今夜中に婚約破棄してもらわナイト
待鳥園子
第1話「田舎暮らし希望」
はっと気がつき鏡に映る姿を見て、私は両手を鏡に付いて思わず呟いた。
「えっ……これって、エレオノーラ・ヴァスケス?」
長くて艶のある美しい金髪に、きらめくエメラルドの瞳。生意気そうなつり目もキュートで可愛らしい顔は、人気漫画で良く見たことがある。ヴィジュアルが独特で、良く覚えていた。
え……待って待って。エレオノーラって、乙女な少女漫画の悪役令嬢だわ。
主人公マリアンナはいきなり平民から貴族になり、貴族学校に入る。
けれど、彼女は貴族の常識になかなか馴染めず苦労する。それを見かねた王太子レイモンは彼女をそれとなく何度か助ける、けれど彼には婚約者エレオノーラが居て、嫉妬に駆られて何の罪もないマリアンナに嫌がらせを重ねる。
おおまかなあらすじはこれなんだけど、どうせ生まれ変わるなら意地悪悪役令嬢エレオノーラより、何故か出会う人出会う人、全員が彼女を好きになり、幸せが約束された主人公マリアンナが良かった……。
高価そうなレースがこれでもかと豪華に装飾された白いネグリジェは、公爵令嬢という立場にとても相応しい。どうやらエレオノーラは起きたばかりで、メイドに髪を整えて貰っているようだ。
とは言え、私はついさっき前世の世界に居たような感じで、何がどうなっているのかと戸惑うしかない。
「お嬢様……? 何を仰っているんです?」
私は丁寧な手付きで髪を梳かしてくれていたメイドに聞かれて、慌てて手を鏡から離した。
「なっ……なんでもないわ。ごめんなさい」
人の良さそうな顔をした彼女は不思議そうな顔をしたものの、意味のわからない状況への動揺を鎮めようと、私が何度か深呼吸して落ち着いたのを見て、にっこりと微笑んだ。
「……ええ。私がお仕えしているのは、誇り高きヴァスケス公爵家のエレオノーラ様ですとも。間違いありませんわ」
転生したばかりの私が何を言わんとしていたか理解出来なかったらしい中年女性のメイドは、鷹揚に頷き鏡越しににこにこと微笑んでいた。感じ良い。意地悪悪役令嬢のメイドなのに……人徳ありそう。
特に死んだ記憶もなく、漫画の中の悪役令嬢になっていて、本当に驚いたけど……落ち着いて考えてみましょう。悪役令嬢に生まれ変わっても、それは別に良いのよ。
この漫画は好きだったし、そこまで長くなかったから、何度か通して読んでる。
物語の進行や大きなイベントは大体把握しているし、王子様と婚約することをそもそもしなかったり、ヒロインと関わりを持たなかったりして、断罪フラグを折ってしまえば悪役令嬢でもなくなるわ。
それに、貴族の身分さえ捨ててしまったら、いくらでもやりようがある。
普通の貴族令嬢でも無理なことでも、世知辛い現代を生き抜いたアラサーOLであれば、生き抜けると思う。前世の記憶を利用して儲かりそうな商売を始めるなりなんなり、どうとでもなりそう。
十代の世間知らずの貴族とは、そもそもの経験値が違う……やっぱり、前世の記憶って異世界ではチートよね。
「……あの、私って婚約者居るわよね?」
もし、王太子との婚約を阻止出来るなら、話は一番簡単なんだけど……そんな私の儚い願望を裏切る満面の笑みで、メイドは頷いた。
「ええ! エレオノーラお嬢様が本日卒業なされば、王太子レイモン殿下との結婚式もすぐですわね!」
……はい。私が会場で婚約破棄される卒業式、なんと今日だった! えー! 嘘でしょう。婚約阻止とヒロインとの無関係を築くこと、もう絶対無理で断罪不可避だわ。
「そっ……そうね。もうすぐよね」
……うーん……これでは、断罪というか婚約破棄を免れることは、もう無理なのね。
けど、漫画の後日談、主人公同士の会話シーンで派手好きで貴族であることに誇りを持っているエレオノーラは、田舎暮らしさせられていて、毎日泣いているという描写があった。
これは、犯罪にも近い嫌がらせを重ねた悪役令嬢の末路なのに、はっきり言ってしまうとぬるい。悪役令嬢ものを死ぬほど読んで居た私は、これは断言できる。
多分、断罪ランキングで言うと、一番軽い方の田舎追放。
それに、田舎送りになることに関しては、私自身はそれほど悪くないと思う。田舎暮らし、とても良いじゃない。そもそも人が少なくて土地が広いから、人に会わなくてすむし、空気も良くて過ごしやすいだろう。
むしろ、前世陰キャオタクだった私には罰でもなんでもなく、のんびり出来るってご褒美でしかない。
「ええ。どのような盛大な結婚式になるでしょうか……エレオノーラ様が国で一番美しい花嫁になられることを、私もとても楽しみですわ」
……ええ。レイモンには今夜婚約破棄されるんだけど、多大な期待を裏切ってしまって、本当にごめんなさいね。
王太子の妃となる令嬢に仕えていることが本当に嬉しいのか、にこにこと微笑んだメイドを見て、私は何も言えず曖昧な表情で頷いた。
◇◆◇
王太子レイモンは現在私の婚約者だけど、主人公マリアンナと恋仲であるはずだ。
それもこれも、エレオノーラが嫉妬の気持ちに駆られてマリアンナ様を虐めてしまったから、惹かれあってはいけないと自制していた彼らの仲は、だからこそというか燃え上がり深まり、完全に自滅した。
少女漫画の中の、わかりやすい悪役令嬢。
それは私のこと……自分のことだけど、自業自得過ぎて、なんだか可哀想。
けど、レイモン殿下に関しては、素敵な人だと思う。金色の髪に青い瞳に甘い顔立ちの美形で、性格も良い。絵に描いたような王子様。
病気がちだった母が亡くなり居ないはずの父親に引き取られ、平民から急に貴族になり貴族学校に通い出し困っていたマリアンナをそれとなく助けていた。貴族の父親とも上手く行かず、マリアンナは悩んでいた。放っておけなかったことは仕方ない。
そこに嫉妬したエレオノーラに虐められて、庇うしかないレイモンには婚約者が居るという状況にも関わらず、二人は葛藤しながらも恋に落ちてしまった。
……そして、今夜いよいよレイモンは私へと別れ……婚約破棄を告げ、二人は本格的に恋を始めるはず。
私は貴族学校卒業式会場へと入り、断罪される覚悟を決めて、婚約破棄いつでもどんと来いという気持ちでいっぱいだった。
こういうことは、早め早めに済ませて置きたい。嫌なことこそ、最初に片付けておく。
「……あら? レイモンが居ないわね?」
公爵令嬢の身分に相応しい豪華なピンク色のドレスを身に纏った私は、かろうじてまだ婚約者の姿を探しきょろきょろと周囲を見回した。
私は取り巻きらしい貴族令嬢たちの誘いも断り、たった一人で甘い果実水を飲んでいた。この異世界でも、未成年は飲酒が禁止。
王太子レイモンは貴族学校最高学年で、当事者でもあるし、私への断罪イベントという見せ場の大役だってある。この卒業式会場に居ないということは、まずあり得ない……はずなのに、結構な時間を不在にしていた。
レイモンはマリアンナと、今頃甘い語らいでもしているのかもしれない。そういう描写は漫画内にはなかったものの、彼女の腰に手を回し、階段を降りてくる印象的なシーンはこれから起こるのだろうから。
けど、意を決した様子のマリアンナが私へと近づいて来たのを見て、あまり良くない胸騒ぎを感じた。この彼女が好んで、虐め役の悪役令嬢の私と話すはずがないと思ったからだ。
「っ……エレオノーラ様。今夜もお美しいですね」
まるで、獣に追い詰められた怯えた子兎のように見える……震える声は緊張しているせい? けど、私は悪役令嬢で彼女を数々の嫌がらせで虐めているはずだから、こうなってしまうのも仕方ないのかもしれない。
ゆるく巻いた栗色の髪と、同色の丸くて大きな瞳。やはりマリアンナは少女漫画の主人公らしく、清楚な可愛らしい顔立ちをしている。
彼女は男爵令嬢だから、本来であれば公爵令嬢私には直接話しかけてはいけない。
もしくは互いを知っている人に紹介を頼むとか……貴族の作法を知らないはずがないけど、それでも彼女は勇気を出して話かけてくれたことになる。
「……マリアンナ様。何か、お探しのようですね?」
私は色々とあったはずの彼女に「レイモン殿下会場に居ないけど、何処行ったの?」と、直接聞く訳にもいかないと思い、なるべくオブラートに包んだつもり。
だけど、マリアンナはビクビクした様子だった……やっぱり、レイモンが会場に居ないから、彼女は困っているのかしら?
「そんなことっ……申し訳ありません。失礼致します」
「マリアンナ様?」
呼び止めたのに足を止めず、彼女はそそくさと去ってしまった。緊張した様子で私に話しかけて来たというのに、すぐに行ってしまうなんて……どういうことなの?
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