第5話

しとねに横たわり、目を閉じていた佐原は、いつの間にか眠りについていた。彼は夢を見ていた。どこか知らない海辺であった。夜の砂浜のようであるが、月光が差し込み、あたりは明るかった。

 そこはやたらと広い砂浜で、渚までの距離が遠かった。黒い一本の帆柱のように、背の高い椰子の木が、砂浜からまばらに何本か、海を背景に生えていた。

 佐原の視界の前には、大きな穴が空いていた。佐原は、シャベルをもち、その穴を埋めることに、一心不乱となっていた。

 その穴の底には、一人の女が横たわっていた。夜陰が立ち込めあまり判然としないが、見つめているうちに、弱い月影の光だけでも、そこに横たわっている人間の正体がわかった。それは鳥谷美羽であった。彼女は、魔の手のように左右に広がった黒髪を下地に、仰向けとなっていた。彼女は、そこで死んでいた。佐原はなぜか、夢の中で、彼女の死体を、その場所へ懸命に埋め続けているのであった。

 彼女は、肩の出た、白いデコルテのドレスを着ていた。穴の中へ微弱にそそぐ玲瓏とした月影を吸い、その白い生地は、艶やかな光沢を、浮かべていた。そのドレスの白い胸の右部分の布地には、赤いしみがひろがっていた。固まってはいなく、未だその布地の下からは鮮血が溢れているのか、湿潤とした輝きを浮かべていた。

 彼女の目は見開かれており、空虚であった。口をあんぐりと開けていた。薄い口唇の裏に潜む歯の白さが、闇の中で奇妙に浮かび上がっていた。佐原はその口をめがけて、思いっきり砂を放った。彼女はどんなに砂をかけられても、濁った黒いうつろな虹彩のままに、みじろぎもしなかった。 

 いつまでそれを繰り返していただろうか。いつのまにか、彼女が底に眠る穴は、ふさがっていた。佐原は、全てを終えたように、静かに握っていたシャベルを放り投げた。息が激しくきれていた。佐原は膝に手をつきながら、つよく呼吸した。

 ふと、耳に響く呼吸の音にまぎれ、佐原の耳には、彼女のすすりなく声が、聞こえてきた。鳥谷は土の底へ眠っているはずなのに、なぜか、突如として、彼女のすすり泣く声が佐原の耳から離れなくなった。佐原は耳を塞いだ。しかし、決してその声を遮断する事はできなかった。どんなにきつく耳をふさごうとも、それは決してやむことが無かった。

 もうやめてくれ、と埋め立てた土の上へ、佐原は叫んだ。すると、彼女を埋めた、色の変わった砂の部分に、細かい裂け目がきざみ込まれ始めた。稲光のように、どこから始まったのか定かではない、いくつもの湾曲する線が、入りみだれていた。やがて土の上に無数に張り巡らされたその裂け目たちは、大きく膨張し、たがいに連衡し始めた。そして次の瞬間、地面が崩れ去ったかと思うと、その土の下から何かが現れた。それは白い手であった。か細い手であったが、それはおそろしく長く伸びて、佐原の首元へ迫った。

 佐原は叫びごえをあげる暇もなかった。その白い腕は、指先で佐原の首元を捉えた。線弱な糸のような細さの指先であったが、佐原の首元をがっしりと掴むその力は、強いものであった。佐原は、必死にあがいた。しかし、その強い力の拳は、どうしてもほどく事ができなかった。先ほどまで聞こえていた、啜りなく声は、もう既に止んでいた。代わりに佐原の耳へとどくのは、こちらを侮蔑する、鬱陶しい雨音のような、鳥谷美羽の嘲りの笑い声であった。

 

 恐慌に我を失いかけた頃、佐原はその夢から醒めた。身体中、冷あせにまみれていた。夢の中で、きつく絞められていた喉元へ、佐原はそっと手をやった。その首筋に、佐原の自らの指がふれると、するどい痛みが走った。驚いた佐原は、瞬時に手を引っ込めた。

 喉元が、焼け爛れた様に痛かった。佐原は枕元の脇にある机の上のランプをつけた。室内は、柔らかな飴色の灯りに満たされた。

 彼はベッドから起き上がり、ウォールナッドの床材を歩いた。床は湿り気を帯びているように感じられ、足の裏の皮膚へまとい付くような、鬱陶しさを感じさせた。彼は部屋の片隅に置かれた、等身大の鏡面の前まで歩いた。フレームには茶褐色の胡桃の木材がつかわれており、木肌が荒く、深く抉られたかのような深い木目の筋が、何本も縦に描かれていた。左側の木枠中腹には、銃痕のような孔穴が三つほど、空いている。

 佐原はその鏡面に映る、自らの姿を眺めた。首元へ視線をやると、そこには、赤いあざの筋が、生々しく残っていた。誰かにきつく首を絞められたかのような、傷痕であった。

 佐原は狼狽した。震える足で、先ほどまで、写真をひろげていたデスクの方へと、向かった。机の前まで行き、天板を見下ろすと、眠りにつくまでに見つめていた写真たちは、未だ乱雑にそこへ放置されていた。佐原は、瑞鳳門を写した写真をもう一度、見つめた。しかし、そこで彼は、異変に気づいた。

 先ほどまで、確かにそこに写っていた筈の、鳥谷に似た女の後ろ姿が消失していたのだ。そこには、佐原が写真を撮る前に見つめていた、誰もいない、元の瑞鳳門の姿が写しだされていた。

 佐原は視線を宙へ泳がせた。今までに起きた不可解な出来事と、夢の恐ろしい余韻に、頭が呆然としていた。弱々しく降る雨音が、自らへ向けられた嘲笑のように、いつまでも佐原の耳へ響き続けた。

 

 

 

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緑陰の幻影 サロメの舞踏 @momo5296

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