第4話 変人≒信念

「狭いですけど」

「気にしないよ」


 いつの間には掴んでいたはずの腕は手に変わっていて、初めての恋人つなぎを体験した。指の隙間すきまからも体温を感じて、変な汗をかいて、でもさっきの出来事のせいで動揺しているだけだと自分に言い訳をして、なんとか心を落ち着かせようとした。


 同じ布団で身を寄せ合って眠るなんてのは久々の事だった。

 狭い一人の用の布団で、気遣きづかって背を向ける俺を後ろから抱き着くように。彼女は腹側まで腕を伸ばして密着してきた。


 顔さえ見なければ、彼女は普通の女子と何ら変わりなかった。


「……寒いですか?」

「ううん。暑い」

「なら退いてくださいよ」

「……きみは優しいよ。今、この布団を破っても、きっと呆れながらも許してくれるんだよね」

「許しませんよ。もう冬間近なのに、寒いじゃないですか」


 彼女は笑っているのか肩を震わせただけで、何も言わなかった。


 ぴったりと背中に額をくっつけて、しばらくすれば規則的な寝息が聞こえて来ていた。

 なかなか寝付けなかった。寝返りも上手く打てなくて体が固まってしまって。


 だから目を覚ました時、あおけだったことに驚いた。






「先輩?」


 起きると先輩は布団の中にいなかった。


「トイレですか?」


 トイレのドアをノックするが返事はない。開けても姿はなかった。

 一般的な1K。探すところなんてほぼない。


 布団がかれたままの部屋に戻ると、机の上に驚くほどの量のばねが置いてあった。きっと先輩がボールペンから抜き取ったやつらだ。


 嫌な予感しかしなかった。


 俺は外に出て、いろんなところを探した。

 電話番号も知らなかったから、足だけが頼りだった。

 急に消えた。それがきっかけで、彼女の存在の大きさに俺はいやでも気づかされた。下手なコミュニケーションは心地いいものだったのだ。


 今日、大学は休校日だった。彼女が行きそうな場所なんて、そう多くない。


「先輩! からかってないで出てきてください」


 絶対いないってわかっていても、木の上でさえもしっかり確認した。もしかしたら奇行の一環で隠れているかもしれないと思った。


 でも、居なかった。

 最後にたどり着いたのはカメラを投げ捨てられたあの橋の上。

 疲れた足を引きずりながら橋の中央を目指す。

 ごうごう、と水流すいりゅうの音が俺の背中を押す。今日は川の流れがやけに早かった。


 俺は目に一瞬写ったものに驚いて、浅いタイルにつまづいた。


 見覚えのないヒールが一足、乱雑に置かれている。足の内側部分が歩き方の癖のせいでこすれていた。

 昨日、彼女はどんな靴を履いていた?

 あの格好であれば、こんな靴を履いていてもおかしくない。


「先輩!」


 そのヒールの中にはバネが一つだけ、入っていた。

 橋から身を乗り出す。













 何も、見えなかった。














 彼女は、誰かの大切なものをうばってきた。

 ボールペンにとってのバネ。食堂にとってのスプーン。俺にとってのカメラ。

 出来心で衝動的なものだと思っていたけれど、思い返しながらリストアップすればそうだとやっと気づいた。

 きっとあの日、綺麗な先輩を迎えに行ったから、彼女は飛んだのだろう。俺にとっての大切なものに、彼女が加わったから。


 彼女の笑顔に似た黄色の花束を抱える。

 橋を渡るとき、妙に慎重になるようになった。橋の中央まで足を進めると、彼女の集めていたバネの一つを花束に滑り込ませる。


「先輩」


 飛んだ時、彼女はどんな気持ちだったのだろう。

 黄色の花でいっぱいの花束を未知の端に置こうとして、手を止めた。あの日、投げられてしまった奪われたカメラをふと思い出す。


「好きです。ずっと好きでした。そしてこれからも」


 黄色の花束を大きく振りかぶる。

 花束は綺麗な軌道を描いて川に落ちた。軽いから沈まない。ぷかぷかと浮いて、波に流される。







「好きです、先輩」







 俺が大好きなカメラを忘れなかったみたいに。


 大切なものをまたあなたに奪われないように。

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俺のカメラを投げたのは。 千田伊織 @seit0kutak0

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