その言葉は熱を持つ
泉
その言葉は熱を持つ
黄昏時である。
西には、茜色の水を滲ませており、公園の遊具を煌めかさせる。
遊びに傾倒する子どもたちは、懐かしいメロディによって帰路を急かされる。
現状への不満と未来への希望を、表情に携えながら。
残されたのは、こがれることを待つブランコ。
そこに、座るは中学生くらいの年齢と思しき少年。
ため息の先、爪先をじっと見つめている。
「どうしたと言うのだ、少年よ。ため息などついて」
少年は眉根の間に谷をつくり、声の先を見上げる。
「まだ絶望で終わらせるには、早いぞ。うん、早すぎるな」
大人数が収容される講堂で話すが如くの音量。さらには、お酒でうがいをしたかのような声。少年は、耳障りが悪く眉を顰める。
声の先に嫌々ながら視線を登らせる。
土で薄汚れたよれよれの靴があり、所々破れや糸屑のついたジーンズのズボン、そして黄ばんだタンクトップ。
顔は堀が深く、端正な顔立ちに白髭を蓄えている。
不思議なことに、異臭が、まったくしない。
「だれだよ。あんた」
「ふひっ」
「ん?」
「ふはっ、ふははははっはっはははははは。はっ。初対面の人間に向かい、あんた呼ばわりとはな!なかなかにどうして、センスの良い教育を受けてきたようであるな。重畳重畳」
少年は怪訝という言葉を、表情に過剰表現する。
しかし、咄嗟に出た、敬いとは反対の言葉について、真面目さゆえに反省をする。
付け加えるならば、不審者に対しての警戒の度合いも増し、不出来な敬語が加速していく。
「先ほどは失礼しました。では、改めて、急に何ですか?」
「性急ではないのだが。ん?はっ、そうか!君にとっては急な場面として映り込んでいるのか。いやはや。それは、申し訳ないことだ」
頭頂部を少年へと向ける。すぐに向き直す。
「少年よ。君についてはだな、一方的に、排他的に、わがままに、少し前から見かけて気にかけていたのだ。この公園で」
男は、ねっとり笑う。
少年の肌は、鶏の肌になる。
「うわっ、変態だ!」
「おっと、変態などではないぞ」
「では、変質者?」
「でもないな」
「もうそれなら、不審者に違いない」
「でもない。いい加減この問答を終わりにしたいので、あるが」
「それなら、一体何者なんですか!」
「おお。それなら、結論だ」
不詳の男は、得意げに人差し指を天空に指す。
「とどのつまり、応援するもの。だよ」
「応援する、もの?」
「ああ」
「意味が全くもって、わかりません」
「それは君が今こうしている間も、分かろうとしていないだけだろう。君が思っているよりも、世界は広く深く、狭く浅いものだ」
「いや、どっちなんですか」
「まあ、つまりはだな。影の中から付け狙い、今か今かと虎視眈々にもほどがあるぞと叫ばれるくらいに感覚を研ぎ澄まして、君との接触を待望としていた。そんな存在だ」
「逃げてもいいですか?」
「失敬。気持ちが溢れてしまった。勘違いさせてしまった。これは、本当にすまない」
狼狽する男。
少年は、近くの交番の道順をぼんやり想起する。
男は、咳をする。
「まあ。面倒くさい言葉を並べはしてみたが、思いは一つさ」
男は、人差し指を少年へと向ける。
「目の前に、未来の光が悩んでいるのだよ。それは、励ましたくなるものさ。大人としてね」
不審な初老の男は笑う。肩までかかる乱長髪からは、ふけが舞う。ひら、ひらり。
人間生活に馴染もうとする仙人が、現実世界に降りたとしたのなら、きっと、このような姿として現れるのかもしれないなと、錯覚する。
「お言葉ですが、見ず知らずの人から励まされるほどの悩みは持ち合わせておりません」
「そうかねえ。私には、君が今にでも潰れて消えそうに見えるのだけれども」
「それは、あなたの勝手な解釈だ。大人は勝手な解釈を子どもに押し付ける。僕は辛くなんてないです」
「揚げ足を取るようになって申し訳ない。今しがた君は、辛いと言葉で発したね。私は一言も、辛いとは言っていないのだよ。ただ、潰れそうであると」
「同じ意味、じゃないですか」
「それなら、そうかもしれない。それが君の解釈ならね」
「・・・そうですよ」
「しかしながら、だ」
「な、何ですか」
「言葉はな。鏡の特徴を有していることをおぼて欲しい」
「また、何を」
「君が述べた辛いとは、君自身が周りからこう見られているだろうなと思っていることさ。つまり、君という存在がどのような状況に置かれているのか、客観的視点から君自ら説明しているのだよ」
「それは」
奥歯を強く噛む。
少年は、拳を固めて、視線を落とす。
「そうなのかも、知れません」
「うむ。素直で大変よろしいな」
不審な男は、柔和な笑みをたくわえる。
少年は、バツが悪そうに視線を上げない。
数秒の沈黙が流れる。
沈黙を壊したのも、やはり男であった。
「少年よ。辛い時ほど、この言葉を思い出してほしい。今日はそれを伝えにきた」
男は、夕日に目を細める。
「勇気だ」
先程までと打って変わって、男の真剣な眼差しに緊張を覚える。
「勇、気?」
「そうだ。勇気以外のことはとりあえず、今のところいらない。とにかく、勇気だ少年よ」
少年は、妙な貫禄と思いもしない言葉に瞳が吸い寄せられていることに気づいた。
男性は、背を向け、コツコツと下駄を鳴らして、いつしか消えて行く。
「何だよ。勇気って」
ブランコの鎖を強く握りしめる。
翌日、翌々日、翌翌々日、初老の男は、ブランコに座る僕に話しかけてきた。ただ、話と言っても、出会い頭に、「辛い時こそ、勇気だぞ!」という言葉だけを残すだけであった。白昼夢か幻かと思った少年であったが、「勇気」という言葉だけは、少年の頭にカーンと撃ち響くのであった。何度も、何度も。
そして、いつしかその男の言葉を待っている自分がいることに、少年は驚いていた。
しかし、翌翌々日の次の日、来たのはあの男ではなかった。
少年をいじめる、にきび顔の同級生であった。
「よお。何してんだよ。こんなところでよう」
少年は、声をかけられ、心拍数が跳ね上がり、呼吸がしづらくなる。学校での記憶がよみがえり、吐き気をもよおす。
気色の悪い薄ら笑みからは、次はどのように痛ぶろうかというドロドロの悪意が伝わるようで、身体が膠着する。
脂汗が額に滲む。
ヒュー、フー、ヒュー、フー。
乾燥した呼吸音が口から漏れ出る。
「ここ最近、ガッコウ来てなかったからさあ。寂しくてたまらなかったんだぞう。この野郎が!」
右足のつま先が、少年の鳩尾を捉える。
息。止まる。
同級生は、目尻を歪ませ、口角をひん曲げる。滲む、悪意。
「っ!ゴホッ、ゴホゴホッ!」
「あっはははははははは。楽しいなあ。やっぱ、これだよなあ。これこれ。久しぶりに、スッキリしたぜえ」
身体を湾曲させて汚く笑うにきび顔は、これ以上の愉悦がないほどの笑い声をあげる。
笑い声は、乾いている。
「おいっ。来いよっ。明日絶対来いっ。じゃなきゃ、後でどうなるかわかってるよなあ?お前、殺すからな」
僕の歪む表情を見て、満足したのか、踵を返す。大股で、愉快を身体全体で表すかのように。
いつもと同じなのか。何も、できないのか。
瞬間だった。
『少年!勇気だ!』
あの言葉が、頭の中で、叫び出す。
はっきりと明瞭に、明らかに、穿つように、聞こえる。それは、背中を押す手の形となる。
感触が、温度が滲む。
次の瞬間、ふわりと音を立てて、身体はブランコから離れていた。
いじめの首謀者は、こちらに気づいたのか、振り返ろうとする瞬間だった。
ごりゅっ。鈍い音がなる。
少年の拳は、振り向きざまの頬にめがけて放たれた。
いじめっ子は、尻餅と同時に手をつく。
弱者は反撃などしないという思いこみ。思い込みが強ければ強いほど、その攻撃は狼狽させる効果を増していた。
驚きと反撃の恐怖により、顔は歪む。弱々しい悲鳴と共に、その場から逃げ出す。途中で足が絡みこける、情けない背中を見送る。
少年の拳には、ジンジンと痛みが滲む。それでも、この痛みはとても愛おしいものであると微笑む。確かに掴んだのだ。この日、勇気を。
夕日は、等身大の影を地面へと映し出す。
翌朝、一ヶ月ぶりの登校をするため、少し早起きをして、朝食を食べる。
両親は、目を赤く腫らしていた。
「それじゃあ、行ってきます」
「いってらっしゃい。気をつけてね」
扉は閉まる。
誰もいない部屋のテレビから、アナウンサーと思われる声が漏れ出る。
「本日は、鮮烈な教育論で子どもの未来を切り開き続けている教育評論家であり大学准教授の、最上哲先生を招いてます。本日はよろしくお願いいたします」
「はい。よろしくね」
「早速なのですが。先生宛にお便りが届いております。読ませていただきますね。えー。先生が注力されている研究について、何を一貫として伝えようとしていのか知りたいです。と言うことですので、いきなりですが、お聞かせいただきたいですのですがよろしいでしょうか?」
「ははっ、もちろん構いませんよ」
「ありがとうございます。それでは、お答えの方よろしくお願いいたします」
「それはね」
「それは?」
悩みを持ち、懸命に生きる全ての人へ。
「勇気だ。諸君」
その言葉は熱を持つ 泉 @izumiryu
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