勇者を追って…
4:たった1つの魔法
「…お前がくるとは珍しいな」
「クソババアお久しぶりぃ~」
偉大なる魔術師ヒークが亡くなる半年ほど前のこと。
老婆は珍しい客人が来たことに驚いていた。自分に似ていて才能に恵まれていた方の、自分に似て性格がねじ曲がっている方の、自分に似てしまった方の、孫である。
もう今世では会うことがないと思っていたヒークは、驚きながらも特になにかアクションを起こすわけでもなく、いつも通り椅子に腰を掛けてコーヒーを飲む。
「なんの用だよ」
「いやぁもうちょっとでくたばるかなって思ってさ~、最後に顔を見に来たんだよぉ」
「そうか、それなら好きなだけ見ていけばいい」
才能のない方の孫、ハジメは時々顔を出してくれる。
運よく自分に似ず普通に育った方の孫は、お世辞にも愛想のいい方ではない祖母に対しても家族としての愛情を向けていた。
だが
「あ、そうだ…冥途の土産に良いもの見せてあげっからさ」
フタツは杖を持ち上げると、近くの壁を杖の先端でなぞり始める。すると、まるで杖にインクでも仕込まれていたように壁には魔力の跡が刻まれ始めた。
魔力の跡で大きな横長の長方形を作ったフタツは、その図形の中心を軽くトンと叩く。
すると壁が突然変色し始め、まるで映画の映写機のように徐々に森の風景を映し始めた。
「映写魔法か、手慣れているな」
それは薄暗い森を映した映像だった。
日はすっかり暮れており、眩い月の光だけが頼りない光源になっているのがわかる。そして映像はズームアップされていき、その奥にいる1人の青年へとクローズアップされた。
青年は大木に向けて拳を構えており、その額からはぽたりぽたりと大粒の汗が流れて落ちている。ヒークの眉毛がぴくりと揺れて反応する。その青年は彼女の孫、ハジメであった。
「…ハジメ」
「そ、撮影するっていうと照れて嫌がるから隠し撮りしちゃいましたぁ~」
「盗撮じゃないか」
「うるせえよいいから見ろ」
ハジメは固めた拳を手刀へと直すと、肘をたたみ背中に引くように構える。
そして次の瞬間、まるで一流の剣士が放つ斬撃のように滑らかな軌道で右上から左下に振り下ろされた手刀は音さえ立てずに大木の側面を綺麗に抉り上げた。
「ッ…!!」
映像は鮮明に写されていた。まるで大木がバターのように溶けたようにさえ感じられた。
大木には彼の肘から先の形だけがクッキリと残されており、ヒークは眼の錯覚を喰らったような不思議な感覚に陥っていた。
「ねぇ、これなに?肉体を強化する系の魔法じゃこんな風にはならないし…今まで色々調べたんだけどまるで出てこなかった…新しい魔法ってことだよねぇ?」
「…」
「ババア、なんか知ってんだろ?」
ヒークはカップを傾けて1口コーヒーを飲み込むと、ふう、と小さく息を吐いた。
「ありゃ確定魔法だよ」
「…?確定魔法って、あの?」
「ああ、複雑な魔法を取り扱う際に用いる補助魔法の1つだ」
魔法の中には特定の条件を必要とするものもある。
複雑な魔法陣を構築したり、1日かけた正確な儀式を要するものまでその難易度は様々だ。
確定魔法は行う動作を予め決めておき、そんな過程で起こりうるミスをなくすためのものなのであり、強力な魔法を扱う魔法使いたちは皆当たり前のように習得しているものであった。
当たり前だが高位魔法使いであるフタツも幼い頃より習得していた。
「そんなモンの私もできるよ」
「…私があれを教えたのは相当前だ。おそらく何度も鍛錬を積むうちに少しずつ性質が変化したんだろう」
「へえ、アンタアニキに魔法なんか教えてたんだぁ~アタシにはなにも教えてくれなかった癖に、さぁ」
「お前は別に私が教えなくとも覚えるだろうが」
元はと言えば、火・土・風・水を司る基本魔法さえ使えず魔法使いの才能がまるでないハジメに対してダメもとで教えてみた適当な魔法であった。もとよりできるとも思っていなかったし、できたとしても大して興味はなかった。
映像の中のハジメは何度も何度も手刀を大木に振り下ろしていた。そのうち木は1本、2本と倒れていく。「よくこんな体力が続くもんだ」なんて思わず感心に声が漏れる。
しかし、先程までぼーっと映像を眺めていたヒークは何かを発見したようにその場にガタリと立ち上がった。
「…おい、気づいたか…?」
「ああ?」
何も気づかなかったフタツはいやいや映像を巻き戻してもう一度見返す。
振り上げられた手刀が木に食い込むその一瞬、「止めろ」とヒークから声がかかった。
「…で?何に気付いたの?」
「……お前、ハジメのこれについてどれくらい知ってる?」
「こっちの質問に答えろよクソババア」
ははは、とヒークが笑う。フタツはそれをみて額に血管を浮きだたせてピキピキと表情を歪めていた。今すぐにでも殴りかかっていってしまいそうな雰囲気である。
「私の質問に答えたら教えてやるよ」とヒークは告げる。フタツは肩を揺らしてゆっくりと息を吐きながらもその条件を吞むことにした。
「ずぅっと前からほぼ毎日、夜中になると家を出て変なことしてるなぁって思ってたんだけどぉ…つい一か月くらい前に興味本位でついてったんだよ。そしたらあんなことしててさぁ…すぐに問いただしたんだけどあんまり教えてくれねぇんだよ。だから知ってることと言えば今映像に映ってたコトくらい~…ほら、どう?これで満足?」
「ああ満足したよ、それじゃ帰りな」
「……はぁっ!!??」
約束が違う、と思わず手元の杖を構えるフタツ。
しかしいつの間にかフタツの足元に記されていた魔法陣が起動すると、ヒークの指パッチンと共にフタツは自分たちの家に転送された。
その数秒後、村中のカラスが飛び上がるほどの怒りに満ちた怒号がフタツの家からは響き渡ったという。
「…ふふ、アイツ…このままだと最強になっちまうぞ…」
ヒークはまたコーヒーを一口啜ると、再びつまらない日常へと戻っていった。
まさかもう既に王国にガードの操る死体がいたとは思わなかったな。
今更になって、婆ちゃんはきっとこういった事態を見越して俺に頼んだのだとわかる。
こうなってしまってはまさに後の祭りではあるが、悔やんでも悔やみきれないな。俺の思慮があまりにも浅かった。
「アニキぃ、杖ないぃ~」
「知ってる知ってる、またどっかで買ってやるよ」
俺たちは今、王国の兵士から追われている。
衣服は適当に脱ぎ捨てダメ元で髪型をぐしゃぐしゃにしてみたがこんなものは変装でもなんでもない。フタに変装魔法を使ってもらえば簡単なんだが杖がないのでそれもできない。
こうして今は路地裏に隠れ身を潜めているが、早急に今度の計画を立てなければいけない。
大通りには武装した兵士たちが何人もおり、血眼になって俺たちを探している。おそらく後数分もすればここにも捜査の目が届くだろう。
「ねえアニキ、わかってると思うけど…いざとなったら私この状態でも魔法使うから」
「……俺が何とかするよ」
「そっちの方が危なくない?」
「甘くみんなよ、なんのために俺が毎日稽古してると思ってるんだ?」
「なんのためにしてんの?」
「そりゃ可愛い妹を守るためさ」
「はーい今恋に堕ちました~」
あくまで魔法の杖は魔力操作や調節を容易にするツールにすぎない。ある程度の上級者は単純な魔法であるなら杖なしでも使える。
ただしその場合は細かい調整はできなくなるし、消費魔力も極端に増える。疲労度も段違いであり、杖ありで魔法を使うことをマッチで火を灯すことに例えるのなら、杖なしで魔法を使うことは、木の棒を回転させ摩擦で火起こししようとすること、と言えるだろう。
だが本当の問題は燃費じゃない。もしも今フタが自衛のために魔法を使うとするなら、おそらく一切の手加減はできなくなるだろう。基本魔法の中で最も殺傷力の低い風魔法でも、相手の命を保証できない。
「…取り合えず今の作戦としては馬車の荷台に乗り込んでここを脱出するって感じでいこう」
「そのあとは?」
「……多分、合法のルートじゃこの事態を乗り越えられない」
「わお、あうとろ~~~」
「非合法でテレポート業をしてる輩に金を払ってできるだけ近づく他ねぇな」
端的に言って今は完全にヤバい状況だ。
伝達魔法が使えないとなればもう自分たちでいくしかない。だがテレポートは国から認められた特定の魔法使い以外の使用は禁じられている。
俺たちはお尋ね者になっちまった。別の国に行くにも時間がない。そうなれば近くのスラムで活動している非合法テレポートビジネスに頼る他ない。
「よし、門も前まで近づいて。馬車とかがあれば中に隠れる…それがダメなら…非常に不本意ではあるが俺がなんとかする」とフタに告げた。
「おい、そこのお前たち」
しかしその時、背後から声がした。
怖くて振り返れないのでフタの顔を見つめるしかできない。フタは首だけ縦に小さく動かして頷いた。これはおそらく「兵士がいる」という意味なのだろう。
説得してわかってもらう…のは無理だよな。この場で殺すように命令されているだろうからな。ここで平和を訴えかけても大勢に囲まれるだけだ。
「お前たちに言ってるんだ、こっちを向け」
兵士からすれば俺の後ろ姿と俺の体で大部分が隠れたフタしか見れていないはずだ。
もうこの状況になれば狙うタイミングはあれしかない。
フタはもう既に魔力の準備を始めているが、確実性を高めるためにももう少しだけ距離と時間を稼ぐ必要がある。
「おいッ!聞いているのかぁッ!!」
声が少しずつ近づいてきている。
俺はゆっくりと息を吐くと片手でぐしゃぐしゃになった髪を適当に梳いてもとに戻した。
背中に冷たく硬く鋭い感触が当たっている。おそらく持っている武器は槍だろう。
「…ッ…!!おいこっちに「『
壁を壊すことのできる俺と高位魔法使いのフタの情報の情報が
兵士が意識を大通りに向けて大声をあげるその瞬間、俺は確定魔法を発動させながら一歩後ろに下がった。
背中には鉄が粘土のようにぐにゃりと折れ曲がる感触が伝わってくる。ここまでは想定通りの動きができている。
「な、ぁッ!?」
素早くその場に振り向き、持っていた槍の先端が突然折れ曲がり困惑する兵士と対峙する。
ここで想定外のことが起こる。相手が全身のフル装備の鎧を着ていたのだ。この時点で相手を無傷で無力化するという可能性は限りなく0になった。
しかしここで動きを止めることはできない。振り向く勢いのまま左手の指を伸ばし、相手の目元に勢いよく近づける。
「…ッ…!!」
どんな鎧でも視界を確保する意味から目の部分は穴が開いている。
本能が働き体が防御姿勢を取ろうとするが、全身に鎧を着ていることと、壊れた槍を握っていることがその動きを2テンポほど遅くさせる。
「アームアックス」
右肘を折りたたみ腰の旋回と共に勢いよく振り下ろす。俺がほぼ毎日何度も何度もやり続けてきたこの動きは、おそらくこの世界の誰よりも洗練されているだろう。
右上部から左下部にかけて振り下ろされた拳の先端は正確に兵士のアーマー越しの顎を捉えた。兜が変形する感触が拳に伝わっていき、そのまま振りぬかれる。
「…」
声を出すこともなく気絶し、崩れ落ちそうになる彼と彼の持っていた槍をなんとか受け止めつつ、壁に凭れかからせるように地面に座らせる。
その兜には俺の拳の跡がしっかりと残っていた。
「アニキやるねぇ、まさか甲冑越しにやっちゃうとは思わなかったよぉ」
彼はなに1つ悪いことをした訳じゃない。
自分の仕事をただ全うしていただけだ。そんな彼を殴りつけてしまった罪悪感と必要以上のダメージを与えずに済んだ安堵を両方感じつつ、そっと歪んだ兜を取り外して彼の傍に置いた。
「あらあらあら…可愛い顔して結構ワイルドなのねぇ~…」
「あ、バッシー」
「うおっ」
突如として響いた声に思わず体が跳ねる。
声のした方へと目を向けるとそこにはサキュバスのお姉さんがいた。ひらひらと手を揺らしながら最初会った時と変わらぬ笑顔を見せてくれている。
「ばっしー、さん…」
「うふふふふ、色々聞いてるけど安心してぇ、貴方たちを捕まえてアイツらに差し出そうなんて気はサラサラないわぁ~」
お姉さんがそっと壁を撫でるとそこに淡い光と共に小さな扉が浮かび上がってきた。
ドアノブを掴んで引っ張ると、扉が開き中には地下に繋がる階段が見える。
「んっふ~~ついてきなさ~い、安全な場所までつれていってあげるからぁ」と声を掛けた彼女は1人階段をカツカツと下りていく。俺は彼女を信じ切れず中々足を動かすことができずにいたが、大通りから兵士の足音が近づいてきているのを感じると、一度はぁ…と息を吐いてから決心した。
「…いくぞ、フタ」
「ん?いいのぉ?」
「いいんだよ、だから早く
「…あちゃ~バレたかぁ~~」
フタは先程からずっと基本魔法の中でも最も殺傷力の高い火魔法の準備をしていた。
いつもと変わらぬ表情のまま、知り合いであるはずのバッシーさんに魔法を放てるように備えているその姿は兄である俺でさえ恐怖を覚えるほどだ。
「…いざとなれば、俺がやる…」
「アニキできないくせにぃ」
「…バレたか」
俺たちは2人で中に入ると、パタン、と内側から扉を閉めた。
ノーデスノーキルで回避する世界滅亡 誠実生 @i-like-dog
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