第16話 それぞれの思惑
パプーツァ砦が反乱軍によって陥落させられたという報には、自分達の住む街こそが世界の全てだと思い込んでいる、スレバテーザの人々も流石に耳を疑った。
日々、少しずつであるが敵の情報が伝わってきた。『反乱軍の狙いは王国人と来訪教徒らしい』『獣人達が加わっているという話も聞く』『総大将はどうやら、皇帝の血統を持つ者だとか…』
皇帝の血統が生きているかもしれないという噂を真に受ける者は僅かだった。皇帝を自称する人間なんて珍しくもない。心や頭を病んだ者が収容されている病院に行けば、いくらでも会えるじゃないか。
楽天家はこんな戦争はあっという間に終わると言い、厭世家は戦争が長引いて収穫祭の規模が小さくなるのを恐れた。だが結局、大多数の意見は一緒だった。
『どうせ最後には王国と来訪者の力を借りた摂政の手によって、愚かな反乱者と自称皇帝共は跡形も無く消え去るだろう』
◇
「砦が1つ、街が3つ、集落が26、物資集積所が7。確認できるだけで戦死者は57名、負傷者は102名、行方不明者は約500名です。以上がここ3週間における我が軍の損害となります」
無精髭を生やした背の高い男は、報告が終わると静かに座った。男の頭には、犬のような先の尖った三角形の耳がピンと立っている。
「ご苦労、将軍」と、円卓の端に座る目の細い壮年の男は言った。男の座っている席は、本来なら皇帝が座るべき席であった。
「機動軍の編成は進んでいるかね?」
「あと2週間もあれば投入出来ます。効果的な反撃の為に、機動軍が到着するまで他の部隊には攻撃を控えるよう、摂政閣下からも念入りに下知を出して頂きたい」
「もちろん、それはすぐに命令を出そう。祖国の為だ、日頃の確執は忘れなければ」
「ありがとうございます。つきましては準備の為、私はここで失礼致します」
犬の耳を生やした男が部屋を出た後で、その場に残った閣僚達は互いに顔を見合わせた。
「信用出来ますか?」と閣僚の1人。「ホムルグ将軍は、反乱軍に与したレスルバン家と親交が深いと聞く。加えて彼は獣人との混血だ。敵側に獣人がいるという噂もあるし、内通しているのでは?」
「それはないだろう」皇帝席の男は答える。「ホムルグが本気になれば、我々など一夜の内に捕らえて皆殺しに出来る。それをしないのは彼が潔白だからだ」
「だがこれから裏切るのでは?」
「彼は帝国人である事に誇りを持っている。将軍はその出自故に、幼少時より常に周囲から疑念の目で見られてきた。それを跳ね除けてようやく手にした地位を無碍には出来まい。よしんば敵側に獣人がいても、ホムルグは身の潔白を示す為に喜んで同族達を殺すだろう。レスルバン家に関しても、先代の当主に若干の恩義があるだけだ。自分が元帥となった以上は、最早気にかけないだろう」
「な、なるほど…」疑念を呈した閣僚は安堵したように頷いた。
「他に報告はないか?」と皇帝席の男は円卓を見回す。「よろしいでしょうか?」と老年の男が手を挙げた。
「東部地域に地所及び財産を持つ王国の商人達から、損害分の補填要請が入っています。いかが致しましょう?」
「当然、払ってやれ。連中の機嫌を損ねてはならん」
「しかし、財源はどこから?」
「宮廷か、祭礼費辺りから抜き取れ。今回は緊急事態なので軍費には出来るだけ手をつけるな。落ち着いたらアラルスラス家かネェズルン家辺りの資産で補填すればいい。それでも足りなければ税を増やせ」
「…分かりました」
「もうないな?」皇帝席の男はもう一度円卓を見回す。閣僚達はどこか釈然としない表情で男を見返した。
「それでは本日の閣議を終わりとするが、最後に伝えておくことがある。これは我々にとっての好機だ。一々炙り出すまでもなく、不満分子の方からわざわざ本性を現して来た。先帝陛下が逝去なさって以来、帝国が不安定下にあるのは確かだが、今回の反乱を叩き潰せば平穏も戻ろう。その為に、私は帝国にとって最も親しい友人達に手を借りることにした。即ち、王国だ」
閣僚達の目と口が大きく開く。若い閣僚が思わず「まさか、王国軍を帝国領に入れるのですか!?」と声を荒げる。「落ち着け」と、わざとらしい笑みを浮かべて皇帝席の男は言った。
「王国軍を我らの土地に入れれば、民衆に小さくない動揺が起こる。民の平穏が脅かされることを私は決して望まない。今回手を貸してもらうのは王国政府ではなく、来訪教団の方だ。彼らに我が国の来訪教徒の窮状を伝えた所、喜んで手を貸すと返答があった。我々は過去のしがらみを越えて、共に手を携えるべきなのだ。今回の件は両国の仲を深める為にも、良い機会となるだろう」
閣僚達は押し黙り、不安げな面持ちで互いを見合った。先程声を荒げた若い閣僚は、皇帝席の男を真っ直ぐに見据えて唾を飲み込む。
「それでは解散とする」皇帝席の男は満足気にそう言うと、席を立った。
男の名はヤロデネク、人々は彼のことを『摂政』と呼んだ。16年前、セーラツィカの家族を皆殺しにするよう皇帝に進言した男である。
◇
同じ頃、テーザの片隅にある『ナマズの爪亭』にて。
壁際の薄暗い席で、スュルデは頬杖をつきながらぼんやりと中空を眺めていた。卓の上には全く手が付けられていない料理と飲み物、そして1枚の紙が置かれている。
そんな時、店の入り口に1人の森人の女が姿を現した。森人の女は「おっ、いるいる」と呟きながら、壁際の席へと近づいた。
「久しぶり、元気してた?」という声にスュルデは顔を上げた。「ああ、シギルナか」スュルデは答える。
シギルナと呼ばれた褐色の森人は嬉しそうに歯を見えて、相手と同じ卓に座った。シギルナの左目には眼帯が黒光りし、森人自慢の長い耳も同じく左側の先端が千切れて無くなっていた。
「元気ないじゃん、便秘?」という友人の問いにスュルデは何も答えない。気にせずシギルナが「食べないならもらっていい?」と続けると、相手は黙って皿を差し出した。
「飲み過ぎだな」シギルナはそう言いつつ、机に置かれていた1枚の紙に視線を落とす。内容は、兵士の募集だった。「え? あんたもう兵隊は懲り懲りって言ってなかった?」
「言ったわ」スュルデは答える。「上官は無能だし、良い奴ばっか先に死ぬし、その割に給金は安いし、寒いし、痛いし、臭いし…」
「じゃあなんでそんなもん持ってんの?」
「聞いてない? 今回の反乱の首謀者について」
「首謀者はエネクルジュとアラルスラスでしょ? 権力争いに市民を巻き込むなって話」
「違う、ただの権力争いじゃない。ねえ、聞いてない? 噂なんだけど」
「知らないって、勿体ないぶらずに早く教えてよ」
「反乱軍には皇帝の血筋がいるって話よ。それも、赤毛で緑の眼をした…。ヤーコシュ殿下とミュレオーニナ様を覚えてるわよね?」
「ああ、あの可哀想な2人。子供を入れれば4人か」
「噂によると、反乱軍を率いているのはその2人の子供らしいの。女の子の方ね。りょ、両親にそっくりなんだって…。名前、覚えてるわよね?」
「えー? 誰だっけ?」
「セーラツィカ! セーラツィカよ! 絶対に忘れないで!!!」机を両手で叩きながらスュルデは叫んだ。
周囲の客の視線が集まり、「ごめんごめん。悪かった、もう忘れないから」とシギルナは友人を宥める。
「私、知ってるのよ…」スュルデは続けた。
「少し前に、ある仕事をしたの。国境の大森林に住んでる、貴族みたいな2人の女の子を運ぶ仕事。片方は帝国人で、片方は獣人だった。気に入られたみたいで、その後も街を案内したりもした。帝国人の方なんか生意気で五月蝿かったけど、中々頭が良さそうだった。綺麗な赤い髪と緑の眼をしていて、私は違和感を覚えた。『どこかで見たことある気がする』って。ようやく分かった…」
スュルデは顔を上げると、目を大きく見開いた。
「あの子はセーラツィカだったんだ。ヤーコシュ殿下とミュレオーニナ様の子供。死んだと見せかけて、実は生きていた。間違いない、絶対にそう…!」
「…大丈夫?」シギルナは眉を顰めた。「お通じが悪すぎて、頭おかしくなった?」
「うるさい、いいから聞いて!」とスュルデは今更ながらに声を潜める。「私はこれから帝国軍に入って、戦場でもどこでもいいからあの子達を探し出す」
「探し出してどうすんの?」
「分からない。でも私、あの子達と約束したの。いつの日かあの子達に雇われてあげるって。だから、今こそ約束を守る時なのよ!」
「あっそ。なんでもいいけど、アンタの帰りを待ってるチビ共が大勢いるのを忘れないでよ。私はこれ以上、面倒見ないからね」
スュルデはジッと、料理を完食しつつあるシギルナを見つめていた。「…食べたわね?」というスュルデの問いに、シギルナは「美味しかったよ!」と嬉しそうに答える。
「今日は奢ってあげる」
「マジで? ありがとう、スュルデ!」
「そう言えば、シギルナ。ずっと前だけど、割りの良い仕事を何個か譲ったことがあったわよね?」
「あったっけ、それがどうかした?」
ゆっくりと、スュルデの顔に笑みが広がっていく。
異世界人殺しのセーラツィカ 二六イサカ @Fresno1908
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