第3話「手を繋ぎたい」
「手を、繋ぎたい?」
レイモンは私の手首から手を離し、良くわからないけど両手が指を絡ませる恋人繋ぎになった。
……何これ……! 何これ! 本当に、何なの? 聞きたいのは、言われたレイモンの方だよね!
誤魔化すために手を繋ぐことを希望することになった私は、なんとも言えずに背の高いレイモンを見上げ、彼もなんだかおかしいと思って居るのか私を不思議そうに見た。
しばし見つめ合った後、レイモンが言った。
「エレオノーラ? もしかして、君は記憶を失っているのか?」
「……レイモン……様?」
そっ……そうなんですけど、厳密には少し違うけど、現象としては同じっていうか……どう言って説明して良いものか。
「君は二年生になった時に、急に性格が変わった時があった……あの時と、一緒だ」
「……は?」
二年生の時って、もしかして……物語が始まるマリアンナが、転校して来る時のこと?
「エレオノーラ……僕たちは前は上手くいかなかったが、今は愛し合っている婚約者で、マリアンナについても君が手助けして、誰にも文句も言わせないような完璧な淑女になったんだ……覚えていない?」
「ごめんなさい……わからない」
素直な私の言葉に嘘はないと思ったのか、レイモンは私のことを自然に抱きしめた。
彼に抱きしめられたことを、私は覚えのある感覚だと思った……初めてのことのはずなのに。
これは、身体だけの記憶? ……それとも、私が本当に記憶喪失なのかもしれない。
だって、物語開始にもし私が転生出来たならって、さっき思ったもの。そう思った通りになっていて、だからこそ……私は。
「そうか……まあ、記憶がなかったのなら仕方ない。君が来なくて心配で、いらいらして態度が悪くすまなかった……そんな理由だとは思わなかったから」
「私……今夜、レイモンに婚約破棄されると思っていたの」
これは、本当! さっきまで、レイモンに婚約破棄されないとって、彼を探していたのに……それが全部勘違いだってわかって、本当に嬉しくて。
「……婚約破棄を? 貴族女性にとっては、致命的とも言える不名誉を背負う事になる。僕は余程のことでもないと、そんなことをする訳がないよ」
「そっ……そうよね」
それを聞いた私は、なんだか居たたまれない気持ちになった。
漫画の中のエレオノーラは、その余程のことをしちゃったんだよね……けど、婚約破棄されたから田舎追放くらいの罪で済んだのかもしれない。
だとすると、あれはレイモンなりの婚約破棄を合わせたの温情だったのかな……あの時には周囲にはエレオノーラがマリアンナを虐めたことが知れ渡っていたし、何か処罰をしない訳にもいかなかっただろうから。
何か考えていた様子のレイモンは、慎重な口調で話を切り出した。
「エレオノーラ……君、そういえばこの前に魔法薬の店に行ったと聞いた。もしかしたら、その時に購入した薬が取り違えていたのかもしれない」
「……魔法薬のお店?」
……そうそう。確か物語の中でも出てきた。
魔法薬を売るお店があったはずだ。物語の途中、マリアンナは母に似ている自分に酷い執着を向ける父親に、記憶を失う薬を飲ませるはずで……え?
もしかして、それって。
我知らず、喉が鳴った。
特定の対象の記憶を失わせたい場合、飲む前に対象者の話をするらしい……けど、忘却の魔法薬のみを飲んでしまうと、何もかも忘れてしまうと……。
「そうだ。君は三日前にマリアンナと一緒に、魔法薬の店に行き、肌が綺麗になる薬と安眠薬を買ったはずだ……そして、マリアンナは、取り扱い要注意の高価な忘却の魔法薬を買ったと聞いている。もしかしたら、そこで薬を取り違えたのかもしれない……エレオノーラが記憶が無いと気がついた時は、いつのことだった?」
それを聞いた時に、軽く頬が引き攣る感覚がした。婚約者だからって、私の行動について詳しすぎではないですか。殿下。
……ええ……それって、店への同行者はマリアンナだけっぽいし、レイモンは行ってないはずなのに、なんで知ってるの? ……き、きっと私が彼に直接言ったのかもしれないし、そういうことにして置こう。
うん。知らなくて良いことって、世界に沢山あるはず。
「……今朝、気がついたら鏡の前に居ました」
レイモンはそれを聞いて、何度か納得するように頷いた。
「肌が綺麗になる薬と安眠薬なら、昨晩飲んでいるはずだから、薬がすり替わっていて、翌朝に気がつくのなら、おかしくはないだろう。確か、さっき君はマリアンナが僕を探していたと言っていたね?」
「あ……それは、私が思い込んでいただけです。私に話しかけてくれたんですけど、怯えた様子で……そそくさと去ってしまって」
「いつもと違うエレオノーラの様子を見て、彼女の買った魔法薬との置き換わりに気がついたのかもしれない。だから、何も言わずに去ったのではないか?」
……あー……そうなのかもしれない。だから、あの時、マリアンナは……。
「私。事の次第を、ようやく理解しました……レイモン」
そっか……普通だったら完全に記憶喪失になったら、周囲の人たちも何か変って思うはず。けど、私には前世の記憶があった。だから、中途半端に誤魔化すことが出来てしまった。
今の私に前世の記憶しかないのは、この世界での記憶ではないから? だから、記憶喪失になって、転生したてみたいな状態になってた?
なんなの! 私、悪役令嬢もので、ちゃんと幸せになってたよー! 既にハッピーエンド済み! なんなのー! もう、本当に意味のわからないことになってる!
「僕もだよ。エレオノーラ……魔法薬なら、解呪すれば、すぐに記憶を取り戻す」
私は真面目な顔をしたレイモンに、ぐいっと手を引かれたので、慌てて彼に声を掛けた。
「……待ってください。レイモン」
「なんだ?」
このまま解呪出来る魔法使いの元へ私を連れて行こうとしてたらしいレイモンは、不思議そうに振り向いた。
「すぐに解呪するのは、なんだかもったいない気がして……今、記憶を失っている、この状態を楽しんでも良いですか?」
だって、記憶取り戻せばこの記憶だってどうなるかわからないし、恋仲の王子様と記憶喪失した令嬢って、なんだかすごく良いシチュエーション。
ただの偶然の産物で、もう二度とこんなこともないと思うし。
レイモンは嬉しそうに笑って、その笑顔にもなんだか既視感。きっと、私は彼のこの笑顔がすごく好きだったのね。見ただけで、嬉しくなったもの。
「君のそういうところが好きだ。エレオノーラ。良いよ。わかった。これから、どうしたい?」
「卒業式に行きましょう。私たちの人生の中で、貴族学校の卒業式は、今日だけなの! 今夜だけの空気を楽しみたいです!」
そして、私たち二人は仲良く手を繋いで卒業式会場へと向かい、ダンスを楽しみ、婚約破棄なんてするはずもなかった。
Fin
今夜中に婚約破棄してもらわナイト 待鳥園子 @machidori
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