Book 4. 勝者に祝杯を。

「畜生ッ! 諦めてたまるかッ!」


 俺は宙に浮かぶ『エイボンの書ブック・オブ・エイボン』のページを慌ててった。記載された呪文はメフィストのいうとおり、どれも魔法というより呪いに近いものばかり。炎や雷などを紡ぐ魔術は見当たらなかった。


「魔術師の素質は魔力の多寡たかではなく、数値では測れない、発想力や応用力で決まるのです。魔術とは現実を改変する力なのですよ」


 それが助言のつもりなのか、メフィストは他人事ひとごとのようにのたまう。

 クソっ、どうすればいい!?

 不安と焦りが臓腑ぞうふの底に溜まり、絶望となってかもされる。

 対して上村は、所持する『無名祭祀書ネームレス・カルツ』に熟知している余裕が感じられた。酷薄な笑みを浮かべ、俺の出方をうかがっている。やはり魔術師として一日の長があるのは間違いない。

 何か手掛かりはないかと、俺は眼前に広がる拡張現実エーアールディスプレイに隈なく目を走らせた。しかし、対戦者の能力値アビリティ秘匿ひとくされて確認できず、室内に武器となり得るような物も見当たらない。

 視界の端で割れた酒瓶に目がとまったが、これを振るったところで大した役にはたつまい――と、牽制するように伸ばされた上村の左手が、瓶から飛散したであろう液体によって濡れているのに気がついた。

 そのてのひらに赤く斑点が浮かんでいる。

 視界のARディスプレイ上に〝weak〟の文字が追加表示された。

 これはもしや。

 ――試してみるか。

 俺は操作装置ユーアイを操って該当ページを呼び出し効果を確認すると、呪文の発動キャストを実行した。

 魔術は呪文毎に詠唱時間が決まっており、瞬間的に効果を発揮するものもあれば、儀式魔術のように長時間を必要とするものもある。メイガスフォンによって半ば自動化されているとはいえ、俺の狙いにはまだ幾ばくかの時を必要とした。


「させねえよ、雑魚がッ!」


 俺の動きを見て取った上村は、遠慮なく強力な魔術をぶつけてきた。

 再び俺を害する魔力が周囲で高まり、呪文に対する抵抗を試みるが、今度はあっけなく力負けしてしまう。


「ぐうッ……ぎゃあああああッ!」


 スマホを握る右腕に激痛が走り、俺は思わず絶叫した。左手で右腕を支えて、なんとか取り落とさずにすんだ。しかし――。

 腕が、腕がァ!

 俺の右腕は肘から先が黒く乾いてしなび、痩せ細り縮んでいく。その苦痛たるや、22年の生涯で初めて体験するものだった。

 よく気を失わずにいたと自分でも感心する――その理由は、儀式魔術が完成するまでの残り時間に集中していたからだ。

 激痛に耐えながら、そのカウントがゼロとなった瞬間。

 俺は魔術の成立を宣言した。


「くッ……我、虚空の神に供物を捧げん。酒杯よ、満ちよ」

「はッ、なぁに気取ってんだ。何も起こらないじゃないか……うん!?」


 最初は何も変化がないように思われた。

 しかし数秒後、眉間に皺を寄せた上村は、どんどん顔が赤くなり、その後蒼白になって――頭からひっくり返った。


「ごぶぐぶッ……げほッ……お前、いったい何を……」


 口から泡を吹き、黄金色の液体をしたたらせながら、上村は呻くようにいった。


「〈黄金の蜂蜜酒ゴールデン・ミード〉を精製した。お前のな。知らなかったか? 消化器官は体内じゃない。胃の内壁はなんだ」


 ――とはいえ、上村によって呪文抵抗される可能性もあったから、この試みは一か八かの賭けではあったのだ。神に祈りと供物を捧げる事によって救われたのだと、そういえなくもあるまい。


「お前がアルコールアレルギーなのは気がついていたが、ここまで効くとはな……オイ、何とかいえよ先輩だろ」


 上村は白目を剝き、ぐうッと呻って気絶したようだった。


「「カミムラユウタの戦闘不能を確認。よってサギタトモヒロを勝者とします」」


 再び二人のメフィストがゲームの終演を宣言した。


「初勝利おめでとうございます。その右腕は速やかに〈治癒ヒール〉の呪文で治療したほうが良いでしょう」

「ああ、思い出したら痛くなってきた……」

「対象のメイガスフォンの上に、本機を重ねてください。こちらの魔道書ライブラリに移行できます」


 床に転がった漆黒のスマホにこちらの本体を重ねると、やはりピロリン♪と軽薄な音が鳴り響いた。どうやら新しい魔道書を入手したらしい。

 ああ、疲れた。

 死ぬかと思った。 


「さて、残る魔道書は八冊。私、この遊戯の魅力と意義について十分にお伝えできたでしょうか」

「ああ、俄然がぜん面白くなってきやがった」


 ――俺の心の奥底に、薄暗い炎が灯ってしまったようである。


(魔術師の遊戯・了)

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魔術師の遊戯 猫丸 @nekowillow

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