第2話 作品へのこだわり

 さて、自己紹介を書いたのはいいものの、次に何を書こうかとひたすらに考えたわけですが、大したアイデアなんかも浮かばず、結果作品へのこだわりでも書こうと筆を取ったのです。

 売れない、読まれないネット作家のこだわりなど、所詮どうでもいい戯言でしょうが、よければ一席お付き合いいただけると幸いです。


 どんな作家も、作品を通して読者に伝えたいもの、というのは必ずあるでしょう。

 それは売れている商業作家から、過去の文豪たちから、日の目を浴びることなかったネット作家まで、共通のことかと思います。

 では、私はというともちろんありますとも。と言っても大層なモノではなく、大きく二つでしょうか。

「日本語での言葉遊びを楽しんでほしい」

「抽象的な物語を感じるままに感じてほしい」


 まず、「日本語での言葉遊びを楽しんでほしい」という伝えたいことは、まさに私という人物像を説明するには相応しい。

 私自身、とにかく“美しい”というものに執着心が強い。

 小さい頃から嫌々ながらも博物館や美術館に連れられ、そこで見たものや聞いたものが今になって強く影響しているのだろう。

 中でも、日本語の表現ほど美しいものはないと感じたのだ。


 もちろん、言語というものそのものが美しい。初めはコミュニケーションツールとしてのみ用いられていたものが、教訓を後世にも伝え残すためのものになり、やがて言葉が溢れるようになってから“感動”を伝播する機能を兼ね備えた。

 これほど美しいものはあるだろうか。


 そして、日本語の表現は面白い進化を遂げたように思える。

 文法上、他言語に比べ、修飾表現が強調されていると私は感じたのだ。と言っても、私は言語学者でもないのだから、個人の主観に基づくものであると理解いただきたい。

 というのも、多言語のベースは「主語・述語・目的語や修飾語」という順番だろう。英語の授業でSVCやSVOという言葉に聞き覚えがある人は少なくないのではないか。

 けれど、日本語は多様な主語どころか、主語さえも省略することは珍しくない上、述語は最後にくる。また、言語の順番を入れ替えても文章が成り立つことも特徴の一つと言える。

 いつかテレビでやっていた芸人のモノマネで「オール巨人師匠」のネタをしていた人がいた。そこで「最後に『僕はね』とつけるだけでなぜか面白いオール巨人師匠」というネタを見た。

 これを面白いと感じれるのは、ある意味日本語ならではのように思える。

 そうして強調された修飾語は日本語が使われている時間の分だけ豊かになっていったのだ。


 さらに、私は日本語の表現技法も非常に好みである。特に比喩表現が私は好きなのだ。

 英語や中国語、似た言語として韓国語も挙げておこうか。これらにも独自の比喩表現はあり、それもそれで面白い。例えば、中国語なんかでは『先人曰く』と物語や有名な表現で物を喩える表現もある。

 英語などのヨーロッパ圏でもよく使われる表現も数多く、よく戯曲などで使われる過去の有名なセリフを踏襲するという文化も興味深い。

 しかし、日本語の比喩表現も負けず劣らず面白い。直喩、暗喩、調喩、提喩、換喩、活喩とまぁ相当な表現が存在する。

 特に私は、感情を一切描かず、物の情景を描くことで人の心を表現する手法がかなり好みである。

 このような日本語を使った言葉遊びをぜひ楽しんでほしい。


 と、つい好きなものを語ると時間も文字数も忘れてしまう。このくらいで次に移ろうか。


 さて、もう一つは「抽象的な物語を感じるままに感じてほしい」ということだが、これも過去に博物館や美術館巡りをしたのが影響している。

 私の好きな画家を聞かれたら、最初にクロード・モネと答える。

 そう、印象派と呼ばれる画家が異常なほど、好みであったのだ。

 無論、絵の美しさも好みの理由である。けれど、私が特に好みであったのは美術的な技法とその背景にある。

 美術的な技法として、印象派の画家の中でもクロード・モネはそれまでの減法混色でなく、加法混色を意識した作品なのだ。


 この減法混色と加法混色については、ブログの筆者にしてはあるまじきことではあるものの読者の知識に委ねるが、とにかく“光”の表現に拘ったクロード・モネの作品は私に何物にも変え難い深い傷を与えた。

 さらに、こうした技法の背景にはカメラへのアンチテーゼがある。

 カメラの登場によって絵画の写実に存在意味を問い掛けられた絵画からの回答こそ、印象派であり、加法混色による技法なのである。


 では、この話と私の伝えたいことがどう繋がるのかというと、私は小説としての“印象派”を目指したいのだ。

 私の作品を読んだ人なら分かるかもしれないけれど、私の作品に最も欠けているのは人物を鮮明に見せることである。

 キャラ立たせを一切していないのだ。

 これは読者に独自のキャラクター感で感情移入して欲しいのもあるが、それ以上に物語を近くで見たり、遠くで見たりして欲しく、一つの芸術作品のように鑑賞して欲しいからである。

 この抽象感そのものの芸術性を楽しんで欲しい。

 そんな思いから、これほど読みにくい作品を投稿してしまっているのだ。


 と、そろそろ長くなってしまったので、この辺にしておきましょう。

 また別の記事や別の作品でお会いしましょう。

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“月宮和香”という一人のネット作家 月宮 和香 @hoshimiyawakou

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