第2話 追跡
倉庫の非常口を抜けると、そこは薄暗い裏路地だった。生ゴミの腐臭と排気ガスの混じった空気が、二人の肺を刺激する。
「こっちだ!」
誠司は路地裏の地理に明るい咲子を先導に、迷路のような街を駆け抜けた。背後からは秘密警察の怒号が響き、時折銃声が轟く。二人の心臓は激しく鼓動し、肺は焼け付くように熱かった。
「このままじゃ、いつまでも追いかけられる!」
息を切らしながら咲子が叫ぶ。
「どこか、身を隠せる場所を見つけないと!」
誠司は周囲を見渡した。路地裏にはゴミ箱や廃材が散乱し、人影はない。だが、身を隠せるような場所は見当たらない。
「あそこ!」
咲子が指さしたのは、古びたアパートだった。鉄製の扉は錆び付き、窓ガラスは割れている。人の住んでいる気配はない。
「ここなら、しばらくの間は隠れられるかもしれない」
二人はアパートに駆け込み、扉を閉めた。内部は薄暗く、埃っぽい。壁には落書きがされ、床にはゴミが散らばっている。
「とりあえず、ここで一息つこう」
誠司は壁に寄りかかり、深呼吸をした。咲子も床に腰を下ろし、胸を押さえた。
「一体、どうして…」
咲子は呟く。
「私たちが、こんな目に遭わなきゃいけないの?」
「わからない…」
誠司は首を振った。
「だが、一つだけ確かなことがある。これは、ただの密輸事件じゃない」
例の機密文書。あれがすべての始まりだった。一体誰が、何のために、あんなものを密輸品に紛れ込ませたのか?
「誠司さん、見て!」
咲子が窓の外を指さした。窓から見える通りには、秘密警察の車両が数台停車し、武装した男たちが周囲を警戒していた。
「完全に包囲されてる…」
誠司は呟いた。
「逃げ道はないのか?」
咲子はアパートの中を探索したが、出口は正面の扉しかない。窓はすべて鉄格子で塞がれている。
「だめです…ここは袋小路です」
絶望的な状況に、二人は言葉を失った。
その時、アパートの奥から物音がした。
「誰かいるのか!?」
誠司は叫んだ。
物音は止まった。だが、次の瞬間、二人の目の前に人影が現れた。
「!」
それは、顔に深い傷跡を持つ大男だった。ぼろぼろの服を着て、鋭い眼光で二人を睨みつけている。
「お前たち、誰だ?」
大男は低い声で問いかけた。
「あ…あの…」
咲子は言葉に詰まった。
「私たちは…」
誠司は状況を説明しようとしたが、大男はそれを遮った。
「そんなことはどうでもいい。俺はお前たちを助ける」
「え?」
二人は驚きのあまり、言葉を失った。
「だが、条件がある」
大男は続けた。
「お前たちが持っている、その荷物を見せてくれ」
「荷物…?」
誠司は一瞬戸惑ったが、すぐに大男が例の機密文書のことを言っているのだと気づいた。
「なぜ、それを…」
「理由は聞くな。見せろ」
大男は強引に誠司から機密文書を奪い取り、目を通した。
「なるほど…」
大男は呟いた。
「これは、面白いことになりそうだ」
「どういうことだ?」
誠司は尋ねた。
「お前たちは、とんでもないものに関わってしまったようだな」
大男はニヤリと笑った。
「だが、心配するな。俺が助けてやる」
「あなたは、一体誰なんです?」
咲子が尋ねた。
「俺は…この国の闇を知る者だ」
大男は答えた。
「そして、お前たちは、その闇に巻き込まれた」
「闇…?」
二人は理解できなかった。
「さあ、行くぞ」
大男は二人を促した。
「秘密警察が、ここを見つけ出す前に」
大男はアパートの裏口から二人を連れ出した。裏口は小さな庭に面しており、そこから先は森が広がっている。
「森を抜けろ。そうすれば、街から出られる」
大男は言った。
「そして、二度とこの街には戻ってくるな」
「でも…」
誠司は言いかけた。
「礼を言いたいのに…」
「礼はいらない」
大男は背を向けた。
「お前たちは、もう十分に苦労した」
二人は大男に背を向け、森の中へと走り出した。
森の中は薄暗く、木々が密生している。足元は悪く、時折枝や根につまずきそうになる。だが、二人は必死に走り続けた。
「誠司さん…」
咲子が息を切らしながら言った。
「あの人は、一体…」
「わからない…」
誠司は首を振った。
「だが、あの人のおかげで、私たちは助かった」
「でも…」
咲子は不安そうに言った。
「あの人は、私たちのことを知っていたみたいだった…」
「ああ…」
誠司も同意した。
「まるで、最初から私たちを待っていたかのように…」
二人は森を抜け、街の外れに出た。そこから先は、見渡す限りの荒野が広がっている。
「これから、どうするんですか?」
咲子が尋ねた。
「わからない…」
誠司は答えた。
「だが、もうこの国にはいられない」
二人は荒野を歩き始めた。どこへ向かうのか、自分たちもわからない。だが、もう後戻りはできない。
二人の後ろには、共産国の街の灯りが、小さく輝いていた。そして、その闇の中には、二人の運命を翻弄する、黒幕の姿が隠されているのかもしれない…
(第二話・終)
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