踏みつぶされる巨人

佐尻

踏みつぶされる巨人


 春になり、世間は一段と忙しくなる。学校では入学、会社では入社。新しい風が舞い込むのが春だ。4月1日、夕都チハルは西桜学園に入学した。

 チハルは入学早々良き友人に出会えた。二人いて、一人はアオ、もう一人はミドリという。二人はよくしゃべる。特にアオは芝居がかったように表情豊かにしゃべる。それにひきかえ、チハルはあまり口を開かず、二人の話を聞いていることが多い。二人が口論になればチハルが仲裁する。よくできた三人組だった。



 チハルはのんびりとした性格だ。大きな目標もなく、ただ時の流れに身を任せている。もっとも、のんびりとしているように見えて、実は野心に溢れているという人もいるだろうが、チハルは例外なくのほほんとしている。この学園に入学したのも家から近い。それだけの理由だ。

 西桜学園は学力も平均的、目立った特徴もない。勉強しなくても卒業できる。

 チハルの将来のビジョンは何もない。いくら平凡な学園でも誰かしらは何か期待を持っているはずだ。大学受験、就職、学園生活で送る青春。

しかしチハルは、

(たかが3年。なにがある。人生は長い)

と、達観していた。

これが大きなビジョンを描ける戦略家なら許されるであろうが、残念ながらチハルにそんな頭はない。ただの怠け者だ。

 一方で、2年生になった神宮ダイアは1年生の時から、将来の理想像を描いていた。そしてそれは抜け目なく、着実に進められていった。

 そんな対照的な二人がこの先出会い、どういう結末となるのか。交わりぶつかり合うことで、チハルの無垢な心に問いかける。


 

 チハルとダイアが初めて出会ったのは、新学期からひと月が経とうとしていたころだった。この時のチハルは部活に入るか迷っていた。すでにほかの生徒は決めている。友人の二人もテニス部にしたそうだ。

 先のことなど考えないチハルにとって入学してから最初の問題だった。部活は自分で決めなければならない。

 運動部は自分に向いてない。かといって、ほかの部活も皆盛んに精を出している。部活を頑張る気はないから、どこか退屈そうなところに居座らせてほしい。帰宅部になる度胸はなかった。




 朝の登校は、アオとミドリと一緒に門をくぐる。校舎の入り口まで長い一本の通路を生徒たちがぞろぞろ歩いている。

 校舎の入り口の前で一人の人影が見える。階段の上にある入り口は二つあって、生徒たちはそれぞれ自分の下駄箱が近い方から入っていく。その集団の間にたった一人で臆することなく突っ立っている。その生徒こそ、神宮ダイアであり、ぞろぞろと歩く生徒の列をどこか蔑むような眼差しで見ていた。

 遠くで彼を見つけたチハルは最初、彼を朝の挨拶でもしているのかと思った。だが、そんなそぶりはない。チハルはなぜか視線が外せず、徐々に解像度が高くなるダイアへ様々な可能性を模索したが、これといった役が考え付かなかった。





 チハルの横にいたミドリが、話も聞かずぼーっと前を見ていることに気づいて肩をたたいた。


「おい。おーい」


「え?」


 チハルは気づいて、はっとした。


「どうしたの?今の話聞いてた?」


「えっ、何?」


「重大な話よ。ビッグニュースよ。一時早太が俳優引退だって」


「ああ、そんな話」


 チハルは興味なさげに答えた。

 人気俳優がどうこうより、チハルはあの前方で集団に混ざらず、一人だけ逆方向を向いて突っ立っている変な人に夢中だ。

 

「あのさ、あそこ(入り口)に立ってる、変な人」


「どれ?」


 ミドリは手で日光をかわしながら目を凝らした。





「あの金髪の子?」


 ダイアは金髪で、髪の長さは腰まで届く。それに顔立ちも中性的で、一見すると男か女か区別がつかない。チハルたちも迷った。


「男?女?」


 迷う二人にアオが冷静につっこむ。


「リボン着けてないから男子でしょ。わが校は男子はネクタイ、女子はリボンって決まってるじゃない」


「なるほど」


ミドリは納得したように手のひらをたたいた。そしてアオに聞く。


「なかなかのイケメンね。あんた知ってる?」


「どれどれ」


 アオにつられて、三人は通路の端で立ち止まった。

 





 アオは懐から手帳を取り出すと、指をペロっと舐め、ぺらぺらとページをめくった。

 ミドリが聞く。


「なにそれ?」


 アオは意気揚々と答える。


「私が調べた。その名もイケメンノートよ。クラスの美男子はもれなくここに載ってるわ」


「入学早々そんなの作ってたの?」


「恋は早い者勝ちなの!」


 アオは書いてある情報を指でなぞりながら読んで、顔をしかめた。


「おかしいわね。金髪っていっても、あんなに髪の長い男子の特徴はどこにもかいてないわ。私のこれは同学年だけだから、まず、先輩ね」


 アオは慣れた手つきで手帳をパタンと閉じて懐にしまった。

 三人は再び歩き出した。

 もうダイアは目の前である。すれ違いざまにアオとミドリは大げさに礼だけをした。しかし、ダイアは二人に目もくれず、チハルだけを見ていた。

 チハルは目を合わせられなかった。不気味な視線を感じながら、足早に下駄箱へ向かった。

 これがチハルとダイアの最初の出会いだったが、あまりにあっけなさすぎる。二人が深くかかわるのは、この後の放課後からだ。

 




 放課後、ダイアはチハルのいるクラスに向かっていた。目当てはチハル他ならない。

 朝、目をつけていたのは、自身のマネージャーを探していたからだ。

 そんなこともつゆ知らず、チハルはアオとミドリのいつもの三人で固まって、これまたいつものように他愛もない話をしていた。

 だが、今日のは少しねばっこい。アオとミドリは朝に見たダイアに興味をもったらしい。それに二人は恋愛を熱望している。

 ミドリが演説者のように手をかざして言う。


「恋バナよ。恋バナ。高校生活に必要なのは恋愛」


 アオが涼しい顔のまま、熱っぽく声を張る。


「残念ですが、うちのクラスにはろくな男がいません!」


「タキミ君なんかどう?……あ、あんたじゃタミキ君がかわいそうか」


「タキミ君には彼女が三人もいます!」


「へぇ、あの真面目なタキミ君がねぇ……」


「別に女を作ろうがそんなのどうでもいいのよ。一体現代の男子は陰湿なのよ。草食通り越して苔食ってるのよ」


「どうして?」


「今どき胸毛が生えてる男子なんていないでしょ」


「まぁ、いないでしょうね……見たことないけど」


 アオはにんまりと笑顔をこぼした。


「でも、一人いたんだなぁ……長嶋クラスが」


「誰よ?」


「チハルが朝見つけた、あの……」


「あの髪の長い金髪美男子ね」


「チハルもお目が高いね」


 アオは肘でチハルにちょっかいをだした。


「あの人は生えてないでしょ」


チハルはカバンの整理を終えて、ようやく口を開き、つっこみを入れた。





「そんなの分からないわよねぇ。実際この目で見なくちゃ」


「方法があるかね」


「体操着を着ていれば、あるいは……」


「それだ!体操着!彼はサッカー部よ」


「なんで知ってるの?」


「今日調べた」


 アオは得意げに言った。そして朝の時のようにまた懐から例のイケメンノートとやらを取り出した。


「どおりで休み時間の時、姿が見えなかったわけだ」


「まったく……」


 チハルは感心を通り越して呆れた。


「では、調査の報告をいたします」


 アオは仰々しくそう唱えてから、ダイアの情報を披露した。


「名前、神宮ダイア。性別は男。2-A。サッカー部。腰まで伸びた長い金髪をなびかせて歩く。あまりに異性にモテるので、うんざりして、あえて女の子のような風貌に変えたという。しかし、その甘美な仕草、華奢な肉体、中性的な顔立ちも相まって、今度は同性からの視線も熱いとか」


「オォ~ホッホ」


 ミドリは手をたたいて、嬉しそうに欲にまみれた奇声をあげた。


「同性からもモテるって、これは捗るね」


「もー不潔だよ」


 チハルは止めに入ったが、ほほを染めているあたり、まんざらでもないらしい。





 すると、噂をすればで、ダイアがチハルのいるクラスにやってきた。

 放課後の空席が目立つ教室にダイアはなんのためらいもなくずかずかと侵入し、窓際で座るチハルたちの前で止まった。

 先ほどまで散々騒いでいたミドリとアオは、いざ目の前に現れたダイアに、慌てふためいて全く動かなくなった。

 ダイアは二人には目もくれず、じっとチハルを見つめていた。


「君が夕都チハルかい?」


 凛とした爽やかな声だった。急に名前を呼ばれたチハルは戸惑う。


「え……なんですか……」


「君、部活はまだだってね。僕はサッカー部で、マネージャーを探してたんだ。なってくれるかい?マネージャーに」


 あまりに急な誘いだった。チハルは返答に困った。頼りにミドリとアオを見たが、二人とも意識不明だ。

 どもっているチハルにしびれを切らしたダイアは腕をひっぱった。


「来たまえ」


 チハルは抵抗しようとしたが、そんな勇気もなく、


「いいから来たまえ」


と、言われるがまま従うしかなかった。

 チハルを連れ去ったダイアが教室を後にする。するとアオとミドリは息を吹き返した。


「入学早々ご指名を受けるとはね……私もはいっとけばよかったなぁ、サッカー部」


「あっ!しまった。チハルは胸毛のこと聞いてくれるかなぁ」


 二人は口惜しそうにぼやいた。




十一


 ダイアはチハルを連れてサッカー部の部室へと向かっていた。

 すると、チハルがダイアの手を振りほどいた。

 

「あの、先輩!実は私、部活とか興味なくて、ましてやマネージャーなんてつとまりません」


 チハルは必死に訴えたが、ダイアは平然としていた。


「サッカー部はマネージャーがもう三人いるんだ。だから君は何もしなくていいよ」


「じゃあ意味ないじゃないですか」


「君はサッカー部じゃない、僕のマネージャーになるんだ」


「ええ!?そんなこと言われても、私なんか役に立たないですよ」


「マネージャーとしての仕事は僕が引き受ける」


「じゃあ私は何をすればいいんですか?」


「マネージャーだよ」


「わけが分からないです……」


「分かってるんだよ」


 ダイアはにこやかに笑って、チハルの肩をポンとたたいた。


「さあ、行こう。まずは部室を見てもらわなくちゃ」




十二


 サッカー部の部室は校舎とは別にあり、サッカー棟と呼ばれる横に長い建物にあった。チハルはてっきりどこかの教室を借りるのかと思っていたから驚いた。


「こんなものまであるんだ……」


「西桜学園は少し前までサッカーの名門校と言われていたんだ」


 ダイアは少し険しい目つきになったが、チハルは気づかなかった。


「さあ、入って」


 チハルは言われるがまま従った。まだ抵抗する手は残っていたが、ここまでくると話だけでも聞くだけ聞こうという気になれた。

 ミーティング室といわれるそこは、椅子と長い机が整列し、大きな黒板、隅っこに大きなテレビがあった。

 二人以外に誰もいない。


「ほかの部員の人は練習してるんですか?」


「今日は休みなんだ。だが、地区予選が始まれば、休みは一日に減らすつもりさ」


 大会は近い。ダイアは並々ならぬ決意で燃えていた。チハルもどこかそれを感じ取った。


「するつもりって、先輩が決めてるんですか?」


「そうさ、僕は胃弱な監督を抱き込んで、2年でチームのキャプテンになった。縁故組が優遇されるこの西桜学園でだ。僕は実力で今の地位を勝ち取った」


 ダイアの語気は強くなっていった。その真剣な眼差し、チハルは恐怖さえ覚えた。




十三


「僕は必ずこの西桜学園をもう一度サッカーの名門校に押し上げてみせる」


 ダイアはチハルの様子をうかがった。チハルは無感動というか、あまりダイアに気乗りしないような表情をしていた。


(なに熱くなってるんだろうこの人は……)


 ダイアはまた口を開いた。ダイアはここでチハルを説得して自分のものにしようと企んでいた。


「君は知らないだろうけど、この西桜学園はもうすぐ廃校になるらしいよ」


「え?」


「もちろん、廃校は君が卒業した後のことだから、僕らには無関係だ」


「そうですか」


「残念ながら西桜学園はなんの取柄もない学校だ。生徒を集めるには魅力がいる。そこでサッカー部だ。かつての名門を復活させ、いちやく有名校にしてみせる」


「すごいですね」


 畳みかけるように話してきたダイアは、ここで決めるという意思で強く言い放った。


「しかし、僕の野望はここで終わらない。僕はスターになる!」


「ええ?」



十四


 ダイアの野望はこうだ。学園の再興など建前に過ぎない。真の目的は自分が再興の象徴として崇められ、人気、地位を手にしようとしていた。

 チハルは開いた口が塞がらないというていだった。しかし、一見突拍子もない意見だと思うが、彼の口ぶりから、この人は周到で鬼のような鋭い戦略を胸に秘めている。そう感じた。

 だが、チハルはまだ納得がいかなかった。


「あの、なぜ私なんですか?私はそこが分からないんです」


「君は平和な目をしている」


「え?」


「世の中のことなんか知ったこっちゃないわよ。と、そう思ってる」


「ま、まぁそうですけど……」


「しかし、現代の人間は皆死に物狂いで生きているんだ。君のような人間は社会に出たら、たちまち淘汰されてしまうよ」


「そ、そんな……」


「僕は君を救ってやりたいと思った。それが君を選んだ理由さ。僕に付き、僕を見ていれば、君は社会勉強になる」




十五


 チハルはムッとした。いい迷惑だと思った。人には人の人生がある。それを彼は押し付けようとしているんだと思った。

 なかなか頷かないチハルにダイアはまだ説明を付け足した。


「就職、僅かばかりの昇給、定年。それでおしまいさ」


「なにがですか?」


「サラリーマン生活がさ」


「それがどうしたんです?」


 ダイアは黒板のほうへふり向いた。そしてチョークで数字の列を書き綴りながら、こう説明した。


「仮に僕が将来、大学を出て23で入社する。65歳まで42年間順調に勤めるとして、年1回の昇給と年2回のボーナス、退職金を加算して、1億6千万円。そこから税金、保険料、僕並びに将来の妻と子供の生活費、これらを引いて残るのは800万円だ」


「はぁ」


「一生働いて、たった800万円だ。ピカキンの週給500万円だってさ」


「う、うん」


「僅かばかりの退職金で会社から放り出されるというのは、65歳で飢えるということなんだ。僕は食べていくためならなんだってする。絶対にスターになる!」


 チハルの心は揺らいだ。この人は私と対照的すぎる。彼についてくることでしか見れない景色を見てみたいと思った、

 こうしてチハルはダイアのマネージャーになった。




十六


 チハルはサッカー部のマネージャーではない。だから、練習には参加しなかった。ダイアの言う通り、何もしなくてよかった。ただ隣りに付いていればいい。でも忙しい。授業が終わればチハルは家に帰る。そして部活が終わる時間になると、ダイアから連絡が来る。たいてい駅前だったり校門の前に呼び出される。これからが、チハルとダイアの時間だ。

 ダイアは学園の宣伝もといサッカー部のキャプテンとして、様々な情報メディアに売り込んだ。取材を受けて、活躍ぶりを雑誌や新聞、ネットに載せてもらう。すべてダイアが一人で取り付けたのだから、その行動力にチハルは驚かされたし、感心した。




十七


 地区予選が始まった。ダイアは自信に満ちた表情を見せていた。ダイアはこの時のために1年生の時から動いていた。中学の試合に積極的に出向き同じ学生という近しい身分を利用して、その目でセンスの光る子をヘッドハンティングしていた。だから、今年の1年生は強いし、ダイアの言うことをよく聞いた。それが新しい風となって、他の部員を刺激し、皆練習に精を出した。

 ただ、一人納得していない人物がいる。胃弱の監督だ。チームはダイアの主導で士気を上げていたが、監督は事態を冷静に見ていて、西桜が優勝するのをあきらめていた。しかし、もう引き返せない。地区予選が始まる前に、学園で会議が開かれた。それは廃校を防ぐためのもので、その手段は名門サッカー部の再興しかなかった。この会議には監督、そしてキャプテンのダイア、チハルもいた。




十八


 会議室には校長、学園のOBや役員など偉い人物が10人ほど集まった。校長は険しい顔をしていたが、他の者はどれもこれまで親のコネでのし上がってきた者ばかりで、表情に緊張感がない。ダイアは彼らを軽蔑のまなざしで見ていた。


「君の後ろにいる子は誰だい?ここは関係者以外、出禁だよ」


「私のマネージャーです」


 室内はたばこの煙でもやもやしている。

 校長は関西弁が強く残っていて、高圧的な人だった。


「ほな、サッカー部の活躍に期待するとして、皆さんの異論はありまへんな」


「ええ、いいですよ」


「他に手がないからね」


「ほな、最後にダイアはんから意見を聞きまひょか」


 聴衆の視線はダイアに向いた。皆ダイアを頼る目で見ている。ダイアは立ち上がり、聴衆の後ろを徘徊しながら声を張って話すと、会議室は彼の独壇場と化した。




十九


「私は西桜の再興を確信しています。そしてその準備をしてきました。しかしそこで一つ懸念すべきことがありました。それは持続可能な学園です。私がいて、私が動いている間はともかく、私が無きあとはこれを維持するものがいません」


「つまりこういうことやろ、ダイア君。君の言っていたスター、君の代わりになるスターがおらんちゅうことか」


「まあ、そうです」


「はぁ、ニューフェイスかぁ」


「そこで私はサッカーの強い名門校を調べ、一つの答えにたどり着きました」


「それは?」


「それは数です。大量の部員を集めそこからスターが出るのを待つのです」


「なんだか宝くじみたいだね」


 役員たちの感触は良好だった。

 するとここで監督が立ち上がった。



「しかし、このやり方はあまりに独善的といいますか、我々はプロデュース事業をやっているのではなくて、このような真似は生徒たちの自由を奪うようで……」


 監督の意見は痛いところを突いてきた。ダイアは心の中で舌打ちし、邪魔者を見る目で見た。

 しかし、役員たちは一笑に付して。


「何言ってんの君、気にしすぎだよ」

と言って、取り合わなかった。


「ほな、決めまひょ」


 校長は机を叩き、ダイアの案を受け入れた。




二十


 地区予選試合当日、チハルはサッカー部のマネージャーではないので、試合は観客席で見ることになる。特にダイアからの指示はない。チハルはてっきりダイアから「僕のプレーを見てくれ」などと言われるかと思ったが、試合は社会勉強には不必要らしい。

 試合は3対0で西桜の圧勝だった。その試合の中心にいたのはまぎれもなくダイア。ミッドフィルダーのポジションで、ボールを鮮やかに左右に散らし、時にはドリブルで相手を抜き去り、時には決定機を作り、この試合で1点を決める活躍ぶりだった。

 ダイアのプレーは確かにすごい。素人のチハルから見てもそう思った。これならプロも目指せるのではと、チハルは聞いた。しかしダイアは自分のような選手は全国にごろごろいると言って、苦い顔をした。

 西桜の快進撃は止まらず、難なく予選を優勝で飾った。

 すると、ダイアのもとに数多くのメディアが押し寄せた。これは大会前のダイアの売り込みが認知度を上げ、人脈を広げていった功もあるだろう。メディアはさも自らが目をつけていた逸材が開花したとばかり持ち上げた。

 これはダイアの思惑通りで、多忙ながらも、取材の一つ一つを快諾していた。


 ある取材ではこう述べた。


「一般にチームの勝利というのは私は嫌いです。負ければチーム全体の責任にするのは責任逃れだ。私は個人が責任あるプレーをすることを心掛けさせている。そうすればチームは引き締まる」


 これは自分の活躍を誇っていると受け取れる。ダイアは存分に自分をアピールし、本当にスターになろうとしていた。そばで見ていたチハルも今や疑いの念はない。この人に付いていける自分が誇らしかった。





二十一


 順風満帆だと思われたダイアだったが、一つ弱点があった。

 サッカー部を優勝させて知名度を上げるという案は、アイデアとしては良かったが、あまりにハイリスクすぎた。それを止める者は胃弱の監督しかいなかったのがダイアにとって不幸だったのかもしれない。全国大会に向けて練習は過密になり、それでもダイアはメディアをはしごした。その姿をそばで見ていたチハルは日に日にダイアがやつれ、目にクマができ、弱弱しくなっているのを感じた。

 ダイアは睡眠薬をよく飲んだ。日中はエナジードリンクが欠かせない。

 チハルと一緒の時、ダイアはエナジードリンクを飲みながら、頭を重たそうにしていた。その様子を見て、チハルが尋ねた。


「いいんですか?睡眠薬とごっちゃに飲んで」


 するとダイアは、


「もう三日寝てないんだ」

と、めずらしく弱音を漏らした。




二十二


 全国大会が始まった。だが、試合前になってダイアは監督に抗議した。というのも、監督はダイアを控えにすると言い出したのである。これにダイアは激高した。


「僕が出て、僕が決めなければ、勝っても意味がない!」


 監督がダイアを控えにしたのは休ませるためであった。表では気丈に振舞っていても、裏ではチハルに弱音をこぼすなど、ダイアの体は限界にきている。時々腹の痛みをこらえることもあった。同じ痛みを知る監督はダイアの不調に気づき、試合に勝つことよりもダイアを守ることを優先した。監督として当然の責務である。

 しかし、試合には学園の存亡が掛かっている。ダイアは必死になって抗議した。もっとも、ダイアにとって学園のことなどはどうでもいい。自分が成り上がるための道具に過ぎない。もはや試合の結果などどうでもよかった。自分がフィールドに立ち、脚光を浴びる。ダイアはそれしか考えられなかった。

 胃は腐っていても相手は監督である。結局ダイアはベンチに入れられた。それどころか、この試合には出させてもらえなかった。試合の結果は、西桜の負け。ここにダイアの目論見は破綻を喫した。




二十三


 大会を終えた彼を、チハルはどんなに悔しがるかと思って見ていたが、案外ダイアは冷静だった。むしろ、大会を優勝するという重圧から解放されてすがすがしさを感じているような様子だった。それでもダイアは薬で朦朧とする頭で次の作戦を日夜考えていた。

 世の中は膨大な情報が目まぐるしく飛び交っている。

 毎日、毎日、次々と新たなスターが生まれる。犯罪者でさえスターになる。ダイアがスターになっていてもなにもおかしくはない。

 しかし、多くは短命で、大抵はすぐに忘れ去られる。ダイアの人気もあっという間に忘れ去られていった。所詮、ダイアは西桜のブランドにあやかっていただけに過ぎない。道具はダイアのほうであった。

 今や誰もダイアを見ようとはしない。



二十四


 戦勝報告の予定だった西桜の会議にダイアは出向かなければならなかった。チハルも同行した。

 校長はご立腹な様子。役員の何人かは出席していなかった。暗く暗鬱な空気が漂う。いやに明るい照明がまぶしかった。

 校長は語気を強めてダイアに言った。


「君の案に我々は全面的に賛成し、君を支援してきた。だからしてや、勝ってもらわんと困んのや!」


 ダイアは厳しい表情をしていた。


「まだです。まだ方法があります」


 ダイアは一度息を整えてから述べた。


「私は今大会で宣伝の重要性を知りました。大衆の意思は思いのままに操れるんです。スターも自在に創り出せるんです。それが宣伝の力です。残念なことにわが校は全国に名を残すことは叶いませんでしたが、これからは視野を縮小し、地元に根差した、地元の駅や学校にポスターを貼る。それしか方法はありません」


「しかし……」

と、ここで監督が厳かに口を開いた。




二十五


「しかし、なんや?」


「しかし……今の彼が言ったことは、あまりに世間知らずで、現代の少子化の時代に学校が減るというのは免れぬことであって、つまり……」


「つまりなんや?」


「つまり……伝統ある我が校の面子を保つためにも、潔く門を閉ざしたほうがよいかと」


 ダイアは声を張り上げて校長に訴えた。


「ちがいます!生徒は増えます!」


 監督はダイアを見て、初めて怒った。穏やかだが、静かな怒りがにじんでいる。


「君は若いよ」


「若い?」


 ダイアも監督を見た。二人は隣同士で見つめ合う形となった。


「君は世の中が自分の思い通りになると思っている。しかもそれが最善だと思い込んでる。傲慢だよ。君は人を軽蔑してるんだ」


「私は現代の可能性を信じているだけです」


 ダイアは毅然と言い返した。




二十六


「あーもうええわ。つまり生徒は増えるんやな?」


「そうです!」


「ちがいます!生徒は増えません!」


 ダイアはいら立ちを抑えられなかった。


「監督!あなたは確かに昔は功績のあった方でしょうが、試合がなければ不要です!邪魔者です!消えたほうがいいんだ!」


「な、なに?君……!」


 監督はひどく興奮すると、激しく咳き込んだ。口にあてたハンカチに何かを吐き出した。それを見ていたチハルはすぐに介抱してそのまま一緒に退出した。その時のチハルがダイアを見る目は疑問に満ちていた。

 静まり返った会議室に校長の声が響いた。


「よろしい!ダイア君、君に任せよう!しかしだ、さっきの宣伝の話はなしや」


「え?」


「金をかけて宣伝をする、これは子供にでもできるわ。金をかけずにやる。そこが君の思案や」


 ダイアは動揺した。


「しかし、校長……!」


「ない袖は振れんのや!」


 校長はそう言い放って、速やかに退出した。ほかの役員たちも続いて席を立つ。すると、一人が笑みを浮かべながらダイアのところへ近づいてきた。


「ダイア君」


「は……?」


「ここだけの話だがね。僕ら君を将来的に役員に推そうとしているんだ」


「はぁ」


「だから君、ここで腕いいところを見せてくれたまえよ」


「はい……」


(役員……悪くない。将来的に権力を握れる)


 ダイアは強い決心をしながら、湧き出た額の汗を拭った。



二十七


 このごろのチハルは浮かない顔をしていた。時折あの会議のダイアの怒号が脳裏に浮かぶ。あんな残酷な光景は初めて見た。あれが社会の現実。自分は生き残れそうにない。

 チハルの相談に乗ったミドリは相変わらず冷静だった。


「仕方ないわよ。それでも私たちは必死に生き抜くしかないのよ」


「自分で自分の首を絞めながらね!」


 チハルは勢いよく机にうつ伏した。


「あんた最近なんか変わったわね」


「変わった?」


 チハルは心外という面持ちでミドリを見た。


「なんか、たくましくなったというか。目つきも鋭くなった気がする」


「私が……?」


 チハルは自分の顔に手を触れた。ダイアに最初、平和な目をしていると言われた。それが今、彼のように自分は変わっていってるのか。




二十八


 ダイアに呼ばれた。会うのは監督と争ったあの会議以来だ。一週間も音信不通だった。その間にダイアが何をしていたのかチハルにはさっぱりわからない。それでもだいぶ体を酷使していたのが彼の疲れた顔から見てとれた。美しかった長い髪もはねて乱れていたり、汗と油がくっ付いて妙な艶があった。

 誰もいない部室の中で二人きり。ダイアは座る間もなく話した。


「前に言った宣伝の話はなしだ。学園はそんな大金は払えないとさ」


「そうですか」


「しかし僕は将来役員の席が約束されている。だから後には引けないんだ」


「しかし方法がありますか?」


「ある」


「それは?」


 するとダイアはチハルを見つめて、じりじりと詰め寄ってきた。


「バズるのさ。注目を集めるんだよ。若い子は何を望んでいるか。君たちの周りで流行っているのはなにか。……恋だよ!キスするのさ。抱くんだよ。カメラの前で!」


 チハルは壁まで追い込まれ、逃げ場がなかった。


「誰が……ですか?」


「君と僕さ」


「え?」


「嫌とは言わせない。これも社会勉強だ!」


「嫌です!」


 ダイアは肩を強く揺さぶった。


「命令だ!お前に拒否権はない!」


 するとダイアは激しく咳き込んだ。口をおさえた手のひらに赤い鮮血が付く。崩れるように座り込む。咳は止まらない。チハルは無我夢中にその場から逃げた。

 



二十九


 部室から出ると日没前の冷涼な空気が肌を触った。夏も終わろうとしている。季節は秋だが今年は暑い日が続いていた。

 サッカー部のいない校庭は静かだった。帰ろうとしている生徒の笑い声が遠くから響いてくる。

 チハルは教室に向かった。無論、帰るためだ。

 廊下で数人とすれ違った。誰もが穏やかな顔をしていた。

 教室には居残っている生徒がいた。隅っこに集まって携帯ゲームをしている。気合の入った声を上げて喜んでいる。

 チハルは夢を見ている気分になった。いや、これが現実だ。今までが夢だったのだ。ダイアと過ごした日々は戦争のようであった。


「なんて平和なんだろう」


 チハルはカバンを手にしたまましばらく考えた。だんだんとダイアに対して怒りのような気持ちが湧いてくる。

 一言、言ってやりたくなった。どうしても怒りが収まらない。

 私は、私だ。一人で戦争ごっこでもしてろ。

 ダイアは部室に居るだろうか。というか、血を吐いたのだ。死んではいないだろうか。もうどうだっていい。いっそとどめを刺しにいってやる。




三十


 日は落ちて、辺りは暗かった。部室に着いても、光が漏れていない。


(ここにはいないのか?)


 扉に手をかけると、鍵は開いていた。

 部屋の奥で卓上電球に淡く照らされているダイアが立っていた。

 チハルが見たのは後ろ姿だけだ。

 気づいていないのか、ダイアは振り向きもせず、何やらねずみ色の服に着替えていた。


「少しきついが、なんとか入りそうだ」


 声の調子は元気を取り戻していた。着ていたのは、猫耳としっぽがが付いた着ぐるみパジャマだった。

 その奇怪な姿を問うのは後回しにして、チハルは声を張り上げた。


「さっきの話ですが……はっきり言います!嫌です!」


 するとダイアは振り向きもせずに言った。


「そんなそっけない返事を待っていたんじゃない!」


 さっき血を吐いたとは思えないほど、声は生気に満ちていた。

 チハルはまだ言い足りない。


「それから、私はあなたのマネージャーを今日限りで辞めさせてもらいます!」


 その言葉はダイアの思わぬところだった。耳を疑うような表情でふり向いた。


「辞める?……どうして?」




三十一


「もうあなたとの戦争ごっこに付き合うのはごめんです!私は私の生き方がある。もっと人間らしい温かい人生を」


「ハハハハハ」


 ダイアはチハルをあざ笑うと、すぐに詰め寄ってきた。


「お前は夢でも見てるのか?ここは日本だぞ。毎日死に物狂いで働く日本だぞ。公務員だってアルバイトだってピカキンみたいに血を吐き、怒鳴り続けなければ生き残れないんだ!」


 ダイアは鬼気迫る形相で唾が付くらい近づき面罵した。ここで気遅れてはいけない。チハルも負け時と立ち向かった。


「違う!監督が言った通りだ。あんたは自分の能力を過信してる。あんたは馬鹿だ。大馬鹿だ!自分を神かなんかだと思ってるんだ!」


「もういい!俺の目が誤っていた。頼りにならん。俺は一人でもやるぞ。絶対にピカキンになるんだ」


「このわからずや!」


 なぐった。


「ぐあっ!」


 チハルの力が強いわけではなかったが、今のダイアに持ちこたえるだけの体力はなかった。

 いうなれば、HPが残り1だった。それが0になったのだ。ダイアは大きく後ろに倒れ、起き上がることはなかった。





三十二


 ダイアが机の上に置いていた小さいスピーカーからチピチピチャパチャパと陽気な音楽が流れていた。チハルにはダイアが何をしようとしていたのか分かった。動かないダイアを見て頭を抱えた。

 このまま見殺しにすれば、彼は本当に壊れてしまう。彼は一人きりだ。彼を直せるのは自分しかいないのではないか。

 机の上に血の付いたタオルが置かれていた。

 もう自分は彼に惑わされることはない。

 それなら別に彼といてもいい。


「あーくそっ!」


 チハルはうなった。決意した。動かないダイアの着ている服を脱がした。ダイアはタンクトップにパンツと下着姿になった。胸毛は生えてなかった。

 チハルもリボンを外し、制服を脱ぎ始めた。不思議と恥ずかしくはなかった。体が燃えるように熱い。

 すると、ダイアが息を吹き返したかのようにゆっくりと体を起こした。立てる体力はないらしい。その場で足を広げながら、ケラケラと気の抜けた笑い声をだした。


「ハハハハ。お前も成長した。俺の、跡継ぎになれるぞ」


「私はあなたのようにはなりませんよ!」


「そうかい。ハハハハハ」



 駅前に人だかりができていた。皆、面白そうに見ている。カメラで撮影してる人もいる。彼らが見ているのは、猫耳をかぶり、西桜のタスキを下げ、スピーカーからチピチピチャパチャパと陽気な音に合わせて踊るチハルの姿だった。


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踏みつぶされる巨人 佐尻 @aom

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