02 勇者は死んだ(2)
『――号外、時の勇者、イニヒェンを制圧せし』
辺境のヘルム村であっても、その報せは届いた。
エイデン帝国の東領に位置する、かつての城塞都市イニヒェン。栄華を極めたこの街は、魔族の侵攻により一度陥落したが、それは想像に易かった。何故なら、イニヒェンのさらに東、ルート峠を隔てた先には、まさに魔族の国が存在しているからだ。
では何故、人類はイニヒェンを守り切らなかったのか。否、守り切れなかったのである。人類が考えていたよりも、魔族というものは恐ろしく、人類を容易く殺してしまう。獰猛な爪、びっしりと鎧のように敷き詰められた鱗、そして何より、魔法という、人類の持ち得なかった強大な力。それらすべてが、イニヒェンを滅亡させる理由であった。
勇者レオンは、灰色に染まるその地を平定した。それは、死を畏れた人類にとって、最大の希望となった。
「……やっぱり、凄いな」
号外の紙面を眺めた後、僕は目線を上げる。鏡に写っていたのは、うだつの上がらない僕自身の顔だった。
選ばれた勇者が、もし僕だったら。
そんなことを、よく考える。
きっと、レオンのように上手くは行かなかっただろう。勇者の力を得たところで、僕が強くなるわけではない。
彼は元々、強かった。野原を駆け巡る彼の視線には、光が宿っていた。遅れてやってくるこの報せの中でも、彼は希望を抱いているように描かれている。
「ねえ、あなた」
うだうだと考える僕に声をかけたのは、妻のアルスだった。
彼女はヘルムの隣村で育ち、たまに村同士の交流で会う間柄だった。長老からの勧めもあって、僕たちは結婚した。
僕たちは似ているところがあった。例えば、結婚や家庭といったものに、あまり興味が無かったところ。苦しくとも一人で生きていけると思っていた。
しかし、結婚したことで分かることもあった。人生の苦楽を共にするというのは、その時点で幸せなことなのだ。こうやって勇者の紙面を睨め付ける僕に、声をかけてくれるアルスが居るだけで、僕は幸せ者なのだ。
「私は、とっても幸せよ」
彼女が言う。アルスの口癖だ。
僕を安心させるための決まり文句なのかもしれないが、それでも良いと思えた。
「だって、あなたはここで生きている。それだけで、幸せじゃない?」
アルスの言葉は、とても温かく僕を包み込むようだった。
× × ×
カタリナの言葉は、淡々としていた。それは、透き通っているようで、あるいは奥底の濁りから目を逸らしているかのような、そんな一声であった。
「魔王城へ攻め込み、勇者レオン様は玉砕されました」
彼女は、馬車から大きな木箱を引きずり出した。地面へそっと置かれたそれには、確かな重みがあった。木箱の蓋を開けると、そこには勇者レオンの亡骸があった。
「……!」
全身が震え上がるような感覚。
細くも筋肉質な体躯、短く切り揃えられた金髪――二十年も会っていないのに、彼がレオンだということが一目にしてわかった。
驚く僕をよそに、カタリナは言葉を続ける。
「これは、魔王の手下が国境まで運んできたものです。死体の鮮度が落ちぬよう、強力な氷魔法が施されています。人類では到底実現しないほど、精緻な魔法です。魔王の温情か、戦った者への
確かに、帝国内を横断してきたとは思えないほど、骸は美しく形を保っている。近くに寄っても、腐敗臭は一切しない。まるで、レオンという人間を「生きた」まま残しているかのようだった。
だが、目を開かない彼の顔には、全く生気は無かった。じっとりと、汗が染み込むかのように、彼の死を実感する。
村の他のみんなも、それから領主様も、どよめきを隠せないでいた。それは、かつてこの村に居たひとりの人間が死んだということだけでなく、彼が死ぬことによってこの世界がどうなるのかという不安でもあった。
「彼は――レオン様は、最期の時まで、勇敢に戦われました。魔王軍の幹部はほとんどが彼の手によって葬られました。少なくとも、当面は世界の平和が保たれることでしょう」
彼らの心配が伝わったのか、カタリナはそう付け加えた。
それから彼女は、僕の目を真っ直ぐと見て、話し始めた。
「そして、その間に我々人類が成さねばならぬこと。それは、次の勇者を見つけることに他ありません」
カタリナは馬車から一通の手紙を取り出し、僕に渡してくる。そこには、見覚えのある、拙い文字が記されてあった。
「――勇者レオン様の、遺書です。最後の戦いに出る前、彼はこれを遺されました。こう、記されています。『ヘルム村の農奴、エルを勇者の後継とする』」
農奴勇者~勇者の遺言に記された後継者の名前は、しがない農家の僕でした~ 狛井星良 @SeraKomai
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