かくれんぼ

壱原 一

 

よそ様にはとても言えないのでこちらに失礼します。


先年夫の兄が亡くなりました。学校の卒業旅行に出掛け、帰ってからずっと生家たる夫の実家に籠もっていた人です。


Webを介して仕事をこなし、自室を訪ねられるとそつなく応じましたが、風呂やトイレの短時間以外は殆ど自室を出ず、かと思えば血相を変えて家中を走り回ったそうです。


結婚の挨拶へ伺った折にお話ししたことがありました。言われてみれば物静かで口数が少なかったものの、落ち着いていると言い換えても遜色ない印象を受けました。


どうして家に籠もっていたのか分からず仕舞いになりました。


生前の義両親や、義兄と距離を置いていた夫の話を総括すると、籠もり始めた当初は、旅先から何かついてきて、居着いてしまって、追われているという風に主張していたようです。


こうした主張や、家から出ず、時に走り回る以外の社会性は確かだった為、本格的な治療には至らなかったとのこと。


義実家は遠方で、交流も疎らでしたので、これまで取り立てて気にせず過ごしてきました。


そうも言っていられなくなったのは、夫の転勤に伴い義実家へ引っ越したからです。


夫の転勤先が近く、駅やら店やら揃った立地、目立った傷みはリフォームされた、他に住む人のない家です。異論ありませんでした。


近所に児童公園や幼稚園があり、また小中学校への通学路が通っていて、子供達の挨拶や笑い合う声が聞かれ、活力を分けてもらえるようで、むしろ気に入った位でした。


日中、家事をしていると、大人と子供が遊んでいる声が聞こえます。最初は近所の児童公園で親子が、はたまた幼稚園で先生と園児が遊んでいるのだろうと思っていました。


ところが声の聞こえ方が、どうも位置が不自然で、聞こえたその時々で家の傍を回っているようなのです。


義実家の家の周囲と言うか、もはや外壁に取り付いて、大人と子供がそれぞれに、家の中へ向けて声を張っているような、そういう聞こえ方をするのです。


家の奥にある脱衣洗面所で、洗い上がった洗濯物を洗濯機から出している時、すぐ脇の、外に面した壁越しに元気な声で喚かれた時は、ぐわっと毛穴が広がって、驚きに汗が吹き出ました。


もーいーかぁーい!


大人の声です。


これは完全に家の敷地へ入っていると思って、怖くて足音を忍ばせて2階へ上がり、ちょうど脱衣洗面所の上に当たる部屋の窓をそっと開けて地上を覗き込みました。


何があるとも見えぬ間に、1階の玄関で鍵の掛かった扉がガシャンとつんのめる音がして、身軽で慌ただしい足音がドタドタ脱衣洗面所へ走りました。


毛布を脱水する工程で、偏って暴れる時のように、洗濯機がゴトンガタンと鳴って、蓋がバシャンと閉まりました。


よもや子供が侵入して洗濯機に隠れたのか。


危ないし、非常識だし、ドアも窓も開けていないのにどうやってと、大パニックに陥りながら階段を駆け下りて脱衣洗面所へ急ぎました。


洗い上がった洗濯物を詰めた篭が倒れていて、蓋が閉まった洗濯機から、ごそごそ動く服の音と、小さな息遣いが聞こえました。


確かに聞こえたんです。


ただちに連れ出すつもりで開けた槽の中は空っぽでした。


あまりの混乱に怒りすら覚えた内心を一層かき乱す風に、次には2階のいま居た部屋の、覗いていた窓の辺りから、内側へどさっと何かが落ちてゴロゴロ転がり壁にぶつかった音がしました。


重く、大きく、長めの物の音です。


外で喚いていた大人が入って来たと思いました。


まさか気付かれて入られるとは予想だにしませんから、子供の侵入に気を取られ、そっと開けて覗こうとしたまま閉め忘れていたんです。


百歩ゆずって何かの拍子に子供が1階へ入るのと、閉め忘れた2階の窓から見知らぬ大人が入るのとでは脅威の度合いが違います。


どうやって入ってきたの。なんで居ないの。どうして来るの。


すべて責め立てたい気持ちで洗濯機の蓋から手を離した途端、待ち兼ねたようにバシャンと閉まり、中から大声が響きました。


もーいーよーぉ!


子供の声です。


すぐさま堰を切ったように猛々しく階段を下りて来る音がして、生まれて初めて腰が抜けました。


仮に後でどれほどの事情が明らかになるとしても、今この瞬間はとうてい状況に対処できないと感じて、ぶるぶる震えながら這いずって風呂場へ隠れました。


扉から死角になる筈の浴槽へ入り、うずくまって頭を抱え、良い歳をして泣きさえしました。


そうやって頭を抱え、自分の呼吸と心音で耳を塞がれていた為に、かなり経って恐る恐る起き上がり、空の洗濯機の蓋を開け、耳を澄ませつつ何ら異変のない家中を回り、閉め忘れた2階の窓を閉め終えるまでに、果たして何がどうなっていたのかまるで分かりません。


呆然と思い出されたのが、先年この家の玄関のすぐ外で亡くなった義兄のことです。


全然ちがうのかもしれません。


でも、ついてきて、居着いてしまったものに、追われているのでは。


見付かったら、義兄のように。


義兄はそれで亡くなったのでは、と。


荒唐無稽な話なので、よそ様には無論のこと、長年義兄の奇行に葛藤を抱え、疎遠を貫いた夫にも打ち明け兼ねています。


あれ以来、中に居るみたいなんです。


次にもう良いかいと声がしたら、もう良いよと答えられる前に逃げられるよう、物静かに口数が少なくなりました。


外で子供達のはしゃぎ合う声が、今では恐ろしく感じられます。


紛れて聞き逃してしまいそうで。



終.

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かくれんぼ 壱原 一 @Hajime1HARA

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