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映画の中で、ハリーとシンシア・グリーンの出会いの有名な煙草の火を貸すシーンがあります。互いの心に火がついたということでしょう。

うまい描写です。


シンシアはハリーと別れた後、スペインの内戦に参加し、ジープが射撃されていたのをハリーが発見します。ようやく捜しあてたシンシアでしたが、ハリーの腕の中で息絶えます。ハリーも撃たれて怪我をします。


ハリーは身体の傷は癒えても、シンシアを失った心は空虚のままです。

パリに帰ったハリーは、ノートルダム寺院に近い橋の上で、ある女性と出会います。それがヘレンで、たばこの火を貸してほしいと言います。

えっ。

ハリーはヘレンの中にシンシアを見るのです。


どのくらいの時間がたったのでしょうか、ふたりは結婚したようで、アフリカにやってきます。そして、ハリーはちょっとした傷が壊疽になり、死にかけています。


ヘレンはハリーを愛していますが、ハリーの心が彼女にないことは知っています。

ある夜、ヘレンは思い煩っている様子のハリーに、何を考えていたのかと尋ねます。

「きみのことだよ」

「それは絶対にあるはずがない」とヘレンは怒ったように言います。「考えていたのは、リズかシンシアのことでしょう」


「きみと出会った時のことを考えていたんだ」

「あなたは私はシンシアでないことに、怒っているんだわ。どうしてアフリカに来たの?」


ハリーはビル叔父の遺書の謎を解くわけに来たわけじゃない。アフリカに来たのはジョークだと言います。なぜなら、来る必要はなかったのだから。その答えはわかっていたのだから。


その遺書というのは、

「キリマンジャロは標高19170フィートの雪に覆われた山で、アフリカでもっとも高い山であると言われている。西側の頂はマサイ語で、「Ngaje Ngai」、神の家と呼ばれている。

その頂の近くに、干からびて凍った豹の死骸がある。

豹がこんな高所に、何を求めてやってきたのか、誰も知りはしない」

のことです。


ハリーはこの意味はこうだと言います。

「豹がキリマンジャロの頂近くで死んでいたのは、それは間違った臭いを追い求めたからで、それで破滅したんだ。自分と同じだ」


だから、自分は山から下りて、この平地のジャングルで初心に戻り、魂の垢をそぎ落としたら、ものが書けると思った。そして、うまくいきそうだった、2週間前までは。しかし、もうだめだ。自分は落伍者として死んでいくのだと言います。


ヘレンは言います。

「あなたがここに来たかったのは、ここがシンシアと来た場所で、それがあなたが一番幸せだった時だからでしょう」

「それがわかっていて、なぜ、ついてきたんだ?」

それはヘレンがハリーを愛しているからですが、彼にはそれがわかっていません。


「おれは、本を書きたいんだ」

「わかっていたわ。出版社から話があったと伝えたけど、あれは私が考えたウソ。あなたに、本気で書いてほしかったから。もしあなたが満足できるものが書けて、そして、アフリカに行けば、昔のように幸せになれると思ったから。それがあなたにとっても、私にとっても、唯一のチャンスだと思ったのよ」


ヘレンは続けます。

「あなたは落伍者なんかじゃない。これまで書いたものが会心の出来でないとしても、人間としては落伍者ではないわ。あなたはみんなに何かを与えたし、私にだって、与えてくれたわ」


そこに村人たちが呪術師を連れてやってきます。彼の占いには、彼は死ぬと出ます。

「もしたった一行で、すべてを表現でしたらいいのに」

できそうなのに、できないとハリーは諦めます。

もう時間切れで、死ぬことは確実です。ただ、その瞬間がいつやってくるかがわからないだけです。

「あなたは、書けるわ。あなたには、時間があるもの。あなたは死なない、生きなければだめよ」

この時になってハリーはヘレンという女性を、真剣に見つめます。彼女はシンシアの影なのではなくて、ひとりのすばらしい人間だと初めて気づくのです。


彼の脚が腫れてきて、シンシアはそこを切開することを決めます。

ナイフを焚火で熱くし消毒して、アルコールをかけて、傷口を開きます。

大仕事を終えたヘレンは、夜通しハリーの傍にいます。

テントまでハイエナが寄ってきて、ヘレンはハリーが死んだのかと大声を出します。


幸いなことに、ハリーはまだ息をしていました。

ようやく朝になると、救助のジープが着いて、人々がぞろぞろやってきました。

ハリーは目を覚まして、あの木の上を見ます。

そこに、あのハゲタカはもういません。

ハリーは助かったのです。


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映画は大体こういう筋です。

本とは違い、映画ではハリーがヘレンの愛に気づく物語になっています。

また一番驚いた部分は、脚本家が、「豹がキリマンジャロの頂付近まできたのは、間違ってきたのだと」と主人公に言わせているところです。

それがあまりに自信たっぷりなので、私は小説を読み間違っていたのかしらと思ったくらいでした。


最初に映画(Youtubeで見られます)を観た時には、なんと原作を歪曲した脚本だろうと思ったのですが、だんだんとその意図とよさがわかってきました。

原作と切り離して観ると、とてもおもしろいです。

映画が制作されたのはヘミングウェイがまだ生きている時ですが、彼がどんな反応をしたのでしょうね。気にしているようには見えません。本が出版されてから16年も経っていましたしね、再注目されてよかったと思ったかもしれません。


カクヨムに参加されている方々には、「書きたいものはなにも書いてはいない」という小説のテーマのほうがしっくりくると思うのですが。

けれど、これを映画にした場合には、書くことにはあまり興味がない(かもしれない)方々が対象なわけですから、「失恋の傷」、「真実の愛」のほうが受けるテーマですよね。



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映画「キリマンジャロの雪」と原作 九月ソナタ @sepstar

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