(後編)車窓を覆う闇、打ち払う閃光

 きっぷも何にもないし、次の駅は大きな街だから、お金だけ払ってそこで降りて戻ってこようと私は思った。とりあえず、お母さんに連絡だけはしておこうとスマホを見たけど、よりによってもうバッテリーがない。

「ハロウィン列車に乗ったら発車しちゃった、遅くなるかも」

 とだけメッセージを送ったら、そこで電源が落ちた。


 デジカメを持ってきたのは我ながら正解だった。スマホが駄目でも、撮影はできる。

 ところが、レンズを窓の向こうに向けた私は、おかしなことに気づいてしまった。電車の周囲があまりに真っ暗すぎる。そりゃ田舎だし、きらびやかな夜景なんてものはどこにもないけれど、それにしたって道沿いの街灯とかドラッグストアの看板くらいは見えるはずなのだ。なのにこの窓の外は、漆黒の真っ暗だった。


「ヒヒヒヒヒ。気づいて、しまったのですね」

 突然、背後から声がした。そこには、あの魔女コス車掌さんが立っていた。今たしかに「ヒヒヒ」と言った。JRの人でも、そんな笑い方するんだ。

「この列車こそ、真のハロウィン・トレイン。光の国ライト・セクション闇の国ダーク・セクションの境目、死電区間デッド・セクションを越えて走る、死霊の区間快速セミラピッド・オブ・デッド。当列車はすでに闇の国に乗り入れておりますから、窓の外が漆黒ラッカー・ブラックなのも当たり前なのよ」

 ルビだらけの彼女のセリフを聞いて、すごいと私は息を飲んだ。そんな設定を再現するために、窓の外を真っ暗にするなんてことまでやったんだ。JRか役場かどっちが頑張ったのかは知らないけど。


「もうあなたは、元の世界には帰れない。でも、闇の世界も慣れればそんなに悪くないものよ。電気代もかからないし、ね……」

 うまいこと言ったでしょ、という感じの得意げな顔で、車掌さんは「ヒヒヒ」とまた笑った。

 気づけば、周囲のお客さんはみんな超リアルなドロドロのゾンビとかミイラに姿を変えている。そして、カボチャのジャックやコウモリ、オバケたちはぼんやりと光を放ちながら宙に浮かび上がっていた。普通に制服で乗ってるのは私だけで、ちょっとくらいはコスプレの準備でもしてくればよかったと激しく後悔する。頭につけるツノくらいなら、百均で買ったやつがあるのに。


「……あなた、なかなか勇気があるじゃない。この状況にも全く動じないなんて、大したものだわ」

 魔女コス車掌さんはそう言ってくれるが、内心では結構動じている私。

 とにかく、この状況を記念にちゃんと撮っておかないと、とデジカメのレンズを車内に向ける。ところが、私は重大なミスをしていた。フラッシュの発光禁止設定が、いつの間にか解除されてしまっていたのだ。


 シャッターを押したその瞬間、グルーム電光ライトニングが走った。

「ぐわあああ、目が、目が」

 車掌さんが目を押さえて絶叫する。そりゃ、こんな暗い中で、まともにフラッシュくらえば当たり前だ。


「うわー、ごめんなさい!」

 大失敗をしでかしてしまった。私は土下座しそうな勢いで頭を下げる。

「のわー」

「ひゃあー」

 どこか呑気な声を上げて、ゾンビやミイラ、ガイコツその他のハロウィンオールスターズも身もだえている。そして一人、また一人と光る霧に姿を変えて、闇の中へと消えて行った。この演出の元ネタはなんだろうか。


「お、お客様……闇の世界でフラッシュのご使用は……お控え下さい……」

 息も絶え絶えにそう言い残して、魔女車掌さんもまた霧散し、姿を消してしまった。次の瞬間、車窓から無数の光りが飛び込んでくる。漆黒の演出は終わったらしい。

 それにしても、県道沿いの街灯ってこんなに明るいんだね、と目もくらむような外の光に目を細めた次の瞬間、私は押し寄せる光の波に飲み込まれた。


 気づくと私は再び、シートの背もたれにもたれて座っていた。いつの間にか電車は止まっている。電気も消えたままで、窓から射しこむ光で車内はぼんやりと明るかった。

 さっきまでは気づかなかったけど、床もシートも埃だらけだったみたいで、私は思わず激しく咳込んだ。窓の外を見ると、並んだホームの向こうに見覚えのある駅舎があった。JRの駅名標には、「鎌切川駅」という文字が並んでいる。


「もう、帰ってきちゃったんだ……」

 淋しさがこみ上げてくるのを感じながら、私はつぶやいた。周りには誰もいなくて、みんな先に降りてしまったみたいだった。

 少しだけ開いたドアの隙間からホームに降りて気づいたが、私の乗っていた電車はボロボロのサビだらけで、さっきまであんなに元気に走っていたのが嘘のようだった。足元のコンクリートにもあちこち大きなひびが入ったりしていて、点字ブロックの黄色い線もはがれてしまっている。ここは、もう使われていないはずの昔のホームらしかった。

 臨時列車だからこんなところに停めたんだね、と納得しながらレールのない枕木の上を横切って、私は駅舎へ戻る。改札口を出て振り返ると、白い蛍光灯に照らされたホームは淋しげに静まり返って、なかなかやって来ない次の列車をじっと待っているようだった。


 家に着くと、

「あんた、遅くまでどこに行ってたのよ。ハロウィン列車って一体なに?」

 と心配顔のお母さんに言われて、こっちが心配になってしまった。教えてくれたのはお母さんのほうなのに、こんな大ボケで大丈夫なのだろうか。

 ほら、役場の新聞に載ってたあれじゃない、とあの広報誌を探したけれど、なぜかどこにも見当たらない。ちゃんとクリアファイルに入れて、部屋に置いてあったはずなのに。


 それならとデジカメの写真を見せようとしたけれど、なんてことか、メモリーカードエラーと言われてしまった。古いデジカメだから仕方ないけれど、これには私もガッカリした。あの楽しいひとときが、どこにも残っていないということになってしまう。すごく淋しかった。

 でも、と私はベッドの中で気を取り直す。私の思い出の中に、あのハロウィン・トレインの夜はちゃんと残っている。それで十分だ。


 JRか役場かわからないけれど、また来年もあの楽しいイベントをやってくれればいいな。そう思いながら、父が遺したお気に入りのデジカメを枕元に置いて、私は眠りにつく。周りでこわごわと遠巻きに見守る闇の住人たちの姿に、気づくこともなしに。

(おわり)

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ハロウィン・トレインの不思議な夜(全2話) 天野橋立 @hashidateamano

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