無自覚ぐいぐい文ちゃんと、押しに弱い詩織お姉さん

音愛トオル

無自覚ぐいぐい文ちゃんと、押しに弱い詩織お姉さん

丸山文まるやまあやは偶然なるものを恨んだ。


「お、丸山じゃないか。今日は部活は休み?」


 本当は部活の日だが、以前顧問の都合で活動日がずれたことがあり、その埋め合わせで休みになっている。文は校門で話しかけてきた担任にそう説明した。

 この担任とは恐らくほかのクラスメイトよりも密接にかかわっている――文が学級委員だからだ。もっともそれは誰も手を挙げないあの空気に耐えかねてしぶしぶやっているだけ。

 担任の篠原しのはらはそうと知っており、真面目に委員をしている文を何かと気にかけてくれている。


「そうか。いつも丸山には世話になっているから……お、あったあった。本当は妹に上げるつもりだったんだけど、これ、貰って」

「え、篠原先生ってお姉さんだったんですか?」

「あれ?言ってなかったっけ。今年大学生になったばかりの妹がいてね。今朝私の書類を間違えて持って行ったのに今気づいたらしくて慌てて連絡してきて」


 なるほど。

 生活指導でもない篠原が校門に立っていたのはそれが理由か。

 文は篠原からこじゃれた包に入った洋菓子を貰い、軽く礼を言ってから篠原を上目遣いに見やる。文は、どうも年上という存在が――いや、というよりも年上と接するときの空気感がどうにも苦手だった。なんというか、萎縮するし敬語も気になってしまうし。

 篠原に対しては好感を抱いているが、出来れば一秒でも早くこの場を去りたかった(せっかくの休みでもある)。だが篠原はそんな文の気持ちを知ってか知らずか、


「……丸山、委員大変じゃないか?」

「え?学級委員、ですか」

「うん。丸山に任せる形になってしまったからさ」

「それに関しては気にしてないですよ。私が手を挙げたんですし。それに――お菓子ももらえましたから」

「……はは、そっか。じゃあ今度また何かあげよう。好きなスイーツとかある?」


 生徒との距離感を保ちながらこうしてフレンドリーに接するのは中々骨が折れるんじゃないだろうか、と。文は内心、私は折りまくってるけど、と溜息をついた。

 ただ今日は、まあ、おいしそうなお菓子に免じて世間話に付き合ってもいいかな、と考えていた時にふと気が付いた。


(ああ、篠原先生妹さんがいるから。扱いに慣れてるのかな)


 今年大学生1年生というと、高校2年の自分と比べて――と、文は簡単に計算した。だいたい、文とは1、2歳の年の差だ。


――なるほどね。


「あ、ねーちゃん!」

「……お、来た。ほら、あれが妹」


 篠原が示した方向には、こちらに向かって声の勢いほどには急いでいるように見えない不思議な歩き方の人影がひとつ。薄く茶色に染めた髪にウェーブをかけて両肩から胸元に降ろした髪型は、とても1歳や2歳しか違わないだけとは思えないほど大人びて見える。

 ジーンズをハイウエストで着こなし、シンプルなブラウスと合わせているその見た目は年齢を聞いていなければ少なくとも10歳は年上だと思ったことだろう。


「はぇ……」


 文は自分の中学生の頃から変えていないポニーテールをくしくしと触りながら、ほんの少し年上のお姉さんへの憧れを感じた。そんなお姉さんオーラ溢れる妹さんは篠原の前までやってくると肩掛けのシンプルなベージュのトートバッグの中から、ファイルに大事そうに入れてある書類を取り出した。

 文はなんとなく書類から目を背け、その流れでこの場を後にしようと小声で「それじゃ……」と言い、言ってから、「え……」すぐに立ち止まる。


「はい、ねーちゃん。ねーちゃんが紛らわしいところに置いておくからだよ」

「ごめんって。大事な書類はちゃんと管理してるんだけどなぁ……」

「ん。ほら、なんかないの?労いとか」

「あー……ごめん、ちょっと取って来る。あ、丸山。気にしないで食べていいからね。私はこの子のぶんのお菓子職員室から取って来るから。また明日ね」


 何か、頭上でもごもごと聞こえた気がしたが、文の耳には入っていなかった。

 妹さんのバッグからぶら下がるキャラクターのキーホルダー。

 それは知名度の割にグッズが売れないことで有名なキャラクターで――こんなにも愛おしいのにどうして周りは誰も買わないのだろうか!?――かくいう文のスクールバッグにも、全く同じものがついている。

 文にとって初めての、それは、同好の士かもしれなくて。


「あー、なんかごめんね?ねーちゃんのクラスの子かな。あ、そのお菓子……なるほど、だいたい分かった。調子乗ってあたしに上げるやつ渡しちゃったんだな」

「あっ、えっと、その……すみません」


 文はけれど、妹さん相手に恐縮して、「それ!私も大好きなんです!」とは言えず、何に対してかの謝罪かもわからないのにとりあえず頭を下げていた。

 歓喜と自己嫌悪と面倒さとの間で揺れる振り子が次に向かうべき場所を見失ったかのようだ。


「全然気にしないで!それ、もちろん食べていいんだからね!あ、あたしはねーちゃんの妹で、篠原詩織しおり。ねーちゃんになんかされてない?もしあったらなんでも言っ――」

「……?」


 そこで言葉を切った妹さんこと詩織は、全身をわなわなと震わせ、一歩、一歩とゆっくり文に近づいて来た。何事かと身構える文は、がしっ、と両肩を掴まれ、「ひぅ!?」安寧の終わりを悟ったが、見上げた先にある詩織の表情を見て気づいた。

 その、大切な何かを見つけた時の目の輝きを。


「え、君も好きなのこの子!?あたし、あの、あたし!初めて会ったんだけど!やばー!」


 詩織は文の両手を掴んでぴょんぴょんとその場で軽く飛び跳ねると、そのままの勢いで続けた。


「名前!なんていうの?」

「あっ、えと、文です……丸山文」

「文ちゃんね!えー、嬉しいんだけど!」


 感情のままに喜びを身体で表現する詩織はさっきまでお姉さんに見えていたのに、年相応のあどけなさを感じさせて、ふいに文はどきりとした。胸が少し苦しくなるような、顔が少し熱くなるような。

 私も嬉しいです、と返そうと口を開きかけた文は、肩に腕を回され、半ば抱きかかえられてしまった。困惑のままなんとか首を回して詩織を見ると、スマホを操作しているところだった。


「よし。ねーちゃんに連絡もしたし。文ちゃん!ねーちゃん来る前にさ、逃げちゃおっか!そんでさ、これから一緒にお茶なんてどうかな!?」

「え!?あ、あの――はっ、はいぃぃ……」


 結局文は「私も」の一言を言い出せないまま、詩織に手を引かれて学校を後にするのだった。



※※※



 想像の中の自分は詩織と意気投合して話に花を咲かせているというのに。


「……文ちゃん。なんか、ごめんね?」

「え?」


 詩織に連れてこられたカフェ。文の頼んだ紅茶はすっかり冷めてしまっていた――ほとんど減らないまま。

 一方の詩織は、ちょうど熱弁を終えた手のひらのグッズを大切にバッグに仕舞ったあと、ティースプーンを掻きまわしながら目を伏せた――もう中身など残っていないのに。


「この子のグッズ持ってるから、好きなんだと思ってさ」


 好きです、本当は。


「だからあたし、舞い上がって……本当は、嫌だった?」


 嫌なんかじゃないです。


「――ごめんね」

「……です」

「どうかした?」


 文は掠れて言葉がぎこちなくなって、慌てて紅茶を口に含んだ。反射的に喉を叩く熱さに身構えたが、ああ、もう紅茶はとっくに冷たい。

 いきなり嚥下したからか痛む喉を押さえつつ、文はゆるく頭を振った。ついで思い切って、最後に目をつむって、そして、


「嫌なんかじゃ、ないです!」

「――ほんと?」

「は、はいっ。あ、あの、私――年上の人と話すのが、苦手で。いきなりだったからびっくりしたのはありますけど、それよりも年上の人に好きなキャラのこととか、うまく話せる気がしなくて」

「……うん」

「ほんとに、嬉しかったんです。私、初めてで。この子が好きな人に会うの。だから、だから――私、うまく話せないかもしれないけど、もっとお姉さんのお話、聞きたいです」


 ぽつりぽつりと、今まで形を成せなかった言葉たちが溢れてくる。詩織の顔は見れないけれど、気まずさや緊張を押しのけて、文は精一杯を紡いだ。

 言葉が2人の間に落ち、しばしの沈黙が痛くなってきたころ、肩に温かいものが触れた。詩織だ。詩織が、そっと文の肩を撫でている。


「こんなに、緊張させちゃってたんだね。ごめんね、文ちゃん。あたし、好きなことになると周りが見えなくなってさ……しかも、この子じゃん?今まで話が合う人がいなくてさ。すっごく、すっごく嬉しくって」

「――詩織お姉さん。私もです」

「えへへ、そっか。なんか、あたしたち方向性は違うけど似てる感じしない?」

「ぜ、全然似てないですよ!詩織お姉さん、お姉さんみたいでとっても素敵で――あ」


 詩織が言いたかったのは内面的なことだっただろう。

 だが文は反射的にそう答えていて、それを聞いた詩織が照れくさそうに頬を搔くのを見て冷静さを取り戻した。


「文ちゃんも、髪、すっごい綺麗。手入れとか頑張ってるんだね」

「えっ!?あ、あの……あ、ありがとうございます……」


 たった1つか2つしか年齢の違わない詩織に、文はたじろいでばかりだった。詩織が時折見せる、頬杖をついて目を細める微笑みが、ひどく魅力的に見えた。

 もっと、もっと撫でたりして欲しい。


 その瞬間、文はある事実に気が付いた。


(違う。私……!?じゃないかも。もしかして、私、しちゃった……!?)


「――文ちゃん?」

「はひっ」


 声、甘くとろける耳触り。

 文は確信した。詩織が初めて文を見たときのあのキラキラした目。笑い声。お姉さんかと思えば、年相応のまだまだ子どもらしい一面があるところ。リードしてくれるところ。優しいところ。失礼なこと(せっかく誘ってくれたのにほとんど黙っていた)をしても怒らないし。

 何よりも、その声。

 胸に響いて、すっと心を掴んでくるその声。


「詩織お姉さん」

「どうしたの?」


 文はなかばうわごとのように、言った。


「私、詩織お姉さんに一目惚れしちゃいました」

「うんうん――え!?」


 文は自分の気持ちの整理に集中していて、詩織の狼狽に気が付いていない。詩織は自分が頼んだローズティーよりも赤く熱い頬をして、指揮棒でも振っているみたいにティースプーンを彷徨わせていた。

 文の無自覚な告白は続いた。


「詩織お姉さんすっごい綺麗だし大人っぽくて、なのに笑った顔は子どもっぽかったりするしかと思えばかっこいい笑顔も見せるし。声とかもすごく素敵だし……好き……」

「あああああ文ちゃん!?ええええと、その、あーあー、な、なーんか、あはっ、えー!?な、なはーっ」


 詩織は縮こまって、足の間に片手を挟み、もう片方の手で襟足をぽりぽりと掻いた。「照れるね」と繰り返していたが残念ながら文には届いていない。

 いない、ものの、文はぼんやりと視界に映った詩織を見て、そういえば話しかけられていたな、と思い出した。恋に気づいたせいで今、文と詩織の境界線は日付変更線の様相を呈していた――その時間差が。


「詩織さん」

「はひっ」

「どうか、しましたか?」

「は、はぇ……文ちゃん、強すぎ……」


 耳まで真っ赤な詩織。嚙み合わない会話。

 お姉さんはどこへやら、落ち着きのなくなった詩織をまじまじと見つめた(なんか目が合わない)文は、ばっ、と口を両手で押さえた。

 

――ここでようやく、文は今までの言葉が全て声に出ていたと気づいたのである。


「……聞こえてました?」


 くぐもった声。


「全部、聞いちゃった……」


 上ずった声。


「じ、じゃあ、私がこんなに緊張してるのはお姉さんが年上だからじゃなくて一目惚れしてどきどきしてるからかもってやつは!?」

「――っ!も、もうやめてぇ……」

「あっ」


 詩織はとうとうショルダーバッグで顔を隠し、ううう、とか細い声を上げ、つま先でとんとんとん、と床を連打し始めた。一瞬、また失礼を働いてしまったかと焦った文だったが、真っ赤な耳を見るに照れているだけだろう。

 そう判断した文は、もう一度冷たい紅茶で唇を湿らせて、言い放つ。


「私の気持ち、嫌じゃないみたいで嬉しいです」

「ひうっ!」


 もはや詩織は声を発することもできず、数秒後、ぷるぷると震える腕だけがショルダーバッグかたまりの奥から伸びてきた。その手にはスマホが握られていて、画面にはSNSのプロフィール。

 聞かずとも、意図は明確だった。


「……友達、登録したいんですか?」

「う、うん。あ、あたしね。こ、この子の推し友だちは、初めてで……も、もしよ、よかったら……うぅ、なんで文ちゃんそんなに平然としてるの!」

「平然となんてしてませんよ。好きな人が目の前にいるんですから」

「ひゅん!」

「でも、嬉しいです。私も、友達登録――お姉さんと。沢山お話しできますね」


 指先まで赤くなってきた詩織の指を、文はつまんでみた。ぴくん、と身体が跳ねた。可愛かったから、スマホごと手を握った。「んっ」濁点のついた声が聞こえてきた。

 初めての気持ちと、同好の士と、友達と。

 嬉しかったから、早速登録した文は詩織あてにメッセージ替わりのスタンプを送った。


「これからよろしくお願いしますね、詩織お姉さん」


 たぶん、詩織と会ってから初めて自然にこぼれた文の笑み。

 その手の中で、文から送ったハートマークを抱きしめた例のキャラクターのスタンプの後にしばらく経ってから投げキッスをする例のキャラクターのスタンプが返って来る。


「あ!このスタンプ、せっかく可愛いのに使う機会がなかったんですよねっ。これからは毎日使えますねっ」

「うっ」



――夏休み前、2人は夏のデートの計画を練るために再びこのカフェを訪れるのだが、それはまた別のお話。


「お泊りとか、したいですね。ね、詩織お姉さん?」

「あ、文ちゃん!?」


 遠くない未来、文はあの時の偶然に感謝するようになるけれど、それもまだ、先の話である。

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