野盗
こいつはおかしい、とルイスは思った。仲間の首を躊躇なく、真っ二つにした。同時に、自分はケイではないことを実感した。
ケイのように事を上手く運ぶ才能も、何があってもどっしりと居座れる自信もない。
ルイスはもう何もかも、諦めたくなった。
「ケイ、助けて」
声はシルヴェに聞こえるほどの大きさで飛び出てきた。
もう何もかもが嫌だ。
ケイは起きるはずないのに、眠らせたのは自分なのに。
でも、いや、だからこそ、自分の手で勝ちたいに決まっている。
「ははは、嬢ちゃん、もう諦めちゃったのかい?」
男が迫る、ルイスは沈黙を続ける。
ルイスの脳裏を父の声が過ぎった。
『魔王の力は平和のためにしか使っちゃいけないよ?そして、平和ってのは他者を踏みにじって為すものじゃないんだ』
ルイスは聞いた。
『じゃあ、どうして人と戦争をしているの?』
父は答えた。
『もう、この国の軍隊は僕のものじゃないからね』
そんなはずないのに、父は偉いのに、魔王なのに。
ルイスは何の種族の取柄もないプレーンという種族である。しかし、それは対外的にはという話。
ルイスは厳密には、全ての種族の力を持っている。
魔の王とは、全ての種族を統べるからこそ、魔の王だ。
シルヴェは再び剣を振るった。
剣はルイスを真っ二つにした。
「お願いします。降伏してください」
ルイスは死なない。
死ぬはずがない。
ルイスは不死族でもある、彼らは死なないのだから、ルイスが死ぬ道理がない。
シルヴェの剣は何度もルイスを貫くが、決してルイスは死に至らない。
「お願いしますから、諦めてください」
シルヴェは何度も何度も何度も、ルイスを斬った。その度にルイスは再生し続ける。次第に、剣が溶けた。
「南方に酸虫族という、酸を身体に宿す種族がいるんです。きっと、その種族の力だと思います。お願いだから、止めてください」
ルイスは諦めた。諦めてもらうことを諦めた。
「鬼人族という種族を御存知ですか?身体の血を早く巡らせることで、身体能力を上昇させるそうです」
野盗が次々と襲い掛かってくる。
一人の野盗の踏み込みに、ルイスは咄嗟に身を屈めた。
半歩ずれた目測によって、野盗の剣は空気を絡めとった。
ルイスはそのまま、野盗の胸倉を掴み、投げた。武道の心得のあるはずもないルイスの投げはいささか、乱暴だが中々見栄えのするもので、迫りくる野盗たちに二の足を踏ませるには充分なものであった。
ルイスの身体には赤い閃光が迸っている。
戦況は膠着するばかりである。
ルイスとしては、野盗には逃げてもらいさえすれば良かった。自分の正体だとか、逃げ帰った乗客の証言から編成されるであろう魔王の娘捜索隊のことを考えれば頭は痛い。しかし、そんなことどうだって良かった。全ては自身に責任があることを強く理解していた。
今や、ルイスにまとわりつく視線の全てが恐怖だ。
乗客は皆、ルイスを野盗以上の化け物と見ていた。野盗が勝てば、奴隷として生き長らえることができる。しかし、この薄気味悪い女の勝利の果てに何があると言うのか?
乗客が小声で、野盗を応援する声が聞こえた。
状況は丸っきり逆転した。
ルイスこそが化け物であり、加害者であり、この不幸の原因であるといった口ぶりだ。
ルイスは泣きたくなった。
静まり返る中で、ケイが少し大きな寝息を立てた。
平時であれば、何の気にも留められいような音だ。ケイは寝ているし、そこに意図などあろうはずもない。しかし、今、この瞬間では別だ。ルイスを含めた全員がケイに注目する。
何せ、それは強烈な違和感である。
切った張ったの大立ち回りに、ルイスの血やら冒険者の血やらで辺りは凄惨な様相を呈している。音が無くとも、血や臓物の臭いだけで、飛び起きてしまいそうな有り様だ。
そんな中で、一人スヤスヤと寝息を立てている。
なにより、男はルイスの連れだ。
ただでさえ、化け物じみている女の連れ、そこに疑問が生じるのも当然だ。
ルイスの頭にケイの言葉がフラッシュバックしたのもきっと、偶然だろう。『恐怖には際限がない』『想像させた方がずっと効率が良い』
「皆さん、静かに。もし、私の兄が起きてしまったら…………私にも止めることはできませんから」
ルイスはにやりと笑う。
言葉とすれ違った表情、暗に兄を起こして皆を取って食わせてやろうというアピール。
乗客も、野盗も、我先にと逃げ出すのにそう時間はかからなかった。
彼らは、恐るべきルイスの兄を勝手に想像したのだった。
辺りはただ、強烈な死臭を残すばかりで、ただそれでもこの場には三人の人間が残った。
ルイスとケイ、そしてシルヴェである。
「どうして逃げなかったんですか?」
ルイスが尋ねた。
「俺だって眠かったら寝る。それは自然の摂理だからな」
シルヴェが答える。
「意味が分かりません」
溶けた剣を片手に、それでもなお逃げることのないシルヴェに、ルイスは強い警戒心を持っていた。
「俺は昔から自分のことをやるときはやる奴だって思ってたんだ。お袋を襲う親父を刺した時だって、やってやったと思ってた、まぁ手遅れだったんだがな。それで、精一杯逃げた。たどり着いた村でも、同じだった。本当に俺の力が必要なときは、いつだって手遅れで、起きたときには、俺にはもうどうしようもなくなってたんだ」
シルヴェは笑っている。
明らかに無理をして笑っていた。
「次は野盗だ。これで最後、俺の人生はここまで落ちぶれちまった。だからもう、落ちる先もない。ただ、神様はちゃんと見てるんだな?今日の俺の眼はパッチリ開いている。起きている。今日は間に合うんだって」
シルヴェは冒険者の剣を手に取った。
「野盗といえど仲間は仲間、俺はくそったれだが、クズではない。逃げる仲間の時間を稼いでやるさ。今まで、大事なときまで眠りこけていた俺が、今度は眠っているアンタの兄が起きるまでの時間を稼ぐなんて誂えたみたいじゃないか?」
ルイスは半目でシルヴェを見つめていた。
追いかけないのに、と言っても、嘘つきの言葉は信用してもらえないかもしれない。
ルイスは先手を打つことに決めた。
「大体、仲間が大事なら人質交渉に乗ればいいじゃないですか?」
言葉とともに、思いっきり蹴りつける。身体能力に任せた蹴りはシルヴェの右手で抑えられた。
「いーや、野盗の流儀ってのを分かっていないな」
シルヴェは余った左手でルイスに向かって剣を振る、一回、ルイスは死んだ。
「意味が分かりません」
ルイスは持たれた足を軸に、シルヴェの腕を捻り上げる。ゼロ距離でのインファイト、純粋な体力勝負に持ち込めば、有利なのはルイスだ。
「仲間のために命を懸ける、これは素晴らしいことだろ。しかし、命を取られた挙句、仲間の命まで危険に晒す。そんな奴は死んだ方がマシだ」
すかさず、シルヴェはルイスの足を離して、距離を取ろうと試みる、がルイスの馬鹿力によって、組み付かれた腕を離すことができない。
シルヴェは組み付かれた腕ごと、ルイスを斬りつける。
「そんなこと分かりたくもないです」
ルイスの傷は、やはりすぐさま完治に至った。
対して、シルヴェの傷跡からはドクドクと血が流れ出ている。
それは、ルイスにはあまりにも不合理な行為だった。
シルヴェは剣を持ち替えた。
怪我をした手では剣をまともに振ることもできないと判断したのだった。
ルイスはひたすら体術で攻めた。ぶつかること数度、シルヴェの生傷はひたすら増えていく。しかし、シルヴェは一歩も引かなかった。
「もう時間は稼いだでしょう?」
「いや、まだだ」
もうすっかり日は落ちてしまった。
夜風は冷たく、血に濡れた身体は熱く、白んだ息が空へと溶けていく。気づけば秋であった。真夏に入った監獄にすっかり季節感を狂わせられたことをルイスは実感した。
興奮していた馬も落ち着きを取り戻し、そこらの草を食んでいる。
シルヴェはもう限界だった。立つのも精一杯といった様子で、剣を杖代わりに、ルイスと相対していた。
小突くまでもなかった。
シルヴェは倒れ、ルイスが勝った。
緊張の解けたルイスもまた、地面に膝をついた。
冒険者の血はもう固まっている。どす黒い赤は固形化し、嘘のように虫が集っている。
今もまだ、瑞々しい血は、ルイスとシルヴェのものだ。
ルイスはもう寝てしまうことに決めた。
身体を動かす気力だって残っていない。
しかし、それは最後に、するべきことをこなしてからだ。
ケイが起きたときの混乱は筆舌に尽くしがたい。
朝、学校に行くための電車で寝てしまい、起きてみると下校の時刻だったくらいには衝撃的な状況だった。
まず、馬車が止まっていた。馬車の外には幾つもの死体が打ち捨てられており、凄惨な戦いのあとが見て取れた。さらに、自分の隣に血だらけのルイスが寝ており、可愛らしい寝息を立てている。
そして、ルイスの服には、幾つもの生々しい切り傷が…………なかった。
ルイスの服は表面だけが丁寧に切り取られており、ルイス自身に怪我は見当たらない。
しかし、それでも、所々にスリットが入っているようで、目のやり場に困る。
辺りを見渡すも人影はない。
ケイは一瞬、勇者には隠された能力があり、その能力によって無意識的に状況を打破したのかと思ったが、自身の服は綺麗である。
であれば、やはりルイスか。
実を言えば、魔王という役職には隠された情報が多い。魔族国において、如何なる権限を持っているのかその一切が不明なのだ。また、執政についても執り行っていないようで、全くの謎であった。
そのため、ルイスに隠された力があっても、おかしくはないのだが。
大口を開け、乙女らしからぬ寝息を立てるルイスを見れば、そういった推察は少し馬鹿らしくなる。まぁ、何もかも聞けば済む話だ。
席を立とうとした拍子に、ルイスが起きた。
寝ぼけまなこでケイを見たルイスは、驚きとも焦りともとれぬ表情を浮かべた。
「えっと…………」
ケイは聞き返す。
「何だって?」
「逃げることも出来たんですからね?」
ルイスの言葉は半分、寝言のようなものである。だからこそ、ケイは特別注意を払わない。
朝日は空高く昇っているが、辺りにはまだ夜の冷たさが残っている。
ケイは上着をルイスに預け、馬車を降りた。
『勇者』に疲れたので、敵国の姫様と夜逃げすることに決めました ウユニ @kabotyazuki
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