第1話

「来週から夏休みが始まるということで浮かれてるみんなが、さらに浮かれるお知らせがあります。今日からうちのクラスに一人、東京から転校生が来ることになりました」


朝のホームルームの時間。教師のその言葉にワッと歓声が起こった。

高校三年生のこの時期に転校してくるということに含め、僕が住んでいる田舎では東京という都会から転校生がやってくること自体がほとんどない。

そんな一生に一度あるかないかのビックイベントに、歳頃の高校生が胸を弾ませるのも無理はない事だった。


「それじゃ黒沢。入って」


教師のその言葉の後、教室の扉が開き彼女が弾むような足取りで教室の中に入ってくる。

彼女が黒板の前に立つと、先程までの喧騒がより一層激しさを増した。


「はいはい、みんな静かに。それじゃ黒沢、軽く自己紹介よろしく」


「はい!」


元気よく返事をすると、彼女。黒沢蛍は黒板に大きく自分の名前を書く。

そして手をパンパンと叩き、一周教室内を見渡すと口角を上げたまま口を開いた。


「黒沢蛍です!先月まで東京の新宿で暮らしてました!親の都合で引っ越してきたんですが、まだ環境になれないところもあるので、色々教えてくれると嬉しいです!卒業まで一年もないですけど、ぜひ仲良くしてくださいっ!」


わぁっという歓声と共に、割れんばかりの拍手が起こる。

彼女が想定していたよりも反応が良かったのか、どこか少し照れくさそうに笑っている彼女を、僕は窓際の1番後ろの席から静かに眺めている。

一瞬目が合うと、彼女はこちらに微笑みかけ、またすぐに視線を前に戻した。


「それじゃ、一時間目はLHRだしこのまま歓迎会に移る。って言っても、あまり騒ぎすぎて他のクラスに迷惑をかけないように」


「せんせー、歓迎会って何するんですか?」


「そうだな、じゃあ黒沢に質問がある人は挙手」


先生がそう言うと同時に、ほぼ全員のクラスメイトが勢いよく手を挙げた。

当てられたクラスメイトたちは各々が彼女に質問を投げかけていく。その質問一つ一つに彼女は丁寧に答えていき、時間は簡単に過ぎていく。

好きな食べ物は何か、休日は何をしているのか、趣味は何か。そんなありきたりな質問の数々。

その中で、ただ一つだけ。彼女の表情がわずかに変わった質問があった。


『この田舎の第一印象は?』


この質問に、一瞬、彼女の表情が変わったのを僕は確かに気づいた。

何とも言えない表情。寂しいような悲しいような、笑顔の中に感じた彼女の感情は、そんなマイナスな感情だったように感じた。だが彼女はすぐにいつも通りの笑顔になり、


『良い場所だと思う。星が綺麗で』


そう答えた彼女に、全員が固唾を飲んだ。

儚げな彼女の姿は、見る者を惹き付ける。まさにあの日、僕が体育館で彼女と出会った時のあの胸の高鳴りを、今クラスメイト全員が思い知ったのだ。

ちょうどそこで一時間目の終了を知らせるチャイムが鳴る。


「それじゃ黒沢の席は白石の後ろでよろしく。白石、黒沢に色々教えてあげてくれ」


「分かりました」


すっかりと静かになった教室に、カツカツと彼女の足音が響いた。

全員の視線を一斉に浴びた彼女は、そんなこと気にしていないといった様子で、僕の後ろの席に着席する。


「どう?」


小さな声が僕の耳に届いた。

後ろから声をかけてくる彼女の方へは振り返らず、僕は親指をグッと立てる。

外を見ようとすると、窓に反射して後ろに座っている彼女がケタケタと笑っているのが視界に入ってきた。

その日は、休み時間になる度に彼女の周りには人集りができていた。

彼女の人柄、誰にでも気さくなその彼女の性格にクラスメイトは好意を抱き、たった一日で彼女はクラスに馴染み込んだ。

そんな彼女を横目に、僕は頭の中でこれからのシナリオを思い浮かべていた。


※※※※※※※※※※※※


「学校では一言も話さないクラスメイト、夜になったら二人で廃校になった学校に忍び込む悪い友だち。んー、いかにも物語っぽいね」


深夜の学校の廊下を、彼女は弾んだ足取りで進んでいく。僕はそんな彼女の後ろを、カメラを回しながら黙ってついていく。

彼女が向かった先は五年生と六年生の教室。

二階に位置するその教室のトビラを開けると、彼女はこちらに手を差し出てきた。


「ここが君が通ってた教室か〜、狭いね」


「人が少なかったからね、このサイズでも広く感じるくらいだったよ。それに、僕が通ってた時は下がカーペットだったからこの床が少し違和感に感じる」


「カーペット!?へー、珍し!」


「ハウスダストアレルギー持ちには結構キツかったよ」


「あはは、それは確かに」


寄せ書きが書かれた黒板に、彼女はそっと触れる。

今日ここに来てからずっとカメラを回しているが、彼女の言動一つ一つが全て絵になる。今自分は本当に物語の中に居るんじゃないかと、そう錯覚させるほど彼女の"芝居"はどこかリアルで、とても自然だった。


「今日はここにしようかな」


彼女がそう言うと、窓の外から光が射し込んできた。

この世にある全てが、今は彼女の引き立て役に過ぎない。彼女は黒板の方へ向き直ると、身体の後ろで手を組み、そして……

カメラを持つ手が震えた。

彼女の歌声、小刻みに踏むステップ。彼女の動作一つ一つを逃さないよう、僕はカメラで彼女の姿を追う。

しばらくして、ピタッと歌うのを止めると、彼女はこちらへ振り返ってくる。その瞳から流れる涙が、一滴床に落ちる。


「……カット」


何とか声を絞り出し、僕はカットをかけた。

心臓が高鳴る。呼吸が荒くなる。冷や汗が全身から溢れ出る。

初めての感情に支配された僕は、彼女の何も声をかけることが出来なかった。

保おけてしまっている僕がおかしかったのか、彼女は涙を拭うといつも通りの笑みを浮かべて僕の周りをぐるぐると回った。


「歌は良いよね、言葉が違くても世界中を繋ぐ」


「…黒沢が特別なんだよ。君が歌い出した瞬間、世界の全てが君のものになる」


「蛍だよ、蛍。ちゃんと名前で呼んで」


いたずらっぽく笑いかけてくる彼女から目を逸らす。

黒沢蛍。そんな名前の彼女とこの学校で出会ったのも一つの運命なんだろう。


「なんで蛍は昨日この学校に居たんだ?こんな廃校になった学校に」


「それはまずそっちから教えてよ。旭は深夜の学校で何をしてたの?カメラなんて持って。こうやって一緒に居て、今日も撮ることは許可したけど、まだ旭のことを何も知らない」


確かに、僕たちは昨日出会った。

でも特に互いのことは話さずに、こうして今日も会っている。あの出会いといい、不思議な関係だ。


「…映画を撮ってるんだ、小さい頃から。父さんが言ってた、『僕が幸せになる映画』を撮るためにずっと。昨日は、この学校の屋上で星空を撮ってた」


「そしたら私の歌声が聞こえて盗撮したと」


「言い方は悪いけど…まぁ盗撮か」


「びっくりしたんだよ!誰も居ないと思って気持ち良く歌ってたら、いきなり誰かが体育館に入ってきてこっち撮ってるんだもん。管理人さんが来て怒られると思った」


「それはごめん、ただ僕もびっくりして」


「びっくりしたのにちゃんとカメラ回し続けるあたり、しっかり映画監督だね」


「撮らなきゃって、そう思ったんだ」


「そっかそっか、それだけ私が魅力的だったと」


「それは否定しない」


僕の嘘偽りない答えに、満足げに笑みを浮かべる。

そして蛍はしばらくすると一度目を閉じ、深い深呼吸をして窓の外を眺める。


「私って存在をこの世に残したいってずっと思ってたの」


ポツポツと、彼女は話し始めた。

一瞬彼女が横目でこちらに合図したのを確認して、僕は急いでカメラを回す。

カメラが回るのを確認すると、彼女はどこか寂しさを孕んだ笑みを浮かべ、窓に手を当てる。


「今の世の中ってつまらないと思わない?科学が発展して、後世に記録を残すのって凄い簡単になったじゃん。後から見返した時に、"今"は絶対に存在した過去になる」


窓を開け、縁に肘を掛けた彼女はこちらに真っ直ぐと指を指す。


「君が今撮っているそれも。私や君が存在した確かな過去になる。でもそれだけじゃつまらない…教科書に載ってるような歴史の出来事。あれってどれも確定された過去じゃないじゃん?」


彼女の言っていることはわかる。が、それが一体彼女の心情とどう繋がるのかが、僕には理解出来なかった。

しかし、僕は直ぐにそれを理解することになる。


「今でも歴史についての都市伝説が流れてるのって、その確定しない過去が魅力的だからだと私は思うんだよね。写真や映像なんて存在しない。文章や絵だけしか残っていないからこそ、歴史はいつまでも今を生きる人たちを惹き付ける」


「つまり、君は自分が確定された過去では無い。不確定な存在として未来永劫語り継がれていきたい…ってそういうこと?」


「大正解!」


そう大声を発した彼女は、満面の笑みを浮かべ僕の肩に手を置き激しく揺らしてくる。


「簡単に真実を残せることに時代に、存在が不確定な存在として語り継がれる。中々魅力的だと思わない?」


「確かに、それは間違いないね」


「だから、私はずっと探してたの。そしたら…君と出会ったのです」


窓から強い風が入り込み、僕たちの髪を揺らす。髪が崩れるのを嫌ったのか、蛍は慌てて窓を閉め、僕の手を取ると窓の外を指さす。

今日も雲一つない夜だ。夜しか輝くことの出来ないそれ達は、自らの存在を証明するように眩い光を放っている。


「交換条件でどう?とりあえず、君は私のことを撮って一つのドキュメンタリー映画をつくって。それが作り終わったら、次は私が君の答え探しを手伝うよ」


僕の手を握る彼女の小さな手に、キュッと力が入ったのを感じた。


「昨日のはお互い何も知らずだったけど、今回はお互いのことを知った上での提案。どう?君にとっても悪くない提案だと思うけど」


「……確かに、とても魅力的な提案だと思う。ただ一つだけ条件をつけたい」


「なに?」


「僕が君をどう映そうが、君の映画をどう撮ろうが、君は口出ししない。それなら君と手を組む」


僕がそう答えると、彼女は一瞬目を丸くしたあと、直ぐにお腹を押さえて笑い始める。

しばらくの間笑った後、彼女は呼吸を荒くしながら親指をグッと立てた。


「強情な映画監督さんだね」


「こだわりが強い方だから」


「うん、やっぱり君は面白い。いいよ、それで…でもその代わり!私からも君に条件が一つ呑んでもらうよ」


「まぁ、こっちのも呑んでもらっからね。いいよ。僕に出来ることなら」


「言ったからね!それじゃあ…君の家に泊めて?今日から」


「………ん?」


「ドキュメンタリーなんだから当然でしょ?四六時中私のこと撮ってね!」


黒沢蛍と出会って二日目。

どうやらこの物語は留まることを知らないようだ。

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遺作 雪乃 雪 @kikko48ri

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