第15話 私って天才…?(後編)
その砦は名をパプーツァといった。
砦の目前を横切る街道はよく整備され、東西を行き来する者の大半がここを通る。帝都へと迅速な進軍を試みる反乱軍は是が非でもこの砦を落とす必要があり、逆に鎮圧軍は何があっても守り通す必要があった。
反乱の報が入ってすぐ、鎮圧側の総司令官は機動軍の編成を急ぐ傍ら、近場にいる手空きの部隊をパプーツァ砦に集めるよう下知を出した。
当然、反乱軍の主力を預かるケテルローもそれを予期していた。だが想定よりも早く、補充要員として移動途中であった300名の兵士を砦は収容してしまったのだ。
だが反乱軍にとって幸いだったのは、砦を預かる守備兵達の士気がお世辞にも高いとは言えないことだった。これは中央からやってきたばかりの補充兵達も同様である。
帝国は三方を3つの国家に囲まれていた。
西部では峻険な大山脈と要塞とを盾に来訪教徒達の住む王国に備え、東部では大森林と南北に伸びた柵を壁にして獣人の国に睨みを利かす。森人の国との境がある北部は両者間での争いこそ少なかったものの、時折り魔物が出没して村や畑を襲った。
パプーツァ砦の位置する帝国中央は、それらの地域に比べて余りにも平和すぎた。加えて反乱軍の実態も、この時点では殆ど伝わっていない。
「放っておけばどうせ、帝国領内にいる来訪者なり王国人が連中を魔術で皆殺しにする」
砦の守兵の中には、そんな無責任なことを考える者もいた。
◇
何度目かのあくびを噛み殺した後で、監視塔の頂上に立つ兵士は、東の方角から砦に向かって駆けてくる数騎の馬を遠目に発見した。
「…なんだ?」と兵士は目を凝らす。その数騎は土煙をあげ、大慌ててこちらに駆けてくるように見える。
すると今度は地平線の向こうから新たな騎馬の集団が現れた。最初の集団よりも遥かに数が多く、少なくとも100騎はいるかもしれない。
「報告、こちらに接近しつつある騎馬集団が2つ! 片方は5騎、もう片方は凡そ100騎!」
兵士は急いで監視塔の下へと声を張り上げる。近づくにつれて、段々とそれぞれの集団の様子が分かるようになって来た。
前方集団は帝国軍の兵士達で、身体の所々に包帯を巻いている者もいた。先頭を走る将校らしい赤みがかった金髪の男は、片手を大きく振って砦に何かを伝えようとしている。
そして、後方集団の方は…。
「じゅ、獣人だ…!」見張りの兵士がそう呟いてすぐに、報告を受けた砦の指揮官が監視塔の最上階に登ってきた。
「状況は?」と尋ねる上官に、兵士は「じゅ、獣人です! 頭から鹿のような角を生やした連中に、味方が追われています!」と答える。
指揮官は監視塔の手すりから身を乗り出して遠方を凝視した。後方集団にいる者は全てが頭から角を生やし、何か色鮮やかな塗料を顔に塗り付けている。見張りの説明は確からしい。
「城門を開けろ」指揮官は傍に立つ副官に言った。「味方を収容した後、こちらから討って出る。準備を急げ!」
5人の騎兵が転がり込むように入ってくると、砦の兵士達は重量のある門を急いで閉めた。赤色が滲んだ包帯を頭に巻く将校は馬を降りると、砦の指揮官に弱々しく微笑む。
「助かった! 神々の慈悲に感謝しよう…」
「ご苦労。状況を教えてくれ」
「我々は宿駅の警備兵です。獣人の騎兵に道が寸断されて状況が分からず、パプーツァ砦への合流を試みた所を連中に襲われました」
「こちらには兵力がある。討って出て連中を蹴散らそうと思っているが、どう思う?」
「連中は長距離を走って疲れているはず。また、周辺で別の反乱軍は見ませんでした。ですから、打ち破るなら今です。実は、逃げ遅れた兵士がまだ幾らかいるのです。不甲斐ない私達に変わり、どうか彼らを助けて頂きたい…!」
「任せておけ。監視塔の下に救護室があるから、お前達はそこで手当を受けると良い」
「あ、ありがとうございます!」
包帯の将校とその一同はよろめき、互いに身体を支え合いながら、出撃の準備で慌ただしい中を救護室へと歩いた。
(素晴らしい、これで半分は成功だ。どうなるかな?)
苦悶の表情を装いながらも、ベシュゲの心は踊っていた。
◇
同じ頃。鞍上のケテルローはベシュゲ達が砦に入った事を確認すると、部隊の歩みを緩めた。
「将軍、角の片方が取れてます」
部下の1人にそう言われて、ケテルローは自身の頭を触った。紐で括り付けてある筈の木の枝が、確かに片方どこかへ飛んでいた。
「まさか、上手くいくとは…」という別の部下の言葉に、同僚達も同調する。
「信じられないくらいデタラメな変装だぞ。獣人が見たらきっと酷く怒る」
「中央の連中は、どうせ武装した獣人なんて見たこともないだろう。もしそれを分かっていたなら、セーラツィカ様は中々のキレ者だ」
「だが顔まで塗る必要はあったのか? 痒くて痒くてしょうがないんだが…」
「気を引き締めろ」砦を睨み付けながら黒髪の青年は言った。
「まもなく砦から部隊が出る。囮部隊は絶対に戦わず、相手が疲れるまで逃げまくれ。突入部隊はこのまま待機だ」
それから少しして、砦から大勢の兵士が出てきた。数は400程度。追加分も合わせて、殆ど砦の全兵力であった。
ケテルローは僅かな手勢と共に砦から離れた林の中に隠れ、残りの兵士達はこれみよがしに反転して撤退を装い、砦の兵を誘った。
黒髪の青年の目は貼り付いたように砦の門に向かっていた。済ました顔をしていたが、ケテルローの心臓は激しい鼓動を打っていた。何を隠そう、これが彼にとって初の実戦なのだ。
◇
「先ほどやって来た将校が、隊長に内密の話があると言っています」
兵士達の出撃を見送った後、砦の指揮官は軍医にそう言われて監視塔の根元にある救護室へと向かった。中へ入った瞬間、指揮官と軍医は共に羽交い締めにされ、首元に剣を突き付けられた。
「砦を渡してもらおう」
生身の剣を片手に、部屋の奥より姿を表したベシュゲは言った。軍医は震えて何も言えなかったが、指揮官は怒った。
「貴様ら反乱軍か!」
「理解が早くて助かる。命が惜しくば、という奴だ」
「馬鹿が、こんな下策が通ると思うな。斬りたければ、さっさと斬れ。我らが降伏する理由など1つもない!」
「なるほど。まあ、どうなるか試してみよう」
ベシュゲは人質達を砦の中庭へと連れ出す。「見よ!」というベシュゲの叫び声に、砦に残った僅かな兵士達は振り向き、突然のことに唖然として目を丸くした。
「お前達の指揮官と軍医を人質に取った。殺してほしくなければ、武器を捨てて砦を明け渡せ」
報告を受けて駆けつけた砦側の副官は、判断を仰ぐために、拘束されている指揮官へと視線を向けた。
ベシュゲ達は出入り口が1つしかない救護室を背に立っているので、後ろに回り込むことは出来ない。矢で射ようにも、指揮官と軍医が無事で済むという保証は当然なかった。
「門を開けるな!」人質となった指揮官は叫んだ。「構わず、俺ごと射ろ! やれ、早くやれ!」
隣で同じように拘束されている軍医は、青ざめた顔で指揮官を振り向いた。副官は弓兵を呼びつつも、躊躇して命令を出せないでいた。
「落ち着け! 俺の話を聞いてくれ!」ベシュゲも負けじと叫ぶ。
「お前達はまだ、敵が誰であるかを理解していない! 摂政は我々を叛逆者と呼ぶが、間違っている! 奴こそが叛逆者なのだ! 何故なら我々の主人は神々の血を引く者、即ち皇帝だからだ!」
砦の兵士達は互いに顔を見合わせる。途端に武器を持つ手から力が抜け、腰が引いた。「こ、皇帝陛下が…?」と誰かが呟く。
「世迷い言を! 証拠など何もないではないか!」という指揮官の声を言葉で組み伏せるように、ベシュゲは怒鳴る。
「我らの主人の名はセーラツィカ! ケズダル家のセーラツィカ様だ! 忘れもしない、我らが愛したヤーコシュ殿下とミュレオーニナ様のお子だ! 生きていたのだ!」
それは指揮官の言葉に対するなんの論駁にもなっていなかった。だがヤーコシュとミュレオーニナの名前を聞いて、たまらず数人の兵士が門へと駆け出した。
◇
「将軍! 砦の門が開きました!」と部下が言い終わるよりも早く、ケテルローは全速力で馬を走らせ始めた。
頭に残っていたハリボテの角は、あっという間に風に飛ばされて何処かへいった。部下達も負けじと、ケテルローの後に続く。
◇
(やったかな)
額に汗を滲ませながら、ベシュゲは思った。砦の兵士達はすっかり戦う気力を失ったようだ。このままいけば、生きて帰れるかもしれない…。
「よく聞け、お前達!」そんな時、砦の指揮官が叫んだ。ベシュゲは失敗した。人質の口に猿轡をしておくべきだった。
「この事が、一戦も交えずに砦を明け渡した事が摂政に知られたらどうなる? お前達の家族全てが重罰を受けることになるんだぞ! それでも、恥知らずな叛逆者の言い分を聞くのか?」
「恐れることはない!」ベシュゲも言い返す。「歴代の皇帝がそうであったように、我らの主人は異能を持っている。素晴らしい異能だ。敵がどれだけ強大であろうと、皇帝の威光がそれを跳ね返すだろう!」
「口を閉じろ、愚か者! 万に一つ本物の皇帝であったとしても、摂政は倒すことは出来ない。何故なら、彼の後ろには王国と来訪教徒達がいるからだ! 兵士達よ、目を覚ませ! 我々は来訪者には勝てない、絶対にだ! 使えるべき主人を間違えるな! 破壊と混沌を招く奴らの言う事を聞くな!」
ここでようやくベシュゲは指揮官の口を布で塞いだ。だが遅かった。皇帝という名に怖気付いていた兵士達は、今や別の権威に恐怖し初めていた。
帝国は、来訪者に勝てない…。
◇
「将軍、引き返しましょう!」
耳をつんざく強風の中で、ケテルローは部下のそんな叫びを耳にしたような気がした。砦の門は閉まりつつある。
ベシュゲは殺され、作戦は失敗したのかもしれない。だが、今の所は砦からの反撃も無かった。ケテルローは突撃を続けた。門はもう目前だった。
◇
「摂政は打ち破れるし、来訪者は必ず倒せる! 気を大きく持て! 我らの皇帝は本物だ!」
ベシュゲがそう叫んでも、砦の兵士達は最早耳を貸さなかった。砦側の副官は覚悟を決め、弓兵隊に侵入者達へ狙いを定めるよう命令した。軍医は恐怖に目を閉じ、指揮官は満足そうに頷く。
(死んだな)緊張の糸が切れたベシュゲは、疲れた顔に笑みを浮かべた。
残念だが、しょうがない。歴史書の片隅くらいには自分の名も残るだろう。青年が諦めそうになった時、しかし事は思わぬ方向へと動いた。
砦の兵士が1人門へ走ると、扉を閉めようとする別の兵士を斬りつけたのだ。たちまち扉を閉じる作業は止まった。
同僚を斬りつけた兵士は剣を片手に、「か、勝てなくてもいい! それでも俺はあの摂政野郎に一泡吹かせてやりたい!」と叫んだ。
慌てて砦の副官は弓兵隊の狙いをその兵士へ移そうとする。だが間に合わず、一頭の馬が強風のように砦の中へ入ってくるのを許した。驚いた数人の弓兵が矢を放したが、全て外れた。
兵士達の混乱に乗じて、ベシュゲは剣の柄で砦側の副官を打ち倒す。ケテルローの部下達もやって来て、守備兵達を砦の隅へと追い立てた。
ほどなくして、パプーツァ砦は降伏した。
◇
パプーツァ砦から馬で30分程の集落。仮の指揮所が置かれている村長の家に、バルナレクは勢い良く駆け込んだ。
「砦を落としたそうです! こちらには1人の損害もないとのこと! 信じられない…ああ、神々よ…!」
椅子に座ってギルネラの淹れたお茶を飲んでいたセーラツィカは、「そう」とだけ言った。
後ろに控えていたザサリナは「すごいすごーい!」と手を叩き、いつもは冷静なエーデレネでさえ「おめでとうございます、セーラツィカ様!」と目を輝かせる。ギルネラは何も言わなかったが、(ほら見ろ)と内心鼻高々だった。
「セーラツィカ様が考えた策のお陰です!」と鼻息荒くバルナレクは言う。
「私は本から引用しただけ。味方の兵士は勇敢で、相手は愚かだったのも大きい。残りは運ね」右耳へと垂れ下がる一房の髪を指に絡ませながら、セーラツィカは答える。
「そう謙遜なさらず、これは偉大な戦果です。大々的に宣伝をしましょう!」
「戦いは始まったばかり。善き皇帝になる為にはこんなことで一喜一憂せず、常に冷静でいなければ。違う?」
「そ、そうですね。全く持ってその通りだ。失礼致しました。ですが、それでもやはり、これは余りにも誇らしい…」
(うすらバカめ)セーラツィカは心の中で、恍惚した表情の青年に毒突いた。だが歳の割に聡明な赤毛の少女でも、自分の素直な気持ちに嘘はつけなかった。
(もしかして…私って天才?)
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