怖いのはお好きですか?

大和田よつあし

怖いのはお好きですか?

 僕は思い付きを実践したくなる癖がある。

 そのひとつがホームの端にある点字ブロック、正式名称は視覚障害者用誘導ブロックの上を、目を閉じて歩くことだ。

 スリルを楽しんでいる理由ではない。視覚がない、その感覚を知りたかったのだ。

 自宅から最寄りの駅のホームの幅は8m程。両側に電車が停車するタイプの小さな駅だ。中央部にはベンチと時刻表そして掲示板。線路とは1メートル程の段差があり、際から1メートル程離れた所に点字ブロックがある。見えれば、ただの黄色の線でしかないが、視覚障害者にとっては危険地帯を分ける生命線だ。実際、目を閉じて歩けば、二、三歩外れると線路に落ちることを知っているから余計に怖い。

 又、視覚を閉ざすと、他の器官、具体的には聴覚が鋭敏になる。話し声、風の音、そして、自分の息と足音。音の強弱で大雑把な位置が分かるのも、普段意識していない音の不思議な感覚である。逆に無音であると、途端に大きな空間に放り出された感覚に陥る。在るのは凸凹した足裏の感覚だけだ。

 一歩ごとに方向感覚が狂っていく。

 如何に視覚に頼って、現在位置を把握していたのかが分かるというものだ。見えないということは、そこに無いに等しい。だからこそ、不意に空気が動いたり、足音が聞こえたりすると過剰に反応してしまう。触れて、ぶつかって、初めてあると知るのは怖ろしいのだ。

 精々、十歩。それ以上は何らかの理由で目を開けてしまう。

 暗闇から解放されて、心の底からの安心感を得られる。


 前置きはここまでだ。

 視える者にとって、『視えない』は想像以上に負担となる。視力によって存在するものを把握できないことは、確実な安全を確信できないからだ。

 そのことを踏まえた上で、一般的ではない体験してきた話をしようと思う。

 そう、幽霊の話だ。

 苦手な方はここでお別れしよう。

 又、スピリチュアルなものも、あまり期待に添えないと思う。スピリチュアルで語られている世界観に違和感を覚えているからだ。

 私にとって霊の世界は、もっと合理的なものとして捉えている。

 理屈っぽい語りが好きな人は、お付き合い頂きたい。


 同じものが見えない、同じ音や声が聴こえない、同じものに触れられない、人間の基本の器官で把握できないものを共有するのは難しい。

 では、そんなものはあり得ない、又は非科学的だと言って良いのだろうか。答えは否である。

 科学とは、見えないものを推察し、検証し、証明してきた方法論だからだ。それに実際に目で見えないものは、そこら中に有り触れている事実もある。

 例えば、呼吸する空気、身体を構成する細胞、どこにでもいる細菌やウイルス、物質を構成する分子や原子、光ならば紫外線、X線、知識として存在は知っているが、目で確認するには観察専用の道具を使う必要がある。

 人間の外界を知覚する器官は、生物として生存する為のものであって、世界を観察する為のものではないからだ。

 だからこそ、現象が報告されているのに、確認する方法の分からない存在を、全否定するのは、寧ろ非科学的思考と断言できる。

 とはいえ、実証されていないものを、『ある』と言い切るのは無理があるので、ここでは『ある』を前提で話を進めたい。


 幽霊とは長い付き合いである。

 私は高校に入学した頃から、金縛りに苦しめられてきた。そして、その全てが聴覚、触覚を伴った霊現象込みである。

 だが、残念ながらその姿は視たことはない。どうも、視る能力は皆無らしい。臭覚は程々。男女の息の違いは分かるが、腐敗臭など強烈な匂いは嗅いだことはない。

 感覚的には腕を自由に動かしていた。触って判断したり、時には抵抗したりしている、と思っていたのだが、女房曰く、私が金縛り中に腕は動いていないという。腕だけ霊体になっていたのか……この辺はよく分からない。

 私は物語やTVに出て来るような霊能力者ではない。格好良く除霊なんてしたこともないし、霊体験の全ては、ベッドで寝ている状態の金縛りによるものだ。そんな程度の小者である。

 

 学生時代は、大人になれば金縛りなんてなくなると、何かの本に書いてあった言葉を信じていたが、二十歳過ぎても、三十歳過ぎても、更に言えば結婚しても、子供が生まれても、普通に金縛りにあってきた。

 最初の頃はびびっていたけれど、人間とは慣れるもので、今では恐怖を感じることもなく、冷静に対処するようになった。寧ろ、安眠を邪魔することに、怒りの感情が沸くことすらある。

 殆どの場合、彼らとは会話が成り立たないし、精神を病んだ人特有の距離の詰め方をしてくる。顔に息が掛かる程近づいてきて(視えないが荒い息は感じる)、唸ったり、奇声をあげたりと、とても落ち着かないかまってちゃんなのだ。幸いなことに私は首を絞められる様な暴力的な経験はないが(女房はある)、こちらの言葉は全く聴いてくれない。

 本当に何もしてあげられないのだ。

 相手をしていても埒が明かないので、しつこい時は外に出て、玄関前と肩に塩をまく簡単な対処法でお終い。これでお帰り願う。(塩なんか効かないという人もいるので、私の場合は、と注記しておく)

 たったこれだけで、金縛りはなくなるのだ。彼らの多くは、こんな簡単な方法でも、近づく術を知らないのだと思う。

 視えてはいないが、玄関の前で、ぽつんと立ち竦む姿を想像することがある。


 会話が成り立ったことも僅かながらある。

 初めては、忘れもしない、高校一年生の時のこと。そして、それは私の黒歴史でもある。

 ほぼ毎日、金縛りになっていた私は、間違った天命を受け取ってしまったのだ。

 修行すれば霊能力者になれるんじゃね……と。

 関連する本(漫画を含む)を読み漁り、水風呂に入ったり、写経は投げ出したが厨二病丸出しで、霊能力者になる為のいろんな修行っぽいことをやっていたのだ。

 そして、金縛り中の会話を試してみたこともあった。


 金縛り中…………

 自室のベッドで寝ている状態。意識ははっきりとしているが、身体は硬直して動かない。


『幽霊さん、お話ししませんか。何かして欲しいことはありませんか』(念話を試してみる)


『!』


 小さく息を呑む。

 こういう動作は視えなくても不思議と分かる。


『……………………何処へ行けばいい』


キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!


 会話は成功です。

 声が若い。同学年くらいの男の子だろうか。


『今、どんな風に見えているの?』


『…………真っ暗……ここが……見えた』


 所々、聴き取れないところもあったけど、会話が成立していることに有頂天だった。

 これはもう霊能力なのでは……まであった。


『光とか明るいものが見えない?』


 しばらく沈黙した後、彼は簡潔に答える。


『……………………ある』


 あるんだ。

 それが天国の入口かどうかの確信はなかった。

 漫画の知識に、似たシチュエーションがあったことを思い出して聞いたまでだ。


『それだ。そこに飛び込め!!』


 あるなら、それが答えだ。

 確信がなくても、ここは断言しなければと、本能が伝えていた。怒って、取り憑かれたら厄介と思ったのだ。


『……………………』


 朗らかに疑っている。

 こういう空気も何故かよく分かる。


『……………………わかった』


 ここに居ても埒が明かないと思ったのか、意外と素直に聞き入れた。


『絶対に躊躇するな。すぐに飛び込め』


 こちらは必死である。確信は無いが、苦笑いをしていただろう。

 そして彼は立ち去り、金縛りが解けたのだった。


 実体験である。

 真偽の程は信じて貰うしかないが、常識的に男の寝室へ入り込んで、会話だけしていく奴はいないだろう。

 ここで重要なのは、『何処に行けばいい』『暗い』の二点だ。金縛りにあったのは夜中だったので、文字通り暗かったのかも知れないが、それならば、何故、私が見えたのか。何故、自分の居場所が分からないのか。

 彼らの多くは暗闇の中で、特定のもの以外、知覚できないまま生きていると考えると矛盾がない。幽霊なんだから暗闇にいるのは当たり前だろうと考えがちではあるが、検証する姿勢は大事だと思う。

 そもそも実在するなら、ファンタジー生物でない限り、彼らは物理の原則に従っていないとおかしい。即ち、存在のエネルギーをどのように確保しているかだ。

 我々生物は、大なり小なり、捕食することで肉体(存在)のエネルギーを得ている。では、肉体のない彼らは何のエネルギーを得ているのだろうか。霊が我々の、肉体の死後の存在ならば、生前の残存エネルギー量が全てとなる。仮にエネルギー体だとして、確保する方法がなければ萎んでいく一方であり、今度こそ完全なる消滅となる。

 だが、彼の話では、私を見つけ、そして、光が見えた。それはエネルギーを感知できるということだ。これは想像だが、彼と私は年齢、性別、その他の共通点があり、存在の特定がしやすかったのではなかろうか。現象の報告例としての、所謂、取り憑かれるとは、エネルギー確保の一例ではないかと考えられる。

 他に仮説を上げるならば、守護霊の存在だ。

 漫画家のつのだじろう先生が世に広めた、身内を護ってくれる、ありがたいご先祖さまの霊のことである。

 想像して欲しい。もし自分が大往生して、病院か自宅で死んだ時、最も近くで、最も共通点が多く、最も共感できる人は誰だろうか。

 それは家族だろう。取り憑くことが、霊として生き続けられる条件ならば、最も簡単な方法は、身内に取り憑くのが最短だと思う。

 更に付け加えるならば、元々自分に憑いていた守護霊は、みんなで一緒にお引っ越しと考えられる。

 それならば、取り憑いた身内が、生き長らえるように護る行動は、合理的ともいえるだろう。

 そういった意味でも、家族だけでなく、多くの人が集まる葬式には、大事な意味があるのではないだろうか。

 そうなると新たな疑問が湧いてくる。

 会話にならない言動をしてくる幽霊だ。これも想像でしかないのだが、家族を含む人との関係を断って孤独死をした場合、現場にとても入り込めないような場所での自死、運悪く海外旅行での事件や事故死等、すぐに会いに行けない状況ではどうなるのか。

 彼の言葉通りならば、当てもなく歩き出す者がいてもおかしくない。日々、暗闇で命が削れていく中、やっと見つけても、ほとんどの人に認識されず、場合によっては守護霊に弾かれ、又、放浪する。そんな生活は一年と保たずに精神が病むだろう。少なくとも、私が出会ったほとんどの金縛り霊たちは、既にまともな行動を取ってなかった。

 そんな彼らの末路も、後に知ってしまうことになる。

 

 お馬鹿な霊能者の修練は、ある日を境に、ぴったりとやめてしまった。なんと色情霊と出会ったのである。

 よく男子高校生は発情したサルに例えられるが、私も例に漏れず、三次元でも二次元でもなく、次元レスの幽霊と爛れたエッチな生活に溺れたのだった。

 この時は視えていないことがプラスに働いた。美醜や年齢が分からないのだ。いつだって、想像上の最高の美人を夢想できたのだ。動けない私の身体をまさぐり、甘く耳を噛んだり、発情した息をかける。チェリーなボーイの私を優しくリードし、身体の上に跨る。確実に搾取されていたあり余る生気(エネルギー)を代償に、毎晩エッチなリビドーを解消する生活を送っていたのだ。気分はちょっとしたジゴロである。

 だからバチが当たったのだろう。

 ある日、オカマの霊に襲われた。詳細に語るなら、菊の門を硬い◯◯◯で執拗にねじ込まれそうになったのだ。この時は視えていないことがマイナスに働いた。触った感じでは女かオカマかわからなかったのは不幸であった。だって、大きな胸があったんだよ。

 嘘のような本当の話である。

 幽霊になったのなら、自分を偽る必要がないのだから、オカマの霊になっていても何らおかしくない、という当たり前の事実に気づけなかったのだ。

 その日からオカマの霊が毎晩来るようになった。

 精神世界のバトルでは、怖がることよりも、菊の門を守り抜くという、絶対負けられない、ど根性を鍛える嵌めになったのである。

 闘いは永きに渡って繰り広げられ、未だに決着は付いていない。

 

 成人になって就職もしたが、辞めてパチプロだった頃もある。昔のパチンコは大当たりすると、16Rが2回確定と、とってもイージーモードだったのだ。毎日、二〜五万円稼いで、宵越しの金を残さずに、食ったり飲んだり奢ったりと、とにかく金遣いが荒かった。

 この時期の金縛り霊は、とにかく人でないものが多かった。正確にはぶよぶよした肉塊に、顔や腕や足がばらばらに複数付いたものだ。会話は当然の如く通じない。とにかく気持ちが悪く、ひたすらくっついて来るのだ。私の顔は肉塊に埋まる程、押し付けられ、擦り付けてくる。匂いはなかったが、触った感じから腐っている肉塊であろう。この時ほど視えなくて良かったと思ったことはない。そして、こんな肉塊霊が来るのは、生活が荒れているからだと守護霊さまのガチ説教もあり、心の底から反省した。

 パチプロは辞めて、普通の小さい会社に就職した。絶対無理だと思っていた結婚もできた。

 そんなこんなで、忙しい毎日を送っていたら、肉塊霊は出なくなっていた。

 こんな気持ち悪いものが、真人間になる切っ掛けだと思うと微妙な気持ちになるが、大概のことには動じなくなった気がする。


 幽霊は幽霊を視ることができるのだろうか。

 明確な回答は持ち合わせていないのだが、出会った肉塊霊が一つの答えになると思う。

 当時は分からなかったが、あれは共喰いした結果ではないかと、今では考えている。当てもなく浮遊し、精神が病んでしまった霊は、最終的にどうなるのか。霊に飢餓状態があるかは不明だが、生者も霊も区別なく襲うのではないか。

 人には肉体という器があるが、幽霊にはない。お互いを喰い合うというより、混ざり合うが、感覚的にしっくりくる。

 出会った幽霊たちを触った感じでは、人間の性別の違いが分かるくらいには、身体を維持していた。精神を病んでいてもそこは同じだ。

 だが、肉塊霊はひとの部品の集合体でしかない。数も位置もめちゃくちゃだ。腐敗しているとしか考えられないぶよぶよした感触は、個々の人だった意識が、希薄になった結果なのかも知れない。

 心の底からアレにはなりたくないと思う。

 

 ここまで書いたことは、しょぼい霊体験による考察でしかない。私としてはフィクションではないと断言するが、証明する方法は今のところない。検証例としても、全く足りないし頼りないが、脚色のないものとなると、自分の体験以外は省くしかない。

 ここでは詳しく書かなかったが、彼岸に連れて行かれそうになった話や、女房の出産入院の時に出会った水子の霊たち、神社の御使様を怒らした話などは割愛します。

 彼らは霊体であっても、とても人間的であった。

 感情や理知を感じることも少なくない。因みに天国の入口を感じたことはない。今ではあることさえ疑っている。これについては、死後の世界は、そんなに都合良く、優しいものでないと考えている。

 私に分かることは、どうやら肉体が死んだ後にロスタイムがあるということだ。

 その時間を有効に使うには、生前の行いによって左右されるということだろう。強い繋がりがあれば、道に迷わないで、心残りの行く末くらいは見届けられそうだ。

 そのくらいの優しさは、死後の世界にもあるのかも知れない。

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