止まない雨
「……これは、酷いな」
自衛隊員の一人が、ぽつりと呟く。
彼は今、ロードリオン島に上陸していた。天気は快晴。雲一つない青空と、その空の最も高いところで燦々と太陽が輝いている。気候も熱帯の島らしい、暑さと湿度がある。
しかしそんな居心地の悪い気候など、目の前の惨事に比べれば些末なものだろう。
島は緑に覆われている。
それは倒れた樹木の色だった。巨大なスコップでひっくり返したのかと思うほど、大規模な土砂崩れが島中を埋め尽くす範囲で起きていたのである。地形は九割以上変わり、配布された地図は役に立たない。
今は共に島にやってきた米軍、それとフランス海軍とイギリス海軍、更にロードリオン島を統治するフィリピンの海軍と共に行方不明者の捜索及び救助活動をしているが……
「こりゃあ、生存者は期待出来ないな。島民も全滅してんだろ」
「……滅多な事を言うもんじゃない」
「マスコミなんていないんだ。そう気張らなくてもいいだろうさ」
近くにいた同僚の無配慮な言葉を窘めるが、同僚は反省した素振りもない。
正直、彼も同じ事は思っている。
そもそも今回彼が属する自衛隊や米軍、フランス・イギリス海軍、そしてフィリピン軍が共に行動する『大作戦』がどうして決行されたのか。それは一ヶ月前この島に派遣された自衛隊・米軍の合同調査隊が、音信不通になったからだ。
派遣された人員の数は日米合わせて四百人。全員が軍事訓練を受けた『兵士』ではなく、研究者などもいたが、それでもかなりの戦力には間違いない。護衛艦と駆逐艦に載せられている装備も最新式である。
なのに、ロードリオン島に近付いた段階で通信が途絶えた。
数日は復旧が試みられたが、なんの成果も得られず。そもそも日米合同部隊派遣の原因となった、フィリピン海軍、そして島にあったフィリピン軍基地の駐留部隊とも未だ音信不通。総計六百人近い軍人が、なんの手掛かりも残さずに消えたのだ。ミステリーと呼ぶのも生温い大事件である。
陰謀論界隈では、中露が秘密裏に侵攻しているという説が盛り上がっている。少数の意見ではあるが、米国を裏から支配する『影の政府』とやらの攻撃も取り沙汰されていた。実際土砂に埋もれていた基地の残骸に、戦闘の痕跡が確認されたらしい。何かと兵士達が戦ったのは間違いない。
だが自衛隊員である彼から言わせれば、その説はナンセンスだ。
「(どの国がやったにしろ、何百もの人間を一人残らず消すなんて出来るもんか)」
どちらの国の装備が『上』か、というのは(個人の政治思想や願望などもあって)色々な意見があるところだが。しかし確実に言えるのは、圧倒的と言えるほどの優位性はない点だろう。
つまり余程の戦力差がない限り、『圧勝』する事は困難だという事だ。ましてや一人残らず、情報の持ち帰りも許さないなど到底出来るとは思えない。仮に戦力差が大きければ、普通は撤退を選ぶ。軍として重要なのは国を守る事であり、総合的な勝利のためなら非情な判断も必要だ。自国領であるフィリピン軍なら兎も角、日米軍なら尚更である。
逃げに徹した日米軍を捕まえるには、途方もない戦力差……数万の大部隊、それを運ぶ数百の軍艦が必要だろう。そんな大艦隊を島民百人の島に送り込んでどうするのか。また、そこまでの大部隊なら米中露、或いはそれ以外の国でも動きを検知出来る筈だ。数万人の移動になれば、彼等の消費する物資や弾薬を運ぶため、更に何十倍もの人員が動くのだから。あまりに動きが大き過ぎて、軍隊マニアのアマチュアでさえ気付く可能性がある。
そういった情報がない以上、この可能性は考えられない。だから最も現実的でつまらない可能性――――災害が原因だと考えるのが妥当だ。
「……この土砂崩れからして、大雨の所為と考えるのが妥当か」
「ああ。実際派遣中はどのタイミングも大雨だったらしいな。雨雲レーダーでも相当な規模だったと聞く。つーても、こんな事になっているとは思われなかったが」
同僚の言うように、大きな雨雲が島を覆っていたため、土砂災害自体は予測されていた。
しかしいくらなんでも、ここまで悲惨な土砂災害が起きているのは想定外。いや、どんな災害ならここまでの被害が出るのか。雨ではなく、噴火や隕石の類ではないだろうか。
加えて、観測された雨雲はあまりにも不自然な、気象学者の誰もが非科学的だと困惑するものだった。雨雲自体はレーダーで捉えているのだが、その発生が全く予想出来なかったらしい。例えるなら降水確率ゼロパーセントの東京に、突然前例のない巨大台風が現れるようなものだとか。消えた時も一瞬で、現在の気象学では説明が付かないという。
とはいえ島中で土砂災害が起きているのだから、大雨自体はレーダー通り発生していたのだろう。
こんな災害に見舞われたのなら、部隊が全滅してもおかしくない――――部隊の派遣が三回あった事に目を瞑れば。仮に日米合同の調査隊が上陸したタイミングで土砂災害が起きたなら、その前に起きたフィリピン軍や米軍の通信途絶はなんなのか。一次異変や二次異変の時に土砂災害が起きたなら、どうして日米共同部隊は危険な島に上陸したのか。
そして一番の疑問は、艦船は一体何処に消えたのか。
「……駆逐艦や護衛艦の残骸は見付かったのか?」
「いいや、まだだ。まだっつーか、聞いた話だと周辺の海底はかなり綺麗な状態らしい。流木すらろくに見当たらないのに、四隻の船があるとはとても思えないそうだ」
災害は無慈悲であるが、同時に無知性でもある。船を転覆させたとしても、その船を消し去ろうとはしない。
だから海底などに残骸が残っている筈なのだが、今まで見付かっていない。小さな漁船であれば粉々になったなど理由も考えられるが、曲がりなりにも軍艦だ。全長百メートル超えの金属が跡形もなく消えるとは考えられない。
人間が犯人なら、操縦して何処かに運び出した可能性もあるが……そうなると日本も米国もフィリピンも、その何者かに大人しく戦闘艦を明け渡した事になる。それは流石にあり得ない。
一体、この島で何が起きたのだろうか。
「……犠牲者数が、一旦軍人だけとして約六百人とする。なら、遺族は何人ぐらいになるんだろうな」
「さてな。単純に両親と配偶者と子供の四人って仮定すれば、ざっと二千四百人ぐらいか」
遺された者達は、この事件を聞いて何を思うのだろうか。
その心境は察するに余りある。様々な後悔が胸を支配するだろう。立ち直れる者もいれば、家庭が崩壊する者もいる筈だ。
そして不幸な境遇から逃れようと、心を壊すかも知れない。
精神病を患い、長期の投薬や入院をする事もあるだろう。更には悪徳宗教への入信や、陰謀論への傾倒などもしかねない。
『敵』がいるという言説は人間が本能的に好むもの。大切な人を失ったとなれば、尚更憎むべき対象が欲しくなる。だが信じたものが無根拠で、憎しみを煽るものなら、憎悪犯罪など新たな憎しみの火種にしかならない。
遺族に平穏を取り戻すためにも、新たな悲劇を防ぐためにも、謎は解き明かさなければならない。
「さぁ、サボりはそろそろ終わりにするぞ。一人ぐらい、生き延びている奴がいるかも知れない」
「やれやれ。ま、可能性はゼロじゃないからな」
彼は同僚と共に、土砂崩れの現場へと向かう。覚悟と決意を改めて胸に宿しながら。
人は言う。止まない雨はないと。
人は願う。晴れぬ霧はないと。
そして人は誓う。
どんな暗闇をも照らし、必ず真実を見付け出すと――――
故に『魚』は嘲笑う。
出来もしない事を決心する姿は、滑稽極まりないのだから。
「ん? なんだ、急に空が曇って……」
空に暗雲が立ち込める。
明るかった空はものの十数秒で夜のような暗さに閉ざされ、直後雨粒が人間達に降り注ぐ。
最初はぽつりぽつりと、段々と強くなり、ついには滝のように激しくなっていく。前が見えないどころか息さえ難しい。打ち付ける雨の重圧で、そのまま押し潰される予感さえしてきた。
誰もがおかしさを感じた。不安も強くなる。されど今見舞われている災禍の前に、思考なんてしていられない。退避命令が出るや自分の所属する船に駆け足で戻り、この激しい災害から逃れようとする。
それが止まない雨の始まりだと、誰も知らないままに……
天帝魚 彼岸花 @Star_SIX_778
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