は悪い子だな!』
つまりは、好きな子に間違ったアピールをしてしまう男の子の典型だったというわけだ。
「まあ、ふふ、そう、そういうこと。
奥方が美しく笑みを浮かべる。
しかし、やけに周りが冷えてきたのはどういうわけか。
使用人達がぶるりと身体を震わせて目線を逸らす中、母に抱きしめられたエミーリエだけは、今日の夕食を思い浮かべて微笑んだのだった。
ああ、今日の
《 終 》
種はいつか大きくなって 幸まる @karamitu
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