たまが先か、盗るが先か
小石原淳
もしも49-50が50-49だったら
(
二人の方をちらちらと見やりつつ、自分の机に学生鞄を置いた。
相羽と唐沢は中学に入ってからの知り合いで、仲のよい友達関係と言っていい。おちゃらけ成分多めな唐沢に対し、相羽は比較的真面目でクールなタイプ。だから、普段よく見掛けるのは――。
(唐沢君がくだらないことを言い出して、相羽君が聞き流すか訂正を入れるというパターンが多いのに、今日はどうしたのかしら)
言い合いといっても、唾を飛ばして強く主張し合うという激しいものではない。ただ、ノートとペンまで持ち出して、何やら書きながら熱心に話し込んでいる。主張が対立しているのは、彼らの仕種からだいたい想像がつくのだが、朝の教室、いや学校全体がざわざわとしているせいもあって、内容の方がさっぱり耳に届かない。
「純、おはよ」
斜め後ろからした
座ったまま見上げると、町田も相羽と唐沢の方へ視線を向けていた。
「あの二人の話、まだ続いているのね。意外と長引いている」
「芙美は知ってるの、何の話をしているのか」
「まあね。私がさっき聞いたときは、『鶏が先か卵が先か』について話していたわ」
「……そんなこと? 有名な言い回しだけど、今さら言い合いをするようなことでは……」
鶏が先か卵が先か。
日常的な場面で使うとしたら、意味合いは「堂々巡り」とでもなるだろうか。
生物学的には結論が出ている(と、生物の授業で先生がこの前言っていた)。いわく――徐々に進化していって鶏という種が誕生する。その鶏が出て来た卵は、産んだのが鶏とは呼べない種の鳥ではあるが、鶏が生まれたからには鶏の卵と言える――みたいな話をしていた。
「違う違う。誤解させる言い方をしちゃったけど、あの二人が言い合いしていたのは、『鶏が先か卵が先か』か『卵が先か鶏が先か』、どっちが正式な言い回しなのかってこと」
「ん?」
音声で聞いても、一発では理解できなかった。町田に言い直してもらい、飲み込めた。
「つまり……多分どこか外国語の表現が最初なんだろうけど、その言い回しが『鶏が先か卵が先か』なのか、それとも『卵が先か鶏が先か』なのかっていう話なのね」
「そうそう。改めて問われると、自信を持って言い切れないよね」
「確かにそうかもしれないけど」
そんなことで延々と議論するくらいなら、図書室かどこかで調べた方がいいんじゃあ……と思った。と、そんな純子の気持ちを表情から読み取ったか、町田が言い足す。
「でね、その鶏か卵かっていうのは話が脱線した産物であって、元々は違う話をしてた。というか、今はまたその話に戻ったみたいだよ」
「え、そうなの」
町田には聞こえてるんだと察し、純子は耳をすませた。それでもしかとは聴き取れないため、立ち上がって町田と同じ高さに耳を持っていく。
「……野球の話、してる? 大谷選手とか50-50って聞こえた」
「ええ。落札額でまた話題になってるからねえ」
「お金の話なのね。あれ? でもそれが鶏が先か卵が先かに、どう結び付くんだろ?」
「そこまで気になるんなら、直に聞いたら?」
それもそっか。話し込んでいる様子を目の当たりにしていたから、何となく割って入りにくかったけれども、話題が野球、それもオークションに掛けられた記念ボールについてなら、そこまで遠慮する必要はなさそう。
純子はそのまま席を離れ、二人のいる方へと足を運んだ。
すると話し掛けるまでもなく、相羽が気付く。
「おはよう」
「おはよう、相羽君。唐沢君も」
「お? あ、すっずはっらさん、おはよ」
相羽の朝の挨拶に返そうとする純子の台詞と、遅れて純子に気付いた唐沢の声とが重なった。わずかな間と同じくわずかな笑いを挟んで、本題に入る。
「今、いい?」
「もちろん、涼原さんのためなら、こいつとの話ぐらいいくらでも中断するよん」
向き直った唐沢が笑いながら応じる。一方、相羽も話の中断そのものはまったく気にしていないが、唐沢の言い方が引っ掛かったようだ。
「論じるにはなかなか面白いから、あとで続きを」
「オーケー、オーケー。次の休み時間にでもな」
了解し合った二人に、「あの、私が聞きたいのはその話のことなの。ほとんど聞こえなくて。気になって」と流れを引き戻すようなことを告げる純子。ちょっと申し訳なくなる。
「そうなんだ? じゃあ手短に」
相羽と唐沢は間を空け、机に置いたノートを見せる。時系列を示すらしい横線に、「49」だの「50」だのの数字と、「ト」「ホ」といった片仮名一文字が記されている。
「まず、メジャーリーグ――米国のプロ野球で、日本の大谷翔平選手が大活躍して、記録を作ったことは知ってる?」
相羽が聞くのへ、純子はすぐに頷き返した。
「うん。50-50でしょ? 達成したことをニュースで見たし、最近も、五十本目のホームランになったボールが、オークションに出品されて高額で落札されたって」
「よかった。話が早い」
「ここからが長くなるぞ」
唐沢が混ぜっ返すように言った。そのまま、相羽から話の主導権を受け取る。
「えっと、涼原さんは五十本塁打と五十盗塁、どちらが先に到達したか知ってる?」
「本塁打ってホームランのことね。確か盗塁の方が早かったわ」
「その通り。で、大谷選手が五十本目のホームランを打った。そのときのボールがすげえ値段を付けられたわけ。その話をしていたら、相羽の奴が変な仮定を出してきたからややこしくなった」
「変ではないと思う。純粋な疑問だよ」
「一体どんな仮定の話をしたの?」
続きを早く聞こうと、純子が改めて質問する。何せ、朝の休み時間もそんなに長くは残っていない。答えるのは再び相羽。
「もしも先にホームラン五十本を達成し、盗塁が五十個になるのを待つ状態だったとしたら、どうなるんだろう?っていう疑問、想像だよ」
「実際とは逆に、ホームランが先……」
「記録達成の象徴になるのは、ボールではなく、五十個目の盗塁をしたときのシューズになるのか? それともやっぱりボール? ボールだとしたら、五十本目のホームランボールなのか、それとも五十一本目のホームランか」
「えっ。途中までは分かったわ。けれども、最後の五十一本目のホームランて? わざわざ持ち出す意味が」
首を傾げる純子。目の前では、唐沢が「な、ほら」とつぶやき、相羽を見やる。
「少し考えてみて。五十本目のホームランボールは、果たして50-50達成の記念と言えるかどうか」
「50-50ということなら、そうね、五十本目のホームランを打ったとき、盗塁の方はまだ五十に届いていなかったと仮定して話をしているのだから、達成してない。つまり、五十本目のホームランボールは、50-50の記念にはならない?」
「と、僕は考えた。唐沢は違う意見みたいで」
相羽につられて、純子も唐沢を見る。
「そりゃそうさ。五十一本目のホームランボールは、50-50を達成したその瞬間には関係してないんだぜ」
「そこは僕も理解している。だから五十一本目のホームランボールをメモリアルにしろとは言ってない。達成した瞬間に拘るのなら、シューズじゃないのかという、まあ提案だよ」
「いや~、ホームランボールに比べたら、靴ってのは様にならない。シューズはしばらくの間使い続けるのが普通だしさ。ボールは、ホームランされたら御役御免だろ」
「結局、論点はそこに行き着く。ホームランボールを記念の品にすべきとの前提に立つなら、僕は五十本目よりも五十一本目の方が理にかなっていると言いたい」
「理屈は合っていても、きりが悪い。五十本でいいじゃん。記録の名称が50-50なんだし」
お互い、それそれの主張を述べて、純子の方を向いた。そして「どっちが正しいと思う?」と声を揃える。
「……私に判定しろと?」
苦笑交じりに返すと、それもそうかと思い直した顔つきになった男子二人。
「じゃ、純子ちゃんはどう思うか、参考までに聞きたい」
相羽が言い方を変えて尋ねると、横で唐沢が渋い表情になった。
「おまえ、それはなしだぜ。涼原さんに聞いたら相羽が有利に決まってる」
「どうして」
「どうしてもだよっ」
新たなことで言い合いになりそうな二人を、純子は急いで止めた。
「待ってまって。ちゃんと公明正大に考えてみるから。ね、唐沢君?」
「涼原さんが言うのなら」
純子は予鈴の時刻が迫るのを意識しながら、ぎりぎりまで考えた。
「こういうのはどうかしら。仮定の話なんだから、五十一本目のホームランが出ないこともあり得るんでしょう?」
「え? ああ、うん、そうだね」
相羽も現実に引きづられて想定していなかったらしく、一瞬戸惑いを浮かべたものの、認めた。純子は微笑を浮かべ、考えを伝える。
「だったらホームランが五十本で終わったなら、五十本目のホームランボールが記念の品でいい、というよりもそうするしかない。五十一本目が出たときは、そのボールを記念の品とする。
ただし、一つの試合でまず先にホームラン五十本目を打ち、そのあと試合が終わるまでに五十個目の盗塁を決めた場合に限り、ホームランを何本上乗せしようが、五十本目を記念の品に。こんな感じじゃ、だめ?」
「なんていうか……悪くはない」
相羽と唐沢は顔を見合わせ、各々頷いた。そうして唐沢が「駄洒落、言っていい?」と場に問う。対して純子が首を縦に振ったあと、相羽がすかさず言った。
「ひょっとして、『これがほんとのタマ虫色の回答』とか?」
「おい、先回りするなよな~」
おしまい
たまが先か、盗るが先か 小石原淳 @koIshiara-Jun
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