モノ ト ヌクモリ

空月

物と温もり




 暗い路地だった。

 地面に花を置き、手を合わせる。

 がやがやとした喧騒が聞こえてくるそこが、友人の死体が発見された現場だった。


 中学で知り合い、就職してからも連絡を取り、約束をしては会うような間柄の友人だった。

 女性ばかりを狙った連続殺人、の被害者の一人として目されているらしい。

 現場検証も終わって、封鎖も解かれたそこに、凄惨な空気はない。

 当たり前だ。殺害現場はここじゃない。別のところで殺されて、ここに運ばれたというのだから。


 その連続殺人の特徴は、女性ばかりが被害者であること。

 死後間もなくして子宮を含む腹部を掻き切られ、抉られていること。


 死因に一貫性はないという。現在判明している死因には、毒殺も、絞殺も、刺殺もあるそうだ。


 ――……友人は、心臓を一突きだった。



 立ち上がり、現場に背を向ける。


 友人とは、彼女の足取りが不明になった日、食事に行く予定だった。

 帰宅後、彼女の家から少し離れているこの街まで来たところまでは確認されているらしい。

 約束の時間になっても現れず、連絡もつかず。

 彼女は家族とも疎遠で、親しい人間の数も多くなく、彼女の家は少し遠方で、安否を知る術がなかった。

 事故にでも遭ったのではないかと心配する日々を送っていたら――ニュースで凶報を知ったのだった。

 



「――ねぇ、おねえさん」


 声とともに、視界に人が飛び込んできた。

 成人女性の平均身長より少し低い私よりいくらか目線は上の、けれど未成熟な骨格が見て取れる少年だった。派手ではないが、整った顔をしている。


「さっき、あそこの……人が見つかったところに、お花を供えていたよね? おともだち?」


 捉えようによっては無遠慮な質問だった。しかし、少年の雰囲気のせいだろうか、嫌な心地はしなかったので、肯定する。

 「友達だったか」と過去形で訊かれなかったのもよかった。まだその形容を受け止められる気持ちの整理はついていない。


「そっか……。あの、違う人だったらごめんなさいなんだけど。あそこで見つかったおねえさんと、会う約束をしていた人?」


 ……どうしてそんなことを問うのだろう。疑念が顔に浮かんだのか、少年は慌てたように言葉を続けた。


「ぼく、あそこで見つかったおねえさんと、話をしたんだ。別れたあとに、おねえさんが落としたものを見つけて――でもおねえさんが見つけられなくて、届けられなくて。ぼく、その……あんまり警察とか行きたくなくて。これから会う人に渡すんだって話してくれたから、もしあなたがその相手だったらいいと思って……」


 少年と、彼女が?

 彼女の足取りが途絶えた場所はわかっていない。しかし私と会う予定の場所に来る前に少年と会っていたということだろうか?


「ぼく、たまにこの辺りをぶらぶらしてるんだ。あの日も、あんまり目立たないようにこの辺りにいたんだけど、おねえさんは時間が経っても同じ通りにいるぼくが、目に留まったみたいで……」


 彼女はお人好しだった。あまり家庭環境に恵まれず、家に寄りつかないようにしていた時期もあった。

 少年の口ぶりからは、それに近いものを感じる。そういうものを感じ取ったのかもしれない。


「寒い日だったからかな。よかったら、ってココアとコーヒーを持ってきてくれて。ぼくはココアをもらって、おねえさんがコーヒーを飲んで……その間、ちょっとだけ話をしてくれて」


 お節介な行動だ。けれど彼女ならありえる。そういう人だった。


「その……ぼく、家に帰りたくないから、外にいたんだけど。家の人は、とかそういうのは全然聞かれなくて、これから友達とご飯を食べに行くんだ、とか、今でも友達でいてくれてるお礼にサプライズプレゼントするんだ、とか、そういう話を聞かせてくれて」


 ……彼女の考えそうなことではある。ことあるごとにプレゼントを贈るのが好きな人だった。

 家族にプレゼントというものをもらったことがないから、自分は誰かを好きな気持ちとか、感謝の気持ちとかを、わかりやすいものにして渡すのが好きなんだと言っていた。小さい頃の憧れの昇華という面も、少なからずあったのだろう。

 それに合わせたわけではないが、私も記念日などにはプレゼントを贈るようにしていた。あまりそういうのが向いていない性質なのを知っているので、彼女は「無理しなくてもいいんだよ」と笑っていたけれど、無い頭を絞って選ぶようにしていた。


「うっかり落としちゃって、紙袋の端が潰れちゃったって笑ってた。でも友達だから、許してくれるだろうって。……だから、それがおねえさんが落としたものだってわかったんだけど」


 少年が小さな紙袋を差し出す。確かに端が少し潰れているそれは、彼女が「ここのやつかわいいと思うんだけど、どう?」なんて話していたアクセサリーショップのものだった。


「こっそりお揃いにしちゃった、って。「いかにも!」っていうやつは友達が嫌がっちゃうから、悩んだんだよって笑ってた」


 ……高校の頃だろうか。女子の間で『お揃い』が流行ったことがあった。

 でも私はそういう、誰が見ても『お揃い』とわかるものを身に着けるのが苦手で、彼女が少し羨ましそうにしているのに気付いていたけど、「ああいうのちょっと苦手」と予防線を張ったのだった。

 それを、覚えていたのだろうか。


 ああ、そういえば、アクセサリーショップの話をした時も、どういうモチーフなら身に着けるかとか、対になるようなデザインはどう思うかとか、探られていたような気がする。贈ることが好きな彼女が好みを聞いてくるのはいつものことだったので、世間話のようなつもりであまり気にしていなかったけれど。


 私に、だったのだろうか。


 少年に促され、紙袋を手に取る。ちらりと見えた中身に、メッセージカードが挟まっていた。

 半ば無意識に抜き取り、開く。


 宛名には私の名前。『大好きな親友へ。これからも仲良くしてね』という手書きのメッセージの下に、見慣れた彼女の、悪乗りで作ったサインが書いてあった。


 視界が歪む。目頭が熱くなる。

 彼女はあの日、これを渡してくれるつもりだったのだ。

 紙一枚を持つ冷えた指にあたたかさを感じた気がした。……それはただの、錯覚だったのだろうけど。


「……やっぱり、おねえさんにだったんだね。よかった。――やさしいひとだよ、って言ってたから、きっとそうだと思った」


 そうだった、少年が目の前にいたのだった。大人げなく泣く様を見せてはみっともない――




 ――衝撃。


 痺れるような、殴られたような。


 視界が暗くなる。少年の腕が抱き留めるように回された気がした。


「やさしいひとはいいね。あたたかくて。あたたかいひとの近くには、あたたかいひとがいる。ぼく、そういうひとがだいすき。……家族って、おかあさんって、あたたかいものだって言うけど、ぼく、ずっとわからなかった。でも、『ぼくを殴らないようにした』おかあさんは――おかあさんの体は、あたたかかった。いいなって思ったんだ。あたたかいのって、いいなって。だから、あたたかいひとはすきだよ。女の人の体はやわらかくて、あたたかくて――おなかの中も、とってもあたたかい。おねえさんも、おともだちに花を供えに来るくらいだもんね。あのやさしい人が、だいすきだったくらいだもんね。とってもあたたかいんだろうなぁ……」


 何かを囁かれている。でも理解できない。意識が闇に沈む。


 その後のことは、何もわからない。


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