第5話 闇の交錯

【タイトル】

第5話 闇の交錯


【本文】


濃密な霧が森の中を包み込み、木々の陰影が不気味に揺らめいていた。夜の静けさの中、咲子の呼吸音と誠司の足音だけが微かに響く。森の奥へと進む二人の背後では、秘密警察の追手が迫っている気配が絶えなかった。


「…誠司さん、本当にこの先に道があるんですか?」


咲子の声は不安に震えていた。彼女の足取りは重く、汗で濡れた髪が頬に張り付いている。


「わからない。でも、ここで立ち止まるわけにはいかない。」


誠司は疲労を隠しながらも、咲子の手をしっかりと握り締めた。彼の目は鋭く前を見据えている。


森の奥へ進むにつれて、足元の地面は湿り気を増し、ぬかるんでいった。靴が泥に埋まり、足を引き抜くたびにぐちゅりと音を立てた。


「くそっ、こんなところで…」


誠司が悪態をつく。その時、背後から聞き慣れた怒号が響いた。


「見つけたぞ!逃がすな!」


ヴィクトルの声だ。鋭い声が森の静けさを引き裂いた。咲子の顔が青ざめる。


「…来てる!誠司さん!」


「わかってる!」


誠司は咲子の手を引っ張り、森の奥深くへと走り出した。枝が顔や腕をかすめ、痛みが走る。だが、そんな痛みを気にしている余裕はなかった。


突然、前方に崖が現れた。霧のせいで見落としそうになったが、誠司は足を踏み出す直前に気づき、急ブレーキをかけた。


「危ない!」


咲子も足を止め、二人はその場にへたり込んだ。崖の下は濃い霧に覆われており、その底が見えない。遥か下からは川のせせらぎがかすかに聞こえてくる。


「どうする…? これ以上行けない…」


咲子は絶望的な声を上げた。だが、誠司は目を細め、崖の端を見つめていた。


「いや、まだだ。行けるかもしれない。」


崖の斜面は急だが、木の根や岩が露出している。「滑り落ちる危険はあるが、他に道はない」と誠司は判断した。


「咲子、俺の後に続け。慎重に降りるんだ。」


「…怖い。でも、やるしかない。」


咲子は唇をかみしめ、誠司の指示に従った。誠司が先に降り始め、彼の手の動きや足の位置を確認しながら、咲子も後に続く。岩の感触が手に伝わり、冷たさが肌を刺す。


「大丈夫だ、ゆっくりでいい。」


誠司の言葉が咲子を少しだけ安心させた。だが、その時、上から大きな影が動いた。


「見つけたぞ、逃がさねぇぞォ!」


ヴィクトルだ。崖の上から二人を見下ろし、銃を構えている。その瞬間、咲子の心臓は一気に跳ね上がった。


「誠司さん!」


「隠れろ!岩の陰だ!」


二人は岩陰に身を寄せた。次の瞬間、銃弾が崖の壁に当たり、石の破片が飛び散った。耳をつんざく銃声が何度も鳴り響き、恐怖が咲子の全身を支配する。


「くそっ、どうする…!」


誠司は頭を抱え、必死に考えた。だが、突然、真下から声がした。


「おい!下にいるのはお前たちか!?」


その声は…イワンだった。大きな声と共に、どこか頼りがいのある低音が響く。


「イワン…!?」


誠司が叫ぶと、崖の下から現れたのは、あの大男イワンだった。どうやら彼は、別のルートから崖下に到達していたらしい。イワンは上を見上げ、ヴィクトルに向かって大声を張り上げた。


「ヴィクトル!俺に挑むつもりか!」


ヴィクトルの顔が険しく歪んだ。


「…貴様、なぜここにいる!?」


「それはこっちの台詞だ。だが、今はそんな話をしている暇はないな。」


イワンは懐から何かを取り出した。それは…発煙筒だった。イワンは発煙筒の火をつけ、煙がもくもくと立ち昇った。煙はすぐに霧と混じり合い、視界を遮った。


「今だ!降りろ!」


イワンの声に促され、誠司と咲子は崖を一気に滑り降りた。足元は不安定で、何度もバランスを崩しそうになるが、イワンが待つ地点まで何とかたどり着いた。


「イワン、どうしてここに…?」


咲子が尋ねたが、イワンは無言で2人を促した。


「話は後だ。急ぐぞ。」


イワンの言葉に従い、3人はさらに森の奥へと進んだ。霧の中を駆け抜けるその姿は、まるで闇の中を疾走する影そのものだった。


その夜、3人は森の奥にある小さな洞窟に身を潜めていた。イワンが火を起こし、3人の顔が揺らめく炎に照らし出される。


「なぜ助けてくれたんだ?」


誠司がイワンに問いかけた。イワンは少し考えた後、口を開いた。


「お前たちが持っている“あれ”の正体を知っているからだ。」


「“あれ”…?」


誠司は心当たりがあった。機密文書。だが、イワンは続けて言った。


「いや、文書じゃない。“あれ”だ。」


イワンの視線は、咲子の左手に向けられていた。彼女の腕には、まだ誠司からもらったあの“ブレスレット”がついていた。


「それが…全ての鍵だ。」


(第五話・終)

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