農奴勇者~勇者の遺言に記された後継者の名前は、しがない農家の僕でした~
狛井星良
01 勇者は死んだ(1)
「おい、エル! ここからなら、都を一望できる」
幼き日の思い出。僕とレオンは、育ちの村を二人で抜け出し、そこから遠く離れた、エイデン帝国の都へと足を運んでいた。馬車に乗っても一か月はかかる旅程、それを十歳にも満たない僕たちが行っていたと思うと、我ながら凄いことのような気がする。
「俺たちは冒険を始めるんだ。世界を救う為に」
レオンは意気込んでいる。
彼は、勇者だ。
ある日、育ちの村――ヘルム村の近く、森の不気味な祠で、僕たちはとある一本の剣を見つけた。不思議な力を持つその剣は、レオンを正統な勇者として認め、彼に勇者の力を与えた。
人類を脅かす、魔族というもの。大量の魔力によって動く彼らには、これまで確実な「死」というものは存在しなかった。身体が朽ち、魔力が宙に漏出するだけであって、その魔力を打ち消すことは、人類には不可能であった。
勇者の剣は、それを可能にして見せた。魔族を穿つ、伝説の剣。そして、その剣に選ばれた、伝説の勇者。レオンは、世界を救うべく立ち上がった、勇者なのである。
「なあ、エル。俺たちは一緒だ、そしていずれ――」
× × ×
「おい、エル!」
領主様からの怒号で、ハッと我に返った。
僕の名前を呼ぶ同じ言葉であっても、ここまで違うように聞こえるものかと驚く。
「はい、領主様」
「ぼーっとするな、日が暮れちまうぞ」
「失礼しました」
そう言って、僕は鍬を握り直す。固い地面に向け、力強く振り下ろす。
勇者レオンが旅に出てから、凡そ二十年が過ぎた。彼は帝国領土内に潜んでいた魔族を駆逐し、更に東側の魔王国へ進軍した。数多くの要塞やダンジョンを攻略し、人類に一時的な平和をもたらしている。彼の力はすさまじく、一個中隊程度の魔族であれば彼ひとりで討伐できるとの噂だ。
一方、僕は――ヘルム村で、こうして農奴として働いている。
レオンと共に旅立った僕が、どうしてここに戻っているのか。理由は明確だ。魔族が、怖かったからだ。勇者の剣を持たない、戦闘経験すらない僕にとって、彼らの存在は実体を持つ恐怖そのものだった。その恐れを前にして僕は、ひとり逃げ去った。
今でも思う。あの時、逃げなかったら。ただ僕は、きっと死んでいたのであろう。あの時でなくとも、いずれ。勇者レオンと僕とは、大きく違う。力も、精神も、全てが違っていたのだ。
……だから、これで良い。
農奴として転居の自由は無いし、領主様や教会への寄進は重いが、こうして働いてさえいれば生きていくことはできる。
それに、亡くなった長老――領主様のお父様は、僕にとても優しくしてくれた。元はと言えば、僕とレオンは村の近くで拾われたし、生みの親は見つかっていなかった。そんな僕たちを迎え入れ、名前を付けてくれたのも、ここまで育ててくれたのも、長老のおかげだ。
長老の死後に家を継いだ今の領主様は、長老の考えをあまり踏襲したくないらしく、僕たち農奴への当たりは厳しい。ただ他の村を知らないし、まだ優しい方なのかもしれないと思う。
三十歳になり、妻もできた。生活は決して豊かではないが、家族の為にも生きていける気がする。
満たされないと感じているとすれば――いや、そんな考え自体が贅沢というものだろう。
僕は今日も、無心で鍬を振り下ろしている。
そんな僕の平和を、日常を壊すかのように、彼女は現れた。
「ん? なんだ、旅人か?」
遠くから来る馬車には、珍しい家紋が飾られていた。帝国の国花である、ミッドリー・クレアをあしらった、金色の家紋。あれは……。
「帝国の近衛兵か!? なぜ、こんな村に……」
領主様はうろたえている。都から遠く離れた村に、近衛兵が来ることは珍しい。とても大切な用件でなければ、わざわざ当人が来ることもないだろう。少なくとも、僕がこの村で帝国の御用人を見たのは、これが二回目だ。
馬車が到着すると、中からひとり騎士が降りてきた。長い金色の髪をたなびかせ、いかにも高価な鎧を身に着けた、女性だ。
「エイデン帝国、第一騎士団、副団長のカタリナと申します。こちらに、エル様というお方はいらっしゃいますか」
「あ、あの、僕ですが……」
突然呼ばれた名前に、僕は慌てて返事をする。彼女は鎧の音をカチャカチャと立てながら、僕に近づいてきた。
「お初にお目にかかります。今回のこと、ご冥福をお祈り申し上げます」
「冥福? い、一体何のことですか?」
冷たい汗が、背中を伝う。その訃報、もし僕の思いつくものであれば、人類は最悪の展開を迎えたといえよう。
「……まだ、こちらには情報が来ていないのですね。では、恐れながら申し上げます」
カタリナと名乗った彼女は、冷静な面持ちで、最悪な展開を告げたのだった。
「勇者レオン様が、敵地にて戦死いたしました」
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