第2話「どこに行っていたの?」

 私は会場にある、大きな時計を見上げた。舞踏会や夜会など、そういった会場には楽しむために時間を知ることは無粋だと時計は置かれないものだけど、ここは学校の施設。大きな掛け時計があった。


 そろそろ、卒業式もお開きになる時間が近づいて来ていた。私はというと焦る気持ちが抑えられない。さっき話しかけに来たマリアンナの姿だって見当たらなくなったし、二人とも一体何をしているのよ!


「もうっ……このままだと卒業式が終わってしまうわ。まずいわね……今夜婚約破棄して貰わないと、私はどうなってしまうの?」


 レイモンとマリアンナが結婚するためには、レイモンの婚約者エレオノーラとの婚約破棄は、絶対に不可避だ。


 ……けれど、彼が現れないとこのままでは、漫画の展開とは大きく異なってしまう。


 原作通り私の希望通りの田舎への追放なら、両手を挙げて大歓迎するのに! ここでレイモンから婚約破棄されずに、卒業した後で断罪され若い学生のことだからという温情もなく、田舎に行く以外の処罰を受けるなんて……絶対に嫌!


 そもそも、ここに居る私はマリアンナを虐めてないし! とは言っても、転生しているのはエレオノーラの身体だから、そんな言い訳は聞いて貰えないと思うけど!


「とにかく、レイモンを探しましょう……彼が居ないと、私への断罪は始まらないんだから」


 最悪、マリアンナは居なくても良い。だって、私の婚約者はレイモンなのよ。


 真剣な顔をしたレイモンに「君のように犯罪まがいな嫌がらせを重ねた女性と、このまま結婚することは出来ない……婚約破棄だ!」と、言って貰わないと困るの! 私の勝手だけど!


 婚約破棄してくれるなら、今夜が良いの!


 なんと、悪役令嬢に転生したばかりの私は婚約破棄されるために、会場で婚約者の王子様を探すという、訳のわからない事態になってしまった。


 会場を出て、私はレイモンの居そうな場所を探すことにした。生徒会室? ううん。寮に居るのかな……せっかくの卒業式なのに、何をしているのかしら。王太子の彼が主役と言っても過言でもないのに。


 それに、私に婚約破棄するという衝撃的な出来事がなかったら、レイモンが卒業生代表として最後にお世話になった教師の先生たちや来賓の貴族たちに感謝の言葉を述べるはずよ。


 はーあ……悪役令嬢に転生するなら、物語開始前幼女の時とかせめて物語開始と同時でも良かったなあ……そうしたら、そもそも悪役令嬢にならないルートを辿り……王太子レイモンとも、恋仲になれたかもしれないのに……。


 ……あれ?


 なんだか、顔が冷たいと思って触ったら、涙が頬を伝っていた。ふわりと吹いた夜風に冷やされて、なんだか悲しい……。


 そっか……私のこの身体は、レイモンのことが好きだもんね。


 でないと、彼が優しくした女の子に嫉妬したりして、嫌がらせなんてしないよ……そうだよ。レイモンを好きだから、嫉妬するんだよ。それ以外に何も悪くないマリアンナを虐める理由なんてある?


 けど、レイモンに今夜婚約破棄されないと……田舎追放なんてなまぬるい断罪は、今時珍しいんだからね。


 私は手の甲で涙を拭って、前を向いて歩き出した。レイモンはまだ私の婚約者だけど、彼の心はマリアンナのもの。今更何かしたって、もう遅いんだから。


 レイモンを探していた私は、通りがかった庭園にある噴水あたりに居る人影を見て、立ち止まった。


 ……背の高い男の人?


 背中しか見えないけど……あれって、きっとレイモンだ。


 月明かりしかなくて視界も悪いのに、私には何故かそれがわかった。


 ゆっくりと近付けば、それは確信に変わる。光を弾く金色の髪。この国の王家特有の濃い金色だ。


「……レイモン……殿下?」


 私は緊張しながら、話しかけた。だって、私にとってはレイモンは、初対面だもの。婚約者だけど。


「エレオノーラ……何をしていた?」


 やっぱり彼だったレイモンは顔を顰めて振り向き、私に聞いた。


 卒業式会場に居なかった貴方に、その台詞をそっくりそのまま返しても構いませんか?


 けど、立場上、そんな訳にもいかないと軽く咳払いをして、私はレイモンに言った。


「あの……マリアンナ様が、殿下を探しておりました。それに、卒業式もそろそろ終わろうとしています。殿下の出番なのでは?」


 私に婚約破棄する時間が近づいておりますとも言えず、卒業式会場に行こうと上手く促したつもり。どこか得意げな様子になってしまった私に、彼は眉間に皺を寄せて低い声で言った。


「マリアンナ? ああ……あの平民の……? 何故、僕を探している?」


「……? マリアンナ様と、出席されるはずだったのでは?」


「彼女と? ……僕が?」


「あ……はい。まあ……」


 いかにも機嫌の悪そうな表情のレイモンとの会話が噛み合っていないことに、私はようやく気がついた。


 ……あれ? この人、もうすぐ私に婚約破棄する王子様だよね?


 きょとんとした私と真顔のレイモンは、しばし見つめ合った。


 二人とも、相手の動向を窺っている。何、この時間……良くわからない。


 田舎追放希望の私としては、彼にこの場で婚約破棄して貰っても良いんだけど……とりあえずは、レイモンが何かを言うのを待っていた。


 ……そもそも、私は今朝までエレオノーラではなかったし、もしかしたら私以外に転生者が居て、その影響ですべてが変わってしまったのかもしれない。


 可能性だけを考えれば、なくもないと思う。私も転生してるし……。


 え? ……え? 何。どういうこと?


「僕は婚約者の君が、ここで待ち合わせして一緒に卒業式に行こうと言うから、ここで待っていたんだが……君は何をしていた?」


 レイモンは、怒っているようだ。私と待ち合わせ? 卒業式が始まって、一時間は経っていて……その間、ずっと彼はここで待っていたってこと!?


 思いもよらぬことを言われて、私が大きな衝撃を受けていると、レイモンはどんどん近付いて来たので、慌てて両手を前に出した。


 ……あれ? 私、悪役令嬢だよ……ね?


「かっ……会場に居ました!」


「僕を放って?」


 近い近い近い。レイモンは私の両方の手首を持って、顔を近づけてきた。


 なんとか離れようとするものの、力で敵うはずもなく……今まで見たこともないような綺麗な顔が息がかかるくらいまで近づき、私は息を止めた。


「ここを離れれば、遅れて来た君がもし来た時にがっかりさせるかもしれないと、ここで待っていた僕の気持ちがわかるか? エレオノーラ。何があった? マリアンナが探していたとは、なんだ? もしかして……馬鹿にしているのか?」


「してないですしてないです。する訳なんです! 絶対、してないです!」


 一気に答えた私は、その分消費した空気を吸うことになり、上手く形容出来ないけど、物凄くいい匂いを嗅いで意識を失いかけた。


「……では、何故ここに来なかった? まずは、その理由を聞こうか? 僕が納得出来るように、ゆっくりと話してくれ」


 非常に強い圧を感じるレイモンの青い目しか見えなくなり、私はどうしても我慢出来なくなり、叫んだ。


「……レイモン殿下、近いです近いです!」


「だから、なんだ。僕らは婚約者同士、何の問題もあるまい」


「……問題あり過ぎですぅ! 無理なんで! もう! 本当に!」


 涙目の私がそう叫んだら、小さく舌打ちをしつつ、レイモンは身体を引いてくれた。


「ごめんなさい……忘れていた訳ではなくてですね……て」


 転生してきたばかりで、記憶がなかったんです……なんて、ここで言える? 無理だよね? 無理すぎない?


 本当に馬鹿過ぎる私は、ここで理由をレイモンに真っ正直に説明しようとして、異世界で生まれ育った彼にそれを理解してもらうなんて、無理なことに気がついた。


「て……? て、なんだ?」


 圧が強い。王族の圧が強い!


「てっ……てててて、手を繋ぎたいなーって……えへ」


 私だって、心からなんだそれはと思いながら、これを言いましたー!

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