[逃亡]
どうやって仕事をこなしたか記憶も曖昧なほどの重い心身状態で社を出たところで京太は、ちょうど外から帰社をした脩一に出くわした。
「お疲れ」
気だるい声で言い無表情で通り過ぎようとする京太を脩一は少し戸惑ったように引き留めた。
「おいおい何だよ、そっけないなぁ」
「・・・・」
「なぁ、ちょっと話さないか? 俺なりにまた考えたことがあるんだよ」
「いや・・・・今日は疲れたから帰るよ」
「そうか、じゃ明日にするか」
「ああ、悪いけどそうしてくれ。今日はもう頭が回らない」
「それもそうだろうな・・・・わかった、なら明日な。お疲れ」
「ああ、お疲れ」
どんよりとした表情のうつむき加減で京太は歩き出した。
すると一瞬の間のあと脩一が再び声を掛けた。
「なあ」
「?」
振り向く京太。
「家に帰って玄関に入ってもし元に戻ったら──」
「え?」
「いや、有り得るだろう? 俺のスーパーの件だって自然と戻ったんだし。だからこれから帰って意外とすんなり、って可能性はあるんじゃないか?」
「!」
京太は自身の疲弊しきった脳がその単純な発想に至らなかったことにハッとした。
「そう、か・・・・そうだな」
「ああ、だからもしそうなったら元の世界の俺とまた上手くやってくれよ。な?」
「元の世界、か・・・・」
今いる側の世界線にズレたのは不可抗力。
京太自身にはどうしようもない何らかの作用によって、いわば放り込まれた形だ。
となればまた同じようなことが起きる可能性は十分にある。
京太はこの事態にほんの少し希望が見えた気がした。
「悪い、引き留めちゃったな。じゃ、お疲れ。気を付けて帰れよ」
そう言うと脩一は社内へと戻って行った。
***
駅への道すがら、京太は歩きながら周辺の風景を見回した。
特に変化したところは無く、立ち並ぶビルや店舗も見慣れたものばかりでもう元の世界に何気なく戻れたのではないかと感じるほどに"普通"だった。
が、その"普通"は駅の構内に入る寸前に背後から掛けられた声で瞬時に"普通に
「何で帰っちゃうんですか?」
「え?」
驚いて振り向く京太。
背後にいたのは"例のメモ"の柳本美和子だった。
「そんな驚かなくたって。え、まさかすっぽかすつもりですか? 何で?」
「な、何でって・・・・」
さっきの脩一の言葉で少しだけ上向いた気持ちが一気に揺さぶられ、京太はみっともなく動揺をあらわにした。
と同時に、元の世界での柳本美和子と姿形は同じにも関わらずその言動のあまりの違いに恐怖すら感じるものがあった。
すると美和子はおもむろに京太の耳元に顔を近づけ、小声で耳打ちをした。
「逃げたら・・・・奥さんに言いますよ?」
「!?」
少しハスキーな声のその囁きは思わず身震いするほどに恐ろしい響きを放っていた。
「ちょっ、ちょっと・・・・ごめんっ」
気がつくと京太は美和子を振り払い駆け出していた。
そして駅前ロータリーに停車中のタクシーに飛び込むように乗り込んだ。
「と、とりあえず出てくれ。ここを出たら行き先を言うから」
焦りを隠せない口調で運転手にそう告げ、京太は縮こまるように座席に身を沈めた。
まるで逃亡する犯罪者にでもなったかのような気分に
(な、何なんだよ、あの女。俺も何やってるんだよ、一体どういうことになってるんだよ!)
考えても答えの出ない疑問の渦に京太の脳内は混乱が極まった。
そしてふいに蘇る経理の砂川弓子の言葉。
『柳本さんとのお付き合いはやめた方がいいわ、恐いことになる前に』
(恐いことって何だよ。どうすりゃいいんだよ)
頭を抱え、京太はさらにシートに深く沈み込んだ。
ズレる 真観谷百乱 @mamiyan
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