ゆとりが生む創造の種

星咲 紗和(ほしざき さわ)

本編

毎日を忙しく過ごす中で、ふと感じることがある。「ゆとり」が無ければ、アイデアは自然と湧いてこないのだと。日々のタスクに追われ、次々と目の前のことを片付けていく生活では、気づかぬうちに心の余裕が失われていく。頭をフル回転させていると、たしかに効率は上がるかもしれない。しかし、そうした生活を続けることで、いつの間にか自分の中の創造的なエネルギーが枯渇していることに気づくのだ。


「ゆとり」というと、単に時間的な余裕だけを想像するかもしれないが、それだけではない。心に空間を持つこと、頭の中で詰まっていた思考を一度手放すことこそが、真のゆとりと言える。特に現代社会では、何かをしていないと「怠けている」と思われがちで、絶えず効率や成果が求められる。誰もが「今やるべきこと」に追われ、過密なスケジュールの中で自分を見失うことが多いのではないだろうか。しかし、その状態では新しいアイデアが生まれにくい。むしろ、アイデアやインスピレーションは、何も考えず、リラックスしているときにふと浮かんでくるものだ。


私がこのことに気づいたのは、日々の中で「ゆとり」の大切さを実感する機会が増えたからだ。ある時、思い切って日常のスケジュールを見直し、意図的に空白の時間を作るようにしてみた。ほんの数十分でも、何も考えずに散歩をしたり、お茶を飲んだり、本を読んだりする時間を確保すると、心がゆっくりと解放されていくのがわかる。そして、その解放された心の中に、小さなひらめきや新しい発想が少しずつ芽生えてくるのだ。


創造的なアイデアが生まれる瞬間というのは、不思議と決まって「何かに追われていないとき」にやってくる。シャワーを浴びているときや、眠りに落ちる寸前、あるいは散歩中にふとした風景を眺めているときなど、いわば何も意識していない瞬間だ。こうした瞬間こそが、自分にとって「ゆとり」そのものであり、そのゆとりの中にこそ、新しい視点やアイデアが隠れている。


逆に、何かを無理に考えようとすると、思考が凝り固まってしまうことが多い。頭を使って考え出そうとするアイデアは、どこか形にはまったものになりがちで、そこに独創的なひらめきが含まれることは少ない。人間の脳は不思議なもので、力を抜いたときこそ、潜在意識の奥底から新しい発想を引き出す力を持っているのだ。


私自身も、あるテーマについて考え込んでしまったときほど、答えが出なくなってしまう経験を何度もしてきた。しかし、ちょっと気分転換に散歩をしたり、友人と何気ない話をしているうちに、思いがけず新しいアイデアが浮かぶことがある。その瞬間は、意識的に何かを考えているわけではなく、心が「空」の状態にある。そんな状態こそが、実はクリエイティブなエネルギーを生み出す源であり、ゆとりが生む「創造の種」と言えるのだ。


現代は特に、スマートフォンやSNS、メール、仕事の連絡など、絶え間ない情報の流入で、心のゆとりを確保するのが難しい時代だ。少しでも空き時間ができると、スマートフォンを手に取って新しい情報を追いかけるのが習慣化している。しかし、こうした習慣が、心の余裕や創造的なアイデアの芽を奪ってしまっていることに、改めて気づかされる。だからこそ、意識的にデジタルデトックスを行い、心のゆとりを取り戻す時間を作ることが必要だと感じている。


最近では、1日1時間でもスマートフォンやPCから離れ、自然の中で過ごす時間を設けるようにしている。公園のベンチに座り、風の音や木々のざわめきを聞きながら、何も考えずに過ごすだけで、心がリフレッシュされる。そして、不思議なことに、そうした時間の後には自然と新しいアイデアが浮かんでくるのだ。


このエッセイを読んでいる方にも、ぜひ試してみてほしい。忙しい毎日の中に、ほんの少しの「ゆとり」を意識的に取り入れるだけで、心に豊かな創造の種が育つかもしれない。何もせず、ただ心を解放する時間を持つことで、いつかその種が花を咲かせ、新たな発想やインスピレーションの源となるだろう。

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ゆとりが生む創造の種 星咲 紗和(ほしざき さわ) @bosanezaki92

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