第二話  引かれ者の小唄

 世の中には、小説の書き方をしるした文章があります。

 創作論そうさくろんなどと呼ばれている読み物です。

 そこには上手くなって世間様に認められる。人生躍進じんせいやくしんの方法が書いてあります。


 そんなたぐいの読みものが好きな人。

 創作活動のしになるものを見つけようとする人。

 向上心にあふれている人は、正しい人です。


 あなたは、大丈夫。

 もうこの先のエッセイは、読む必要がありません。

 良く食べて良く眠る。

 それで万事うまく行くことでしょう。

 ご活躍をお祈りしています。



 で。

 努力を続けるのは難しい。

 自分にはできない。辛いと言う人。

 一緒に行きましょう。


 どこに行くって?

 パライソにだよッ!



 はい。

 これから下は弱虫の話です。

 心の強い人は見なくて良いのです。




【弱虫の話】


 小説の書き方は読んでいると息が詰まります。

 こうあるべき。だから、こうすべき。

 ビジネス書みたいな語り口です。

 どちらも、より良くなりたいなら実行すべき事柄を書いてあるのですから似ますよ、それは。

 書いたものを良くする方法とは、どんなものでしょうか? 

 下に聞きかじった大ざっぱな仕組みを書いてみます。


【書いたものを良くする話】


 ① 自分の現状を評価し、大きな目標とそれを達成する間で小さな目標を設定。


 ② 客観的なデータを取得し、変更できる部分を理解して、改める。


 ③ 改めたことに対し評価し、修正をくわえる。


 ①〜③の各項目を不断の努力で繰り返します。

 終わりなき循環じゅんかんが制作物の質を向上させるのです。

 上へ。少しでも上へ。

 PCDAサイクルを回す。意欲的な行為。

 やり遂げる。達成するという意思。

 すなわち向上心。


 上って、なんの上かはわかりませんが。とにかく、立派です。

 ただ文字をならべているだけなのに、なんでそんな大仰おおぎょうなことになるのかは、わかりません。


〝向上心や努力なんて耳心地の良い言葉で言ってても、結局は自分の欲を満たすためですよね?

 そんなに立派なことですか。

 他人には、関係ないですよね。

 勝手に幸せになればいいじゃないですか〟

 そんなふうに悩んだり躊躇ちゅうちょしても、なにも得られません。

 評価を、利益を、るべきポジションをくことなく求めるのです。

 ダメな小説なんて書いてはいられないのです。


 まずは商業作家へ。そこから専業作家へ

 そして、受賞作家へ。

 現在の地点からより前へもっと前へ。

 まだ見ぬ先へ。


 行進は、どこに向かって行くのでしょう?

 いつかどこかへ到達しますか?

 直木賞や芥川賞をとれば到着ですか?

 文化勲章をとれば上がり?

 さすがにノーベル文学賞を取ると終わるのでしょうか?


 それとも、終わりなんてないのですか。


 意識の低い私のような者は、目がくらむばかりです。

 ずっと努力とか、ムリじゃないですか。

 私は怠惰たいだだし。

 なにとも争いたくないし。

 欲は深いのに、なにも頑張れません。

 でも物語は書いてしまうのです。

 現実逃避でしょう。ダメなまま逃げているのでしょう。

 考えると息がまるばかりです。


 考えてもわからないのです。

 なぜ文字を書くことでさえも、強く心を構えなければならないのか。

 なぜうまくならねばならないのか。

 わかりません。

 そんな時に浮かんだ言葉がありました。


〝も少し弱くなれ。文学者ならば弱くなれ。柔軟になれ。おまえの流儀以外のものを、いや、その苦しさを解るように努力せよ〟


 そんなことを書いた人がいます。

 私のなかでは架空のキャラクターみたいな文豪の言葉です。

 異能力ありそうな感じで、異世界へ行ってそうな文豪です。


 私は子供の頃、立派な小説家の本を読めば賢くなると思っていました。

 でも、読書なんかしたって賢くなんかなりません。

 読むうちに、なにか物事は覚えるかもしれません。

 でも、それは〝バカの一つ覚え〟の覚えた数が増えただけです。

 賢くなるために本を読む。

 そんな方法しか知らない者が、どうして賢くなれるでしょう?

 バカにつける薬はないのです。

 ただあるがままの身のたけを知るだけです。


 そんないじけ始めの時期に読んだ、悪口ばかりをいうこの文豪の本。

 彼が悪口の合間に言っていた言葉が印象に残っていたのです。


 世の中の実業の役に立たない物を書くというのは、そういう弱い者の行いではなかったのかと思います。

 少なくとも物語を書くということは、自己実現なり立身出世のためではない。そう思います。


 私も、お金は大好きです。

 楽して儲けて、大勢に偉い偉いとめられたいです。モテたいです。

 欲を叶えるために頑張ろうかな。そう思ったりもします。


 作家になって世に出るかどうかは置いておいて。

 文字を読み書きして立派になりたいのならば、実用書や参考書を読むほうが効率的です。

 そして学歴を積むなり、資格を取るなり、論文を書くなりなされば良いのです。

 立派な学者か士業しぎょうに就けばいい。

 物語を書く必要はないでしょう。

 文字を読み書きして役に立てないものにこそ、小説がいる。そう思うのです。

 


 好きだから読む以外になんのえきもないし、いらない。ただのお話。

 生きるのさえ、ままならない者の息抜き。

 大層ご立派な娯楽を持ち得ない者のなぐさめ。

 それが物語なのだと思います。


 きっとこんな雑文は、なまけ者のごとだという人もあると思います。

 ダメでいたいなら、いればいい。

 ずっとそう思ってもれてゆけと言われることでしょう。


 その言葉は正しいです。正しいばかりです。

 でも弱虫は、そうとしかやりようがないのだから仕方がないのです。

 覚悟してもれていてやります。


 努力し立派な物語を作り成功した方々かたがたは、こんな空語くうごなど大力おおぢからだして言い負かす必要もない。

 冷笑をするだけで済むことです。

 こんな話は────

 引かれ者の小唄です。



 引かれ者は、言うに言われぬなさを吐きます。

 そんな羽目はめになるはずもない立派な人は、震える声を笑う者は、その気持ちをなにも知らない。知るよしもないのです。


 弱虫には、行き場のないなさ、役に立たない無駄な妄想、他人に理解されない執着しゅうちゃく。これらのように世の中に無価値なもの。

 それしか持ち合わせがないのです。


 だから、私は取るに足りない価値のないものに価値を見たいのです。

 だから、文字を並べるのです。

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木山忍法帖 木山喬鳥 @0kiyama

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