同じ側

見鳥望/greed green


『もしもし、今あなたの1000歩先にいます』


 ーー馬鹿な。


 ぷつっと音声が途切れる。

 私はしばらく動く事が出来なかった。私の戸惑いを嘲笑うかのように振動音と共にまた音声が流れる。


『もしもし、今あなたの500歩先にいます』


 ぷつり。

 

 ーーふざけるな。


 ぷるぷると身体が小刻みに震えた。

 

『もしもし、今あなたの100歩先にいます』


 舐められている。完全に。


 九十。

 八十。

 七十。

 六十。

 五十。


 振り向いた先には何もいない。近づいているはずなのに視認できない。

 

 ーー違うのか。


 恐怖の幅がぐんと増した。私はきっと間違えた。

 だがそうだとして、何故私に見えない。認識できない。

 

 ーーこいつはもっと……。


 これ以上近づかれたら、もし触れられたら。


「もしもし」


 もはや振動音もなく、直接耳で声が聞こえた。

 

「今お前の後ろにいるよ」


 耳に唇と息が直接触れた。

 

 ーーこんな事になるなら……。


 悪意と無邪気さと混じったような不快な笑い声がどこまでも愉快そうに響いた。







“こいつやば”

”マジでやりやがった”

”呪い確定”

“祝呪”

“温い奴ばっかの中でお前はホンモノだ”

“最高”


 生配信のコメント欄は様々な声で湧き上がっていた。温い奴ばっか。その通りだ。コンプラや世間体に縛られたクズどもには真似できない。


「こんなボロい祠、ほっといても壊れるだろ」


 つい先程まで目の前にあった祠は見るも無残な残骸をバラまいて足元に散らばっていた。

 様々な心スポを荒らしまわってきたが、生配信上でその場で破壊行為を見せるのは初めてだった。

 人生なんざとっくに捨てていた。三十を超えて就職も出来ず、自堕落でプライドも何もなくなった自分はもう無敵だった。


 ーー呪うなら呪え。殺すなら殺せ。


 逮捕でも呪いでももうなんでも良かった。今まで誰にも見向きもされなかったのに、もうどうでもいいと振り切った途端に注目されるようになるなんて、人生とは皮肉なものだ。


「ほら、呪えよ。殺せよ!」


 俺の声に反応したのか、木々がざわめいた。だが特に異変は起こらない。

 散々曰くつきの場所を荒らし壊しと巡っているが、俺の願いとは裏腹に五体満足の無病息災だ。むしろ配信を始める前よりも健康になっているかもしれない。


「残念だなお前ら。ここもダメらしい」


“所詮そんなもんだよな”

“しぶとい奴”

“霊もこんな奴と関わりたくねえだろ”


 死んでいる者と生きている者、どちらが強いか。

 死んでいる人間は触れる所か見えもしない。そんな奴らに負けるわけがないのだ。

 無敵だ。やはり俺は。


 ーー帰るか。


 スマホを確認すると充電が切れそうだった。


「じゃあなお前ら。今日はここまでだ」


 配信を切って車に乗り込む。充電しながら配信しても良かったのだが、なんだか気分が乗らなかったのでやめた。

 エンジンがかからないなんて事もなくスムーズに発進し山を下り、1時間程で一人暮らしのボロアパートに着いた。


「はー疲れた」


 どかっと畳の上に寝ころんだ瞬間、ポケットの中のスマホが震えた。


「ん?」


 見ると画面は非通知の着信を知らせていた。

 

「なんだ、やっと呪う気になったか」


 俺はためらうことなく通話ボタンを押した。


「もしもし?」


 呼びかけると、思いのほかすぐに返事が返ってきた。


『もしもし。私は今鳥居を出た所です』

「は?」


 通話が切れる。


「ははっ。おいおいマジかよ」


 どうやって番号を手に入れたか分からないが、どうせ視聴者の誰かだろう。粋なイタズラだ。そんな事を思っていたらまた携帯が震えた。


『もしもし、私は今山を下りた所です』

「お前せっかくなら配信中に掛けてこいよ」


 言い切る前に切られた。今時メリーさんなんて手法、古すぎて分からん奴もいるだろう。


『もしもし、私は今ーー』


 その後も何度も続くが、やはり内容はまるっきりメリーさんそのものだ。


”私メリー、今どこどこにいるの”


 メリーさんからの通話内容は段々と自分に近づいてくる。

 

“私メリー、今あなたの後ろにいるの”


 その言葉を最後にメリーさんに電話をかけられたものは悲惨な最期を遂げる。今俺に起こっている出来事はまさにそれだった。もちろん本物なわけはないが。


『もしもし、私は今ーー』

「いいから早く来て殺せよ!」


 どん、と隣から壁を叩かれた。


「うるせーよ殺すぞ!」


 どんどんと二倍にして返してやった。なんなら本当に殺してやってもいいんだが。 

 

『もしもし、私は今あなたの家の前にいます』

「開いてるから遠慮なく入れよ」


 通話が切れる。そのまま喋ればいいのに何でいちいち切るんだろうか。

 着信で携帯が震える。すぐかけ直すくせにすぐ切りやがって。

 

 そんなふうに思いながら通話ボタンを押そうかと思った時、全身の毛がふいに逆立った。

 直感的に分かった。もうこいつは部屋の中にいる。


 ーーやっと来たか。


 室内の温度がぐっと下がっている。明らかに空気が違う。寒さと高揚で身体が震える。  俺は通話ボタンを押した。


『「もしもし、私は今あなたの後ろにいます」』


 電話口からの声と真後ろから直接そいつの声が聞こえた。

 俺はゆっくりと後ろを振り向いた。







 意趣返し、復讐、仕返し。

 どれも合っているようでこいつには当てはまらないように思える。

 無暗に祠を壊され、当然の如く私は奴を呪い殺した。

 はずだった。いや、呪い殺す事自体は難なく成功した。

 だが問題はその後だった。 


 ーー間違えた。


 そう思った時にはもう手遅れだった。嫌な予感というより、確信に近い感覚だった。

 殺すべきではなかった。殺してしまった事で、奴を私と同じ側にしてしまった。


『ありがとう』


 死ぬ寸前の振り返った瞬間の奴の顔。この時を待っていたといわんばかりのあの笑顔。恐れなどかけらもない。死をむしろ歓迎しているような期待の笑顔。

 

「ありがとう」


 もう一度男の声が聞こえたが、その気配は遠のいた。

 だが分かる。あいつはまた戻ってくる。近づいてくる。

 

 関わりたくない。

 しかしそんな希望も虚しく、しばらくして男の声が再び聞こえた。


『もしもし、今あなたの1000歩先にいます』

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