第6話 デートのち、すれ違い、そして告白

「デートっぽいこと、したいなあ」


 LINEでの苺果のその発言が発端だった。


 十月に入っても、東京はまだ暑い日が続いている。

 これから先、地球温暖化が進んだら、季節は夏と冬に二分割されてしまう予想が立っているのも、かなり信憑性が高い。


 第一週の土曜日、日差しの強い午後のこと。


 透夜はそんなことを考えながら、テラス席で苺果とお茶をしていた。透夜はアイスコーヒー、苺果はなんとかフラペチーノ。透夜のアイスコーヒーのグラスの中で氷が「からん」と音を立てて揺れる。


 ここでお茶をすることになったのは、突発的な苺果の提案によるもので、デートといってもこれからするのはウィンドウショッピングくらい。取り立てて用事はない。


 苺果は今日も大きめなリボンが目立つピンク色の服で、腕の傷を隠すためか暑そうな長袖。透夜はグレーのシャツだ。


「でねー、その友達がさー……」


 苺果は楽しそうに友達の話をする。透夜は黙ってうんうん聞いている。というのも、透夜には友達がいないので話すことなどなにもないのだ。

 小学生のときから友達はできたことがない。なぜなのか自分では理由がわからないが透夜はずっとひとりぼっちだった。それらの経験が強い孤独感の所以ゆえんでもあった。


「苺果が羨ましい」


 話が途切れたとき、透夜はそう感想を述べた。


「お兄ちゃん、友達0人なんだっけ? でもいいじゃん。今は苺果がいるから。世の中には彼女ができなくて嘆いてる人もいるんだよ」


「人の不幸と比べても仕方ない」


「そーだけどー」


 ちゅーっと苺果はフラペチーノを吸い上げる。

 そうしているうちに思考が切り替わったのか、苺果の表情が好奇心がありありと感じられるものへと切り替わる。


「そうだ、そうだ、これ飲み終わったら、お洋服を見に行こう。苺果の好きなブランドから新作が出てるってXで見た!」


「好きなだけどうぞ」


「わーい」


 喜ぶやいなや、フラペチーノを飲み干して、急とも思える速度で席を立った。透夜も苺果についていくため、急いでコーヒーを飲み切り、立ち上がった。



 苺果のお気に入りブランドは百貨店に入っている。人混みを搔き分けるようにして歩き、十分ほど。目的の店に着いた。店頭には今流行している地雷系ファッションを着た女性のマネキンが飾られていて、そういう系統のファッションブランドであることが知れた。


 苺果はさっそく、商品の服をあれでもないこれでもないと比較していた。


「ねーどっちがいいと思う?」


 苺果は黒いレースのついたゴスロリちっくなワンピースと、薄紫の肩口にフリルのついたシャツを手に取り、身体の上にあててみせた。

 透夜の目から見ても苺果は大変な美少女なので、なんでも着こなせてしまうように感じるが、たしかに色が違うと受ける印象が違う。


「……たまには白もいいんじゃない」


「えー? 白? 白は苺果のキャラじゃないって! でもお兄ちゃんて、白好きそうだよね」


「白、好きだよ。明るくて清潔なイメージがあるのが好きだから」


「女の子の下着とかも白好きそー」


「謂れのない誹謗中傷を受けている気分だ」


「ともかく試着してくるね! 試着室の前に椅子があるからそこで待ってて、お兄ちゃん」


 苺果は試着室に消えた。少々高めなブランドということもあってか、試着室のカーテンも厚く優雅に波打ち、試着室の前に置かれている椅子も革張りで重厚感があって、お金をかけているように見える。

 一人では絶対に来ない店なので、物珍しく思いながら、透夜は椅子に座った。


「お兄ちゃん、お兄ちゃん!」


 少しして、苺果に呼ばれた。


「なに」


 試着室を隔てるカーテンの前まで行くと、隙間から手を引っ張られて、中に連れ込まれてしまった。


 試着室の中なんて未知だ。下には円形の茶色のカーペットが敷いてあり、壁際には脱いだ衣服を入れるためのかごと、フェイスカバーの箱。上のほうにはハンガーをかける突起。

 大きな鏡に映っているのは、黒いレースのワンピースを着ていたずらっぽい笑みを浮かべる苺果と、驚いている透夜。


「どう? 似合ってる?」


 目を丸くしていた透夜だが、すぐに落ち着きを取り戻す。


「似合ってるよ」


「そう? じゃ、買っちゃおうかな」


 くすくすと苺果は笑うと、ワンピースのボタンを外して、胸元を露出させた。


「え!?」


「黒いのは嫌い?」


 苺果の胸元を彩っているのは、繊細なレースの模様が浮かんだ黒いブラジャーだった。たゆんたゆんという表現が似合いそうな胸、その谷間を見せつけられている。


 視線を外すことができない。


 硬直したまま、急に試着室の外が気になった。明るい音楽のBGMと、お客さんの話し声がぼそぼそと聞こえてくる。


「外に人いるんだよ? いきなりなにしてんの……」


「緊張してるのが丸わかりでかわいいよ、お兄ちゃん♡」


 胸を露出させたまま、苺果は透夜の顎を支えると、唇に軽くキスを落とした。一瞬のことで、感触もなにもわからなかった。ただ柔らかいものが唇に触れた。それだけ。


 なんだ、なにが起きてるんだ。


 そんなことされたのは初めてで、透夜は今度こそ思考停止してしまった。


「着替えるから出てってー!」と苺果に押し出されてからも、透夜はぼうっとしていた。唇に指先で触れる。


 キスしちゃったんだ。




「やー買った買った~」


 大きなショップバックを揺らして、苺果は満足げにそう言った。あれから黒のワンピース以外にも、ピンクのシャツなども購入したのだが、金額が凄まじかった。

 レジで横に立っていた透夜は唖然としてしまった。

 さすが苺果。さすが地雷系。いつもGUやユニクロなどで済ませている透夜とは、服にかけるお金が文字通り桁違いだ。


「お兄ちゃんは明日、仕事? 苺果は明日、収録だからね。聴きに来てもいいんだよ」


「んー……明日は休みだけど、多分、行かないよ」


 苺果と近くなるのが、嬉しくて、でも少し怖い。

 最後に離れるとき、自分が壊れてしまうような気がする。


「そう……」


 苺果は残念そうだったが、それ以上言うことはなかった。


「じゃあ、苺果はこっちだから。ばいばい、お兄ちゃん。またね」


「ばいばい」


 電車が別だったのでホームで別れた。

 そのときは元気そうに見えた。



 次の日、サカナお姉さんからメッセージが届いた。十三時くらいのことだった。


 サカナ:苺果が過呼吸で倒れたって。スタジオ来れる?


 透夜:行きます


 スタジオの住所を送ってもらって、透夜はGoogleMapでそこへ向かった。

 着いた先は、予想していたより小さなスタジオだった。スタッフが数人いるが、透夜は名前を告げただけで通してもらえた。

 スタジオに置かれたパイプ椅子に苺果は青い顔をして座っていた。恰好は昨日買ったばかりの黒いワンピース。隣にはサカナお姉さんが立って、苺果の頭を撫でている。


 やってきた透夜に苺果が気づいて、顔をあげる。恨めし気に、眉間にしわが寄り、目に力こもっている。


「なんで……」


 苺果の口が動く。


「なんで、サカナちゃんが呼んだら来るの? 苺果が来てって言ったときは来ないって言ったのに」


「具合が悪いって聞いたから心配して」


「苺果は来てって頼んでない!」


 苺果が急に立ち上がって、透夜の横をすり抜けて出て行った。

 サカナお姉さんの指示を仰ぐまでもなかった。彼女がどういう顔をしているかも気にならなかった。苺果のことしか、透夜は眼中になかった。


「待て、苺果!」


 咄嗟とっさの判断で、透夜は苺果を追いかけた。


 スタジオを出て、右へ。道端を走る苺果の背を追いかける。苺果の走る速度はすぐに緩くなり、ほんの数分もしないうちに立ち止まり、膝に手をついた。


 透夜はすぐに追いつく。


「倒れたんだから、無理しないほうがいい」


 苺果は荒く息をしながら、髪の隙間から透夜を睨んだ。


「浮気してるくせに、なんで追いかけてきたの」


「浮気なんかしてない」


「だっていつもサカナちゃんに言われて、苺果のこと見に来てるんでしょ? サカナちゃんとつながってるのもむかつく!! それに本当は苺果のことなんてどうでもいいんでしょ!?」


「どうでもよくない」


「じゃあなんでサカナちゃんに言われないと、苺果のこと気にしてくれないの?」


「……誤解がある。苺果がSOSを出してくれたら、一番に助けに行くよ」


「……本当? 苺果のこと、どうでもいいって思ってない?」


 苺果が睨むのをやめて立ち上がる。


 透夜は慎重に、想いを口にした。


「どうでもいいとは思ってない。これから知りたいと思ってる」


「構ってくれる人は貴重だから?」


「構ってくれる人は貴重だから」


「それって自分のことしか考えてないじゃん」


「そうかもしれないけど……でも。特別な人を作ったことがないから、わかんないだけで、特別にしたいとは思ってる。……僕に勉強をさせてくれ」


 これが透夜の限界だった。苺果は本気で透夜のことを好きなわけではないと、常日頃から感じていた。「お兄ちゃん」と呼んでいるから、きっと亡くなった兄と透夜を重ねているだけだ――飽きたら透夜は捨てられてしまう。


 自身を弄ぶ相手苺果に、心を捧げる価値はあるのか――?


 ある、と透夜は思う。


 〝構ってくれる人は貴重だから。〟

 透夜にとって構ってくれる人は、大切な人なのだ。


 いつか捨てられてしまうとしても、一時でも愛されたいし、相手を愛したい。


「……わかった」


 透夜の心情や思考を苺果がすべて把握できるわけがない。ただそれでも透夜の言葉から感じ取ったものはあったのか、苺果は少し納得したふうだった。


「あのね、お兄ちゃん。ちゃんと、恋人になろ?」


「……ちゃんと?」


「苺果もお兄ちゃんを頼りたい。お兄ちゃんも苺果を頼って」


 苺果が近づいてくる。この間のキスが頭の中でよぎって、少し焦る。

 ここは道端で、歩いている人だって結構いる。さすがにここでするのは恥ずかしい。

 内心で混乱する透夜をよそに、そばに来た苺果は透夜の手をぎゅっと握った。


「帰ろ? 一応心配して来てくれたんだよね? ありがとう」


「あ、うぅ、うん……」


「え、なにその反応……? もしかして、きっすでも期待してた?」


 苺果は唇の端を指で吊り上げて、強調する。


「……そんなことないよ」


「そんなことあ・る・く・せ・に♡」


 苺果は急にくねっと動いて、透夜に抱き着いた。

 そして頬に「チュー♡」を、苺果が甘さの滲んだ声で強調しながらされた。


「勘弁してくれ」


「うれしいくせに」


 透夜から離れても苺果は嬉しそうに軽快に動く。テンションが高い子供そのものの動き。


「大好きだよ、お兄ちゃん」


「うん、僕も……大好きだよ、苺果」


「ありがとう」


 道端で愛を伝えあう。苺果は輝くような笑顔で、透夜はぎこちない笑みで、でも心は多分一部は通じ合っていた。

 

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2024年12月19日 17:05

【真】自殺未遂して地雷系彼女と結婚することになった話【改稿版】 凪紗夜 @toumeinagisa

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