赤鱗の縁談 〜無礼な男許すまじ〜
加須 千花
あたくしは婚姻なんてしたくありません!
奈良時代。
佐久良売は、豪族の娘である。
ほんの十五日前までは、奈良、平城京の
だが、自分の親が治める、
それなのに。
ああ、それなのに。
家族が心配で帰ってきたのに、お父さまは、
「ひゃっほう!」
と小躍りしたあと、きり、と顔を引き締めて、佐久良売に、
「縁談なさい。」
と言い渡したのだ。
「嫌です。」
佐久良売ははっきり断ったのに、
「父が良い相手を見つけてやるから。なに、歳が上でも……ごにょごにょ、おまえの美貌なら、問題ないさ。」
佐久良売は、二十三歳。
とっくに、世の中の適齢期を過ぎている。
「
佐久良売はむくれて、唇をつきだした。
「嫌ですっ。」
「佐久良売!」
「どうしてもというなら、妻も
「えっ?」
豪族の娘に釣り合う身分の
(ものすごいワガママを言ってやるんだから。これで相手は探せなくなるでしょ?)
「子供がいる
不細工でも嫌です。
バカでも嫌です。
教養のある
「…………。」
無理難題に、お父さまの顔は
しかしである!
「まあ、教養のない
おまえは
父は、おまえの希望を全て満たした
佐久良売は縁談の席につかされてしまったのである!
相手は、佐久良売より身分がずっと上の、貴族だ。
(よくこんな身分が上の男で、あたくしのあげた条件を満たせる男を見つけたものね。)
これでは、縁談の席につかない、という無礼も働けない。
(あたくしは婚姻なんかしたくないのに……。)
佐久良売は苦い思いで、ご馳走の並んだ机の向こう、椅子に腰掛ける縁談相手を見る。
(笑顔なんて向けないわよ。
あたくしは愛想のない女。
こんな
初めて会った縁談相手、
若い男。
会ってすぐ、
(
非常に簡潔な言葉が佐久良売の脳裏をよぎる。
佐久良売は、
自分の
そのなかでも、佐久良売の美貌は抜きん出ていた。
「最果ての
と
しかし、佐久良売の容貌をあげつらう者は皆無であった。
美しく着飾り、美貌に磨きをかけ、自分の美しさを誇らしげに
佐久良売は、己の美貌を正しく理解していた。
平城京では、履いて捨てるほど、恋文ももらってきたのである。
実際、全部捨てたが。
目の前の若い男は、軽い調子で、
「
と、抜け抜けと言い放った。
(
ビキビキビキ、と、佐久良売のこめかみが脈打った。
目が吊りあがる。
(年増で悪かったわね!
たしかにあたくしは豊満ではないけど、人の体型に口を出すなんて、なんて恥知らずなの?!
しかも、この方、これが失礼だとは思ってない顔をしてるわ。
うう、許せない。
よくも、あたくしを侮辱したわね!)
嶋成さまの隣に腰掛けた、嶋成さまの父親が、はっ、とうろたえて、佐久良売を見た。
息子の失言を、佐久良売にすまない、と思っているらしい。
嶋成さまは、
「うっ。」
と、佐久良売から吹き出した憤怒に戸惑い、息を呑んだ。
佐久良売は、机の上のご馳走、川魚の煮付けが乗った大皿を見た。
「
これはご存知かしら?
※
「は……?」
漢詩は難しい。
教養のある貴族といえど、瞬時に理解するのは無理であろう。
佐久良売はこういう時のために、この言葉を覚えておいたのだ。
案の定、嶋成さまは、突然並べ立てられた漢詩に、目を白黒させ、ぽかん、と口をあけた。
(その口、もらった!)
「これが
佐久良売は、川魚の煮付けの乗った大皿をつかむや、ぶん、と嶋成さまの顔めがけて、投げつけた。
皿は、
魚の煮付けも飛んで、踊るように、嶋成さまの口に飛び込んだ。
(良し!)
皿は机に落ち、嶋成さまの顔は甘辛い煮付け汁でべったり濡れ、口には魚の尻尾が、ぴょこん、と飛び出していた。赤魚でなかったことだけが悔やまれる。
お父さまが、
「ぎゃー、佐久良売ぇ! なんて事を!」
と顔面蒼白になり、嶋成さまの父親が、
「むおっ……。」
と驚き、佐久良売のうしろに控えていた女官、
「ほんぎゃっれ!」
と奇声を発して驚いた。
嶋成さまは真っ赤な顔で、がたっ、と倚子を立ち、口にはいった魚を吐き出し、
「何するんだ、こんちくしょう! こんな縁談、こっちからお断りだ!」
と怒鳴り、挨拶もせず、部屋を出ていった。
「さ、佐久良売、謝罪を、今すぐ謝罪をしなさいっ!」
「ふんっ!」
佐久良売は、つん、と顎をそらした。
「あぁ、
嶋成さまの父親、
「謝罪は……、けっこうです。
これでも、嶋成のほうから、私に願った縁談だったのですよ。
それなのに、嶋成には、将来を共にする妻への配慮が足りない。
これでは、
「
しかし、もとはといえば、私の息子の心無い一言が原因だ。
そこで、ばたばた、と女官が部屋に駆け込んできた。お父さまが、
「なんだ、
と怒る。女官は荒い息で、礼の姿勢をとった。
「申し訳ございません。火事がおこりましてございます。」
「何っ?!」
「
すぐに鎮火せねばならない。
部屋の空気がピリ、と冷えた。
お父さまが、
「
「これはいけません。すぐに
私も、今日はこのまま帰ります。」
火事はすぐに鎮火できた。
縁談は壊れた。
(ああ、皿を顔に投げつけて、スッキリしたわ。ほほほ……。)
と満足した佐久良売だったが、そのあともお父さまが、どこからか、見合い相手を次々と見つけてくるのには閉口した。
(もう、婚姻にふさわしい年齢も過ぎているのに……。)
はっきり見聞きしたわけではないが、年増の娘の婚姻相手を探すのに、なりふり構わない、みっともない親だと、世間では後ろ指をさされているであろう……。
人というのは、口さがないもの。
お父さまは、多分、それをわかっている。
陰でなんと言われようがひるまず、佐久良売の為に縁談の相手を探してくれているのだ。
それを思うと父の情が切ない。
でも、佐久良売も、婚姻する為に
(戰場となった
親を思う子の心と、子を思う親の心は、それぞれが強いゆえ、すれ違う。
そして……。
あの、滑空した皿と魚の煮付けが、嶋成の人生を変え、放蕩息子が更生するきっかけになろうとは、この時の佐久良売は予想もしていなかったのである。
───完───
* * *
※
参考
古代歌謡集 日本古典文学大系 岩波書店
赤鱗の縁談 〜無礼な男許すまじ〜 加須 千花 @moonpost18
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます