赤鱗の縁談 〜無礼な男許すまじ〜

加須 千花

あたくしは婚姻なんてしたくありません!

 奈良時代。


 佐久良売さくらめ、二十三歳。


 佐久良売は、豪族の娘である。

 ほんの十五日前までは、奈良、平城京の采女うねめ(女官)であった。

 だが、自分の親が治める、陸奥国みちのくのくに桃生郡もむのふのこほり蝦夷えみしに攻められ、戰となったと聞いて、急ぎ、桃生柵もむのふのき(桃生城)に戻ってきたのだ。


 それなのに。

 ああ、それなのに。


 家族が心配で帰ってきたのに、お父さまは、


「ひゃっほう!」


 と小躍りしたあと、きり、と顔を引き締めて、佐久良売に、


「縁談なさい。」


 と言い渡したのだ。


「嫌です。」


 佐久良売ははっきり断ったのに、


「父が良い相手を見つけてやるから。なに、歳が上でも……ごにょごにょ、おまえの美貌なら、問題ないさ。」


 おみなは十六歳からつまを得はじめ、二十歳までには、ほとんどがつまを得る。

 佐久良売は、二十三歳。

 とっくに、世の中の適齢期を過ぎている。


つまを持ち、孕乳ようにゅう(子をはらみ、産む事)をせ。幸せになり、この父を安心させておくれ。」


 佐久良売はむくれて、唇をつきだした。


「嫌ですっ。」

「佐久良売!」

「どうしてもというなら、妻も吾妹子あぎもこ(愛人)もいないおのこにしてくださいまし。」

「えっ?」


 豪族の娘に釣り合う身分のおのこなら、妻や、吾妹子あぎもこを何人も持つのは、常識た。


(ものすごいワガママを言ってやるんだから。これで相手は探せなくなるでしょ?)


「子供がいるおのこは、嫌です。

 不細工でも嫌です。

 バカでも嫌です。

 教養のあるおのこにしてください。」

「…………。」


 無理難題に、お父さまの顔は渋面じゅうめんになった。その日は、お父さまは、そのまま引き下がった。


 しかしである!

 

「まあ、教養のないおのこはイヤ、というお前の言い分もわかる。

 おまえは采女うねめとして、奈良の風流を身につけて帰ってきたのだからな。

 父は、おまえの希望を全て満たしたおのこを見つけて来たぞ!」


 佐久良売は縁談の席につかされてしまったのである!


 相手は、佐久良売より身分がずっと上の、貴族だ。


(よくこんな身分が上の男で、あたくしのあげた条件を満たせる男を見つけたものね。)


 これでは、縁談の席につかない、という無礼も働けない。


(あたくしは婚姻なんかしたくないのに……。)


 佐久良売は苦い思いで、ご馳走の並んだ机の向こう、椅子に腰掛ける縁談相手を見る。


(笑顔なんて向けないわよ。

 あたくしは愛想のない女。

 こんなおみなは妻にできない、気に入らない、と、縁談をそちらから断ると良いんだわ。)


 初めて会った縁談相手、道嶋みちしまの宿禰すくねの嶋成しまなりさまは、二十一歳ということだった。


 若い男。

 会ってすぐ、不躾ぶしつけな目線で、佐久良売の顔、首、胸……、と、全身をじろじろと値踏みするように見た。


。)


 非常に簡潔な言葉が佐久良売の脳裏をよぎる。


 佐久良売は、見目みめよきおみなだった。

 自分の自惚うぬぼれではない。

 采女うねめは、豪族の娘がなるもの。皆、美しい娘たちだった。

 そのなかでも、佐久良売の美貌は抜きん出ていた。

 ひな田舎いなか)の、なんの後ろだてもない陸奥みちのく出身の佐久良売は、


「最果てのひなの采女よ。」


 と畿内きないの采女に、陰でバカにされた。

 しかし、佐久良売の容貌をあげつらう者は皆無であった。

 美しく着飾り、美貌に磨きをかけ、自分の美しさを誇らしげにかかげることは、采女の挂甲かけのよろい(鎧)である。

 佐久良売は、己の美貌を正しく理解していた。

 平城京では、履いて捨てるほど、恋文ももらってきたのである。

 実際、全部捨てたが。


 目の前の若い男は、軽い調子で、


佳人かほよきおみなですね。年増なのは仕方ないとしても、枯れ枝みたいな体形なのは、良くありませんね。妻となったら、もっと食べてください。」


 と、抜け抜けと言い放った。


!)


 ビキビキビキ、と、佐久良売のこめかみが脈打った。

 目が吊りあがる。


(年増で悪かったわね!

 たしかにあたくしは豊満ではないけど、人の体型に口を出すなんて、なんて恥知らずなの?!

 しかも、この方、これが失礼だとは思ってない顔をしてるわ。

 うう、許せない。

 よくも、あたくしを侮辱したわね!)


 嶋成さまの隣に腰掛けた、嶋成さまの父親が、はっ、とうろたえて、佐久良売を見た。

 息子の失言を、佐久良売にすまない、と思っているらしい。

 嶋成さまは、


「うっ。」

 

 と、佐久良売から吹き出した憤怒に戸惑い、息を呑んだ。


 佐久良売は、机の上のご馳走、川魚の煮付けが乗った大皿を見た。


正四位上しょうしいのじょうの陸奥国みちのくのくにの大国造おおくにのみやつこの道嶋みちしまの宿禰すくねの嶋足しまたりさまの息子、嶋成しまなりさまなら、もちろん聡明でいらっしゃるでしょう。

 これはご存知かしら?

 ※靈臺廣宴れいだいくわうえんひらき、寶斝琴書ほうかきんしょを歓ぶ。てうおこ青鷥せいらんの舞。

 は踊らす赤鱗せきりんの魚。」

「は……?」


 漢詩は難しい。

 教養のある貴族といえど、瞬時に理解するのは無理であろう。

 佐久良売はこういう時のために、この言葉を覚えておいたのだ。

 案の定、嶋成さまは、突然並べ立てられた漢詩に、目を白黒させ、ぽかん、と口をあけた。


(その口、もらった!)


「これがは踊らす赤鱗せきりんの魚よっ!」


 佐久良売は、川魚の煮付けの乗った大皿をつかむや、ぶん、と嶋成さまの顔めがけて、投げつけた。

 皿は、滑空かっくうした。

 魚の煮付けも飛んで、踊るように、嶋成さまの口に飛び込んだ。


(良し!)

 

 皿は机に落ち、嶋成さまの顔は甘辛い煮付け汁でべったり濡れ、口には魚の尻尾が、ぴょこん、と飛び出していた。赤魚でなかったことだけが悔やまれる。

 お父さまが、


「ぎゃー、佐久良売ぇ! なんて事を!」


 と顔面蒼白になり、嶋成さまの父親が、


「むおっ……。」


 と驚き、佐久良売のうしろに控えていた女官、若大根売わかおおねめが、


「ほんぎゃっれ!」


 と奇声を発して驚いた。

 嶋成さまは真っ赤な顔で、がたっ、と倚子を立ち、口にはいった魚を吐き出し、


「何するんだ、こんちくしょう! こんな縁談、こっちからお断りだ!」


 と怒鳴り、挨拶もせず、部屋を出ていった。


「さ、佐久良売、謝罪を、今すぐ謝罪をしなさいっ!」

「ふんっ!」


 佐久良売は、つん、と顎をそらした。


「あぁ、佐土麻呂さとまろ殿……。」


 嶋成さまの父親、嶋足しまたりさまが、ぐったり疲れた顔で、お父さまを見た。


「謝罪は……、けっこうです。

 これでも、嶋成のほうから、私に願った縁談だったのですよ。

 それなのに、嶋成には、将来を共にする妻への配慮が足りない。

 これでは、夫婦めおととなっても、永く睦まじく暮らす事は無理であろうに、不肖の我が息子はそれがわからないのですよ。佐久良売さま。」


 嶋足しまたりさまから見られ、さすがに、佐久良売は背すじを正した。


郎女いらつめ(身分ある女性)であれば、あの皿はやりすぎだな。

 しかし、もとはといえば、私の息子の心無い一言が原因だ。佐土麻呂さとまろ殿、佐久良売さま、息子にかわり謝罪を……。」


 そこで、ばたばた、と女官が部屋に駆け込んできた。お父さまが、


「なんだ、騒々そうぞうしい!」


 と怒る。女官は荒い息で、礼の姿勢をとった。


「申し訳ございません。火事がおこりましてございます。」

「何っ?!」

厨屋くりや(厨房)からです。」


 すぐに鎮火せねばならない。

 部屋の空気がピリ、と冷えた。

 お父さまが、嶋足しまたりさまを見た。


陸奥国みちのくのくにの大国造おおくにのみやつこさま。失礼ながら、すぐに鎮火にむかわねばなりません。退室するご無礼をお許しください。」

「これはいけません。すぐに厨屋くりやに向かわれるのがよろしいでしょう。

 私も、今日はこのまま帰ります。」





 火事はすぐに鎮火できた。


 縁談は壊れた。


(ああ、皿を顔に投げつけて、スッキリしたわ。ほほほ……。)


 と満足した佐久良売だったが、そのあともお父さまが、どこからか、見合い相手を次々と見つけてくるのには閉口した。


(もう、婚姻にふさわしい年齢も過ぎているのに……。)


 はっきり見聞きしたわけではないが、年増の娘の婚姻相手を探すのに、なりふり構わない、みっともない親だと、世間では後ろ指をさされているであろう……。

 人というのは、口さがないもの。

 お父さまは、多分、それをわかっている。

 陰でなんと言われようがひるまず、佐久良売の為に縁談の相手を探してくれているのだ。


 それを思うと父の情が切ない。


 でも、佐久良売も、婚姻する為に桃生柵もむのふのきに帰ってきたわけではないのだ。


(戰場となった桃生柵もむのふのきを支え、家族のそばにいたいだけなのに……。)


 親を思う子の心と、子を思う親の心は、それぞれが強いゆえ、すれ違う。


 そして……。


 あの、滑空した皿と魚の煮付けが、嶋成の人生を変え、放蕩息子が更生するきっかけになろうとは、この時の佐久良売は予想もしていなかったのである。






     ───完─── 








      *   *   *   




 ※霊台れいだい(うてな)で盛大な宴を開き、立派な酒杯しゅはいに琴をだんじ作詩する事を喜ぶ。

 ちょうの国では青い鳳凰の舞を舞いはじめ、の国では音楽を奏して赤い鱗の魚を淵から躍り上がらせた。

 



 懐風藻かいふうそう  箭集宿禰蟲麻呂やつめのすくねむしまろ




 参考

 古代歌謡集  日本古典文学大系  岩波書店


 





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