3:影の端
俺の故郷の村から馬車で40~45分、魔法学が盛んであり種族問わず世界中から研究者が集まるこの街は、王都パスアードである。
フタはここの魔王学校に通っているため馴染み深い街並みだろうが、俺はというと一日の大半は故郷の村で雑貨店を経営しているため、賑やかな都会の空気にどうにも慣れない。
商店街を歩いていると、隣を忙しなく通り過ぎていくガタイのいい男や、エルフが弓や剣を売っている店、ゴブリンが営む魔導書を取り扱う書店など、一つの視界から得られる情報量があまりにも多すぎて酔ってしまいそうになる。
「あら、フタツちゃんじゃない」
おどおどしながら必死に妹の後ろを歩いていると、突然妹の名前が呼ばれた。
声のした方へと目を向けると路地裏から出てきた露出度の高い服を着たサキュバスのお姉さんが片手をふりながら此方を見つめていた。その身長は2m近くあり、凄まじい包容力が伺える。
知り合いだったのか、フタはふと足を止めるとにこやかな笑顔を浮かべながらお姉さんの方へと近づいていった。俺もふらふらと人の間を縫うように潜りながらなんとか後ろをついていく。
「おっ、バッシーじゃん~こんちは~」
「こんにちは…ってあらあらあら珍しいわねぇ、良い男連れてどうしたの?彼氏ぃ?」
「これアニキだよ」
「まあまあまあまあお兄さんならちょっとくらい食べてもいいわよねぇ…?」
「いいわけねえだろ」
俺の両肩に手を添えて顔を近づけていたお姉さんの頭を魔法杖の先端でポコン、と叩くフタ。
お姉さんは「うふうふうふ、冗談ヨ冗談」なんて言いながら手を離し、その大きな手で俺の頭を撫でる。
「妹がお世話になってるみたいですね、俺、ハジメっていいます」
「んふふふふハジメちゃんね?ちゃんと覚えたわ~是非お暇があったらサキュバスの里にきて?たっぷりリフレッシュさせてあげるわよぉ」
「いやぁ、それはぜひとも…」
サキュバスの里っていうと、 別名男の墓場って奴か。
なんでも男が一度でもそこへと足を踏み入れると人間の女じゃ満足できなくなってしまうらしい。なんとも夢とロマンの溢れる街だ…そんな風に思いをはせているとこれまで感じたこともないほど冷ややかな視線が妹から向けられていることに気付いた。
「人のアニキを誘惑しないでくれますぅ~?」
「んふんふごめんなさいフタツちゃん」
「…ところで…この時間帯にしては人が少ないね、特に魔人系が…」
フタは軽く声を抑えながら問いかけると、お姉さんはチラリと回りに視線を回した。
「ふぅ…実はね…今日から風紀部隊の隊長が変わっちゃったのよ~…」
「風紀部隊…?」
「ハジメちゃんはわからないわよねぇ、ここって色んな種族がお店を経営してるでしょお?いざこざが起こらないように国王が治安維持のための部隊を作ってるのよぉ」
なるほど、確かに仲の悪い種族というのもある。こんな人通りの多い商店街で魔法を使った喧嘩が起こればどれだけの被害が起こるか分からないもんな。
「少し前に魔王軍に加担したオークの少数部族を皆殺しにしたサイクって色男がねぇ…?その功績を認められて今日から風紀部隊の隊長になったんだってぇ~んんん~…お姉さん怖いわぁ…」
「……ンなるほど、どうりでオークが経営している店がないと思ってたんだぁ」
フタは数秒間顎に手を当てて考えてから「ねえ、その男って特徴とかわかる?」とお姉さんに問いかける。
「あら、それなら分かりやすいわよぉ、彼ねぇ、でっかいサングラスかけてるの。なんでもオークから反撃を喰らって目元におっきな傷がついちゃったんだってぇ」
「ほいほい」
「それとぉ…一度遠くから見た時に気づいちゃったのよぉ」
「ん?なになに?」
「彼、男前なのにあんまり美味しそうじゃないのよぉ!…似合わないサングラスのせいかしら…」
「…サキュバスにもえり好みがあるのねぇ…」
フタは「サンキューバッシー、事が済んだらお店よるね~」と言いながら俺の手を引いてまた人ごみの中へと入っていった。俺がよたつきながらも片手を振るとお姉さんもまた笑顔で振り返してくれた。
もう既に王城は目の前だ。緊張に身が強張りそうになっていたところフタから「アニキ、ちょっといい?」と足を止めないまま声がかかる。
「余計な心配かもしれないけどちょっち聞いてね」
「ああ」
「王と謁見する時はね、まず風紀部隊の隊長がその要件を聞くの」
「…え?ってことはさっき言ってたサイクって奴とお話しなくちゃいけないってこと?」
「うん、昨日まで隊長だったおっちゃんとは面識があったから余裕かと思ってたんだけど…もしかしたら難航するかもしれないねぇ~」
なんてバッドタイミングなんだ。心の準備という面で言えば城内に入る前にこの情報を得られてよかったが、だからといって何かしらの対策ができる訳でもないのが酷く歯がゆい。
気づけばもうすぐそこに王城への侵入を拒む大きな門が聳え立っていた。門の前には武装した門番の男が2人立っており、此方に気付くとそのうちの片方が寄ってくる。
「あれ、フタツちゃんじゃないか。お城に用事かい?それと…お連れの方は?」
どうやらフタは門番と面識があるらしい。
「俺はフタツの兄のハジメといいます」
「おお、お兄さんか…!どうりで目元が似てるかと…!」
「実は今すぐに王様にお伝えしなくてはいけないことがあるんです。どうか謁見させてもらえないでしょうか?」
「…お、王に…?それは一体…」
通常では中々見られないフタの真面目な表情に、門番の男も少し緊張気味になる。
フタは彼の目を真っすぐに見つめながら「混乱を避けるためにもこの場では言えないのですが…国の、いやこの世界の存亡に関わる事柄なのです」と伝えた。
事態の深刻さを察した門番の彼はこくん、と頷くと「わかった、まずは門塔の中でサイク隊長と話してくれ」と言葉を返す。
少し視線をあげるとこの立派な門と合体するように作られた門塔が目に入る。
「わかりました」
「それと…悪いんだが決まりで、関係者以外はここで全ての武器を置いていってもらうことになってる。その杖はソイツに渡してもらえるか?」
「……はい」
魔法杖は体内にある魔力を円滑に外に放出することができ、強力な魔法を扱う魔法使いにとっては非常に重要なアイテムである。
フタは外出する際には必ずあの魔法杖を持ち運び、極力手放さないようにしている。ああ見えて結構警戒心の強い奴で、ふわふわとした印象を受けやすいが実のところ、誰よりも隙を見せるのを嫌う性分だ。
渋るように表情を曇らせた後にもう1人の門番に杖を渡したフタ。俺は元より武器なんて持ってないが、軽いボディチェックをされた後に2人して門塔の中へと入っていった。
「さっきサイク隊長には連絡したから間もなく来ると思う、それまでここで待っていてくれ」
レンガ造りのシンプルな階段を登っていき、小さな部屋に案内された。
中央には簡素な机と椅子が用意されており、窓からは眩い光が差し込み部屋全体を照らしている。まるで取調室だ。というか、用途的にはまさに取調室なんだろうけど。
「アニキ、私が話すからあんまり喋らないでね」
「はぁ…兄としての威厳はないな…」
「気にすんなってぇ、適材適所って奴だよ~」
狭い部屋だからか、それとも彩のない部屋だからか、はたまた緊張のせいか、こうして座っているだけなのに酷く圧迫感を感じる。
というか…今にして考えてみれば俺ってここまでくる必要あっただろうか。なんかもう全部妹に任せておけば大丈夫な気がしてきたぞ。寧ろちょっと邪魔なまでないか?さっきから金魚のフンみたいにフタの後ろをおろおろうろうろばかりしている気がしてきた。
ますます分からない、どうして婆ちゃんはフタじゃなくて俺にあのことを伝えたのだろう。間違いなく優秀なのも有能なのも俺ではなくフタのはずなのに。
「お待たせいたしました」
そんなことを考えていると突然扉が開いて外から、細身の男が入ってきた。
大きなサングラスをかけ目元を隠すその男はペコリと小さく頭を下げると、「私はサイクと申します。今日付けでこの街の風紀部隊の隊長を務めることになりました」と自己紹介をした。
腰に携えた剣、真っ白で汚れ一つない純白の鎧はことさらにその真っ黒なサングラスを目立たせているように思える。
俺は…その僅かな空気の揺らめきと魔力の雰囲気に若干の違和感を抱いていた。それは形にはできず、奥歯に何かが挟まったようなハッキリとは言えないもやもやとした煙のような感情だった。
「私は最高位魔術師のフタツと申します、此方は兄のハジメです」
フタがその場に立ち上がり挨拶をする。俺もそれに合わせて立ち上がり頭を下げ「よろしくお願いします」と簡素な挨拶をした。
差し出された彼の片手は手袋で覆われていた。俺は頭を下げながらもフタと握手するその手をじっと見つめていた。
「さて、早速なのですが…この世界の存亡に関わる事柄、とはどういった意味合いなのでしょうか…?」
「結論から言わせていただきます。勇者ブレークがもしもこのまま魔王と対峙すれば、人類は滅びます」
「…ほう、その根拠は?」
「私たちの祖母、魔術師ヒークは長年時間魔法を研究していました。そして死ぬ間際に習得した未来をみる魔法で、今後ガードというネクロマンサーが暗躍し、魔王の遺体を操ることで世界が滅ぶ未来を私たちに伝えたのです」
フタが話している間、俺はずっとこの頭の中のもやもやについて考えていた。
点と点がもう少しで繋がりそうなんだ。サキュバスのお姉さんの話、サイクの特徴、何処かで見覚えのあるこの魔力の雰囲気、そして婆ちゃんがどうしてこの一件を俺に託したのか。
サイクはフタの話を真剣なまなざしで聞いており、数秒間考えるように目を伏せた後に「なるほど」と呟いた。
「疑うつもりはないのですが、その未来を見る魔法が書いてる魔導書などはありますか?」
「ええ、此方に…」
フタが鞄から本を取り出そうとするのを、俺は机の下から手を伸ばし止めた。
フタは此方に視線だけを動かす。俺はそっとその場に立ち上がると「話の腰を折ってしまって申し訳ありません」とサイクに告げた。
そして眉を顰めて申し訳なさそうな表情を浮かべる。
「実は先程からトイレを我慢してまして…ひ、1人でいってきてもいいですか…?」
「勿論大丈夫ですよ、場所はわかりますか?」
「ええさっき階段をあがる時に…ってうわあっ!!」
俺は一歩踏み出そうとして態と机の脚に自分の足を引っかけた。ふらり、とよろついた勢いを利用しサイクの方へと体を傾ける。
自重を支える様に片手を椅子の背に、もう片方の手をサイクの手首に添える。その際にさり気なく指を伸ばして彼の手首の、それも動脈の位置に指腹を添えた。
そしてある決定的な事実に気が付いた。
彼には脈がない。
その瞬間、俺の中の点と点が結びつき、1つの結論へと至った。
「コイツ敵だ」
「お見事」
奴の左手が腰に携えた剣へと向かう。
その手が剣を掴んだ瞬間、俺は『
次いで、魔力を帯びた手刀が此方の首を狙い放たされたが、左手で相手の肘を内から外に弾くように防ぎつつ、右手で作った拳で正確に2発拳を胸上部に打ち込み、両鎖骨を砕いた。
「おおっ」
元より座位の相手と立位の此方では圧倒的に此方が有利だった。
椅子の背は破壊されサイクはそのまま背後へと倒れ込む。
「フタ、これを見てみろ」
倒れた勢いで地面に零れたサングラス。
鎖骨を折られて腕が使えずにその場でジタバタと体を揺らすサイクの瞳は瞳孔が完全に開き切っていた。それにも関わらず地面の上でばたばたと動き続けているその姿はあまりにもおぞましいものであった。言われていたような傷はどこにもなく、あの大きなサングラスは彼の瞳を隠すためのものであったことが推察できる。
「…ッ…こりゃ驚いたぁ…ここまでクオリティの高い死霊魔術は初めて見たよ…」
「これすごいですね、腕に力が入りません」
「神経が通っている場所を砕いたからな、えっと…ガードさんって呼べばいいかな?」
「どう呼んでいただいても構いませんよ、ハジメさん」
ネクロマンサーは、魔力を用いて死者の神経や筋肉を動かす。魔力で血液を循環させているため心臓が動いておらず、そのため脈がない。
漸く今さっき思い出したよ。コイツの回りに漂っていた珍しい魔力の気配、これは防腐魔法だ。母さんの葬式の時に婆ちゃんが使っていたのを薄っすら記憶していたんだ。あの時はまだ幼かったフタが気づかないのも無理はない。
「確かに、コイツは美味しそうじゃないかもねぇ」
「ああ、死体だからな」
サキュバスのお姉さんがああ言っていたのも、本能でこの男に生気がないことを察していたからなのだろう。
フタは取り出しかけていた本を再びバッグの中に深くしまいこむと、しっかりとジッパーを締め上げた。
俺たちがしなければいけないことはさっさとこの情報を下にいる門番に伝えることだ。地面に寝そべっているサイク…というよりはガードを跨いで剣が鞘ごと突き刺さっている扉を開けた。
「きゃあ…っ!!」
「うお…ッ…!?」
しかし、次の瞬間甲高い警笛の音が響き渡った。
おかしい、まだ下にいる人間にはなにも伝わっていないはずなのに。
「伝達魔法を使わせて頂きましたよ、城内の兵士全員に…『王を殺しにきた暗殺者だ、極めて危険な魔法を使うためその場で殺害せよ』…ってね」
「はぁ…くっそ…」
「アニキぃ、どうする?」
「…よぉし!兄ちゃんに任せときなぁ~~」
石造りの階段を大勢の人間が勢いよく駆けあがってくる音が聞こえてくる。
ここは3階、あと10秒もしない内にここに兵士たちが押し寄せてくる。フタは今杖を持っていないから強力な魔法を使うことができない。
逃げるしかない。俺はガードの足を掴むとずるずるとそのまま廊下へと出ていった。
「何をする気です?人質を取ろうとしているなら…」
「だっらぁッ!!」
階段から廊下へと顔を出した兵士の1人目に向けて、両手でガードの片足をしっかりと掴んだまま勢いよく自分を軸に体を回転させ、思い切りガードを投げつける。
元よりサイクさんの体は細かったのか、比較的に軽いその体はまるで野球ボールのように素早く空中を飛んでいった。
「ぐはぁっ!!」
「うおぉおおッ!!??」
「なんだなんだぁっ!?」
「た、隊長ッ!?大丈夫ですかッ!?」
「いいですからさっさと彼らを…」
突然飛んできた肉の塊を受け止め困惑する兵士たち。
亡くなった後こんな形で利用されたサイクさんに最上級の謝罪を心の中でしつつ、「フタッ!俺の後ろにつづけぇッ!!」と叫んだ。
「『
思い切り壁に向かって突進した俺は、ボゴンといった低い音と共に石作りの壁を破壊し外に飛び出した。「さっすがアニキィ!あいよぉ!」というフタの返事が背後から聞こえてくる。
俺たち2人はそのまま華麗な受け身をとって地面に着地すると、そのまま城下町に向かって全力走り出したのである。
―――これは俺とフタの長い長い半年間の度の始まりの1日なのであった。
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