私は家族に囚われている

間川 レイ

第1話

 ああ、今日は駄目な日だ。なんて、起きた瞬間から気づいてる。手足の先に鉛を詰め込まれたように身体は重く、頭は靄でもかかったかのようにぼんやりとしている。ああ、そういうこと。私は1人ごちながら、のろのろとカーテンを開ける。果たして空は、どんよりと重たい雲に覆われていた。


 やっぱりね。そんな思いはため息とともに吐き出す。身体がおかしいと思ったはずだ。もう一度小さくため息を吐く。私は雨の日が嫌いだ。曇りの日だって。気圧が低いのが好きではないのかもしれない。気圧が低くて良いことなんて何にもない。頭はぼんやりするし、昔刻んだ傷跡もズキズキ痛む気がするし。


 それに何より、心のうちから色々な思いが溢れてきて、うちから弾けそうになる。高校時代の嫌だった思い出とか、大学時代の不愉快な思い出。仕事で失敗した思い出。それに、仲の悪かった家族との思い出。家族なんだからいつか分かり合えるとか、仲直りできるだなんて嘘っぱちだ。普段は忘れたふりをしていても、かつて抱いていた憎しみがふとした折に顔を出す。


 なんて。そんなことを思うのも気圧が低いせい。天気の悪い日は嫌いだ。気分がどんよりするから。何なら、今まで起こった悪いことも全部天気の悪い日に起きた気がする。薄着で家を追い出された時も。馬鹿みたいに殴られたときも。全部。


 そんなことを考えながら顔を洗い、しゃこしゃこと歯を磨く。鏡に映るのは肩口まで髪を伸ばした私の姿。随分髪も伸びて来たな、なんて。伸びてきた毛先をくるくる弄びながら考える。それでも女性にしては随分短い、肩口にしか届かない髪を。髪を伸ばしたい気持ちはある。


 それに私は、髪が長い方が似合っている。けれど残念なことに、髪の毛を伸ばした時にいい思い出がない。サラサラで真っ直ぐな髪。私にとって唯一自慢できる箇所だったのに、何度も何度も父親にぐいぐいと引っ張り回された。プチプチと髪の毛がちぎれる感覚は今でも鮮明に覚えている。だから私は髪の毛を短くしている。物心ついた頃から、ずっと。


 髪、切らないとなあ。そう思うだけでただでさえ重い気持ちがズーンと重くなる。私は美容院があまり好きではない。もっというと、苦手だ。他人に自分の身体を触れられるのがあまり好きではないのかもしれない。特に、普段触られることのない頭や顔を触られると思うと、正直うんざりする。他人の熱を感じるのが嫌なのだと思う。子供の頃、それこそ記憶にある限り1番昔の私はひっつき虫だった。父親や母親にしばしば抱きついていた。両親に限らず、保母さんや見知らぬ誰かにさえ密着することに抵抗なんてなかった。だけどいつからだろう。他人と触れ合うことに嫌悪感を覚えるようになったのは。


 私は家族に呪縛されている。こういう時しばしば思う。一人暮らしを始めてもう10年が経つ。家族にもう少し歩み寄ってもいいのでは。許してもいいのでは。正直そう思うし、許せる日がくることを願っている。でもふとした折に憎しみが顔を出す。帰省して両親と話していると心にささくれができる。困った事があったら両親に相談するのも手だよ。そう話す同僚に、乾いた笑みでそうだねと頷く。


 でも、やっぱり両親とは分かり合えないのだろうなとは思う。昔々、私がブラック企業にいて、毎日毎日身体をすり減らして生きている実感があった時。自分が自分でなくなっていくのを鮮明に感じ取っている時。もう、このままでは死んでしまう。そう直感してあまりの恐怖に泣きついたことがある。こんなところにいたら死んでしまう、怖い、死にたくないと。言われたのは死ぬ気でやってみろ、死なないからという安っぽい励ましの言葉。そんな次元とうの昔にぶっちぎっているんだと、泣きながら死にたくない、死にたくないと訴えても、帰ってくるのは安っぽい励ましの言葉だけ。ああ、この人達は。私は思った。


 でもそれならもう2度と相談しないし敷居も跨がない。2度と話なんかするもんか。そう割り切ってしまえば楽なのに、何だかんだ年に一度は実家に帰るし、帰ればにこやかに話をしてみせる。柔らかく微笑み、うんうんと頷いてみせる。あたかも仲のいい家族のように。たとえ薄氷の上のような奇妙に緊張感をはらんだ関係であったとしても、年に一度は帰るのだ。


 やっぱり、私は家族に囚われている。私は諦めにも似た思いとともに、勢いよく口をすすぐのだ。

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私は家族に囚われている 間川 レイ @tsuyomasu0418

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