スマグラー

こみつ

第1話 デンジャラス カーゴ

港に立ち込める潮の香りは、いつもと変わらなかった。


「誠司さん、荷物の確認は終わりました?」

咲子の声が、コンテナの陰から聞こえてきた。斎藤誠司は最後の箱を慎重に確認しながら、軽く手を振った。


「ああ、問題ないぜ。今回も上等な牛肉と豚肉だ。共産国の連中は喜ぶだろうな」


誠司は満足げに荷物を眺めた。厳しい食料輸入規制が敷かれた共産国では、良質な肉類は貴重な密輸品だった。誠司と咲子のコンビは、そんな需要に応えて着実に実績を重ねてきた。


「でも、なんだか今回は様子が変ですよ」

咲子は周囲を警戒するように視線を走らせながら言った。

「依頼主の態度も、いつもより焦っているように見えました」


「気にしすぎだって。俺たちは単なる運び屋さ。余計なことを考えるな」


誠司はそう言いながらも、何か引っかかるものを感じていた。確かに、今回の依頼は急だった。しかし、密輸の仕事に完璧な準備なんてない。臨機応変に対応するのが、密輸屋の腕の見せどころだ。


「さて、出発の準備を...」


その時だった。箱の隙間から一枚の紙が風に舞った。咲子が素早く拾い上げる。


「これは...」

咲子の表情が凍りつく。


「どうした?」


「見てください」


誠司は紙を受け取り、目を通した。そこには共産国の軍事施設の配置図と、高官たちの汚職を示す証拠が記されていた。瞬間、誠司の背筋が凍る。これは普段の密輸品とは、まったく次元の異なる代物だった。


「なんてこった...」

誠司は唇を噛んだ。密輸屋には密輸屋なりの誇りがある。食料品なら、それは人々の命をつなぐものだ。しかし、これは違う。政治や軍事に関わる機密文書は、取り扱いを誤れば人の命を奪うことにもなりかねない。


「誠司さん、これは罠かもしれません」

咲子の声は真剣だった。

「依頼を断りましょう」


しかし、もう遅かった。


「そこの二人!動くな!」


厳しい声が響き渡る。振り向くと、黒い制服に身を包んだ男たちが、銃を構えて近づいてきていた。その先頭には、若い男が立っていた。整った顔立ちながら、その眼差しは鋭い。


「私はヴィクトル。共産国秘密警察所属だ」

若い男は冷たく言い放った。

「お前たちを密輸の容疑で逮捕する」


「つまんねえな」

誠司は肩をすくめた。

「普通の密輸なら、いつもの賄賂で...」


「黙れ!」

ヴィクトルの声が鋭く響く。

「今回は違う。我々は機密文書の存在を把握している」


誠司は一瞬、目を見開いた。まずい。向こうは最初から機密文書の存在を知っていたのか。これは本当に罠なのか?しかし、考えている暇はなかった。


「咲子!」


誠司の声を合図に、咲子は手元のスイッチを押した。港の一角に仕掛けていた発煙筒が次々と炸裂する。白い煙が辺りを包み込んだ。


「撃て!」


銃声が響き渡る。しかし、誠司と咲子はすでに走り出していた。共産国の街へと逃げ込む。建物の影に身を隠しながら、二人は息を切らせて走り続けた。


「ここまでやるとは思わなかったな」

誠司は走りながら呟いた。

「単なる密輸なら、普通は見逃してくれるのに」


「だから言ったでしょう」

咲子は息を切らしながら答える。

「今回は何かがおかしいって」


背後では銃声と怒号が続いていた。二人は細い路地を縫うように走る。共産国の街並みは迷路のように入り組んでいた。それは逃げる者にとっては味方となる。


「あそこ!」

咲子が指さす先には、古い倉庫が建っていた。

「一時的な隠れ場所には使えます」


二人は倉庫に飛び込んだ。扉を閉め、重い箱を押し当てて即席のバリケードを作る。誠司はポケットから例の機密文書を取り出した。


「なんだってこんなものが...」


「誠司さん、これは単なる偶然じゃありません」

咲子は真剣な表情で言った。

「誰かが、私たちを利用しようとしているんです」


外では警察のサイレンが鳴り響いていた。二人は息を潜めながら、次の行動を考えた。しかし、状況は刻一刻と悪化していく。共産国の街は、すでに檻と化していた。


誠司は咲子の顔を見た。かつて助けた孤児の一人が、今は最高の相棒になっている。その彼女を、こんな危険な目に遭わせてしまった。


「すまない」

誠司は呟いた。


「謝るのはまだ早いですよ」

咲子は微笑んだ。

「私たちは、まだ諦めていません」


その時、倉庫の扉が大きな音を立てた。誰かが外から押している。バリケードがみるみる軋んでいく。


「準備はいいか、咲子」


「はい、誠司さん」


二人は暗黙の了解で、倉庫の奥にある非常口に向かって走り出した。これは始まりに過ぎない。これから彼らを待ち受けるのは、おそらく想像を絶する危険な逃走劇だ。


しかし、それでも二人は走り続ける。なぜなら、それが密輸屋の誇りというものだから――。


(第一話・終)

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